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うつ病、FUJIROCKへ行く

思えば一番初めに異変に気付いたのはフジロック2020の公演の延期(中止)が発表された頃かもしれない。
発表から1ヶ月あまり後のある日の朝、急に布団から起き上がれなくなった。
早く仕事へ行く準備をしなければならないが、体は一向に動かず深い落とし穴に落ちて這い上がれない感じ。うつ病を発症したのだ。
泣きながら這って行ったクリニックでその日のうちに診断書が出され仕事も休業に入った。

私はフジロッカーズと言われる人種で、フジロックには2001年に初めて行き、行かなかった年もあるが大凡20年あまりの夏を苗場で過ごしている。
特にここ数年は仕事のストレスが日々重くのしかかっており、毎年のフジロックが救いのようなもので、特に2020年は相当な楽しみと期待を持っていた。

実は前年の2019年にも何人もの皮膚科の医師でも首を捻るような、顔の湿疹と水膨れ、爛れで顔が腫れ上がり、我慢できない痒みが襲ってくる原因不明の謎の皮膚炎がフジロック開幕の1週間前に発症。前夜祭前には少し症状が落ち着いていたので前夜祭の木曜には車で出発したが、苗場に到着してからどんどん顔が腫れ上がり、爛れが酷くなってきた。
それでも1日目は化粧とマスクで誤魔化しヘッドライナーのケミカルまで見たが、二日目の朝起きると更に酷くなっている!これはただ事ではないと苗場近くの病院へ行き診察をしてもらうも相変わらず原因不明、抗生物質を処方されても皮膚の症状は1日2日で治るものでもない。
マスクでも隠せない酷さになっていたので(この年のマスク着用者は自分ともう一人しか見かけなかった)、苗場現地にいながら二日目、三日目は車でYouTube配信を見て過ごすという残念な経験をしていたのだ。
自ずと2020年こそは3日間通して全力で楽しむ!とフジロックへの参戦はやる気満々の状態だったのだが、まさかの中止。そして鬱病。

この未曾有のパンデミック、シビアな逆境での開催で出演したアーティスト、辞退したアーティスト、参加を決めた方、泣く泣く参加を諦めた方、何が正解か分からない中で複雑な思いを抱えながらそれぞれの決断を迫られた今年のフジロック。医療従事者の方々の向き合っている命の価値はもちろん絶対的だし、自分勝手の一言で片付けられてしまうかもしれないけど、こちとら行かなければ生きていることの意味を見失い、心が保てない切実な状況だった。
自分にとっては音楽や文化、フジロックはちっとも不要不急ではないのだ。

場内でのアルコール販売が禁止され、前回までそこら中にあった喫煙所は大幅に縮小、わずかに用意された喫煙所を除いて全面禁煙となっていた。毎年出店していた、オアシス・エリアの顔のような存在となっていたジャスミンタイ、FIELD OF HEAVENのSAKURAGUMIなど御馴染みのお店の数々が出店をキャンセル、なにせ海外アーティストが来ない。
何もかもフジロックらしくないフジロックではあったが、来場数は数は例年10万人のところ、3万5千人にとどまり例年は牛歩で歩くゲート前もボードウォークもトイレもがらがらでストレスなく快適。ドラゴンドラでゆっくり苗場の森を眺めるのも久しぶりだったし、いつものフジロックではあまり観る機会がない邦楽アーティストをじっくり観るのも新鮮。参加中に表明された折坂悠太の出演辞退にはとても心が落ち込んだけれど、GEZANでは自分でも引くくらい嗚咽を漏らして号泣し、Dachamboや電気グルーヴでは相も変わらず踊り倒した(もちろん黙踊で)。

音楽が大好きだ。

フェスティバルの祝祭感が好きだ。

自然の中で世界中の音楽が聴けて、世界中の人が集まる、多様な価値観が否定されないフジロックは一筋の光で、社会で生きずらい私はいつも救われている。

フジロックは自分自身を奮い立たせて頑張ろうと思える場所。

今年のフジロックが終わり、また音楽に救われた私は行く前より少しだけ毎日の調子がよく、また今日1日を生き延びた。

フジロックはスマッシュの大将初めスタッフの面々、湯沢町の住民の方々、観客であるフジロッカーズと共に育ててきたフェスティバル。今年の特別なフジロックは、共に歩んできたフジロッカーズを全面的に信頼してくれての開催だったと思う。

本当にありがとう。

皆んなの大切な場所フジロックが、これからもどうかどうか続いて行きますように。

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