モノを擬人化してしまう
擬人化と言っても創作界隈にあるようなモノを人に描き起こすことではないです。
どちらかと言えば国語で習うような比喩表現、擬人法に近いと思います。
見出し画像のような元からお話するキャラクターであるしずえさんはもちろん、お話とは無縁なミニカーのランボルギーニですら擬人化してしまうのです。
モノに対して愛着が湧く……
さて何の話かと言いますと、自分はモノに対して愛着を持ちやすいなと日々感じています。
長年愛用している消耗品は一般的な寿命を迎えても直しながら使い続けますし、長年使い続けていたモノなどは捨てることができません。
人生を共に歩んできた相棒を無下にすることができません。
モノに思い出や歴史が詰まっているものは飾り始めたりします。
最近の話で言いますと……、
ハズレ馬券を収納するファイルでも買おうかなと思っていまして。
本当なら当たり馬券も記念に取っておきたいくらいですが、流石に現金の方が良いので割り切っている部分もあります。
他になかなか愛着が湧いて捨てられないと言いましても、食品類など放置して危険なヤツは捨てていますのでご安心ください。
ギリギリの分別はある……つもりです。
大量生産された一つでもお迎えした時点で……
例え大量生産された商品の一つだとしても、お迎えした時点でユニークとなり、この世でただ一つのモノとなるわけです。
よってお店などで現物を見ながら買う時は、同じ種類の商品がたくさんある時は“どれが自分に呼びかけているか”を聞きながら選んでいるんです。
もちろん、モノが呼びかけるわけありません。
歪みだったり、微妙な傷だったり、雰囲気だったり、個性があります。
そう、既に擬人化が始まっているのです。
せっかくお迎えしても、直ぐにお別れが来るケース……
せっかくお迎えして、この世でただ一つのモノ、我が子になったにも関わらず、直ぐにお別れしなければいけないケースがあります。
それは……、
初期不良などの不良品。
せっかくお金を払ったのに損をするのは嫌いではあります。
しかし、愛着が湧いた商品を手放すのもなかなかの苦痛だったりします。
大半は交換対応となり、全く同じ商品が来ますが、それはそれで唯一のモノには違いないですが、2番目の子となるわけです。
交換してドナドナされた最初の我が子は不良部分を検品されて廃棄処分されるんだろうなと思うと、何だかかわいそうに思えて胸の辺りがぐるぐるしてしまいまして、「ちゃんとした品物と交換してもらえて良かった!」とは素直に思えなくなってしまうわけです。
明らかに初期不良的なモノでも、「かわいそうだから、自分が我慢すれば良いかな……」と交換を諦めたこともあります。
モノを擬人化する、それは長所でもある
モノを擬人化して愛着が湧いたからといって、別に生活に支障が出ているわけでもありませんし、困っているわけでもありません。
強いて言えば部屋がモノで溢れていますが、愛着の湧いたモノに囲まれている状況はそれはそれで幸せでもあります。
良く捉えればモノを大事にしているということです。
こういう感覚や癖のようなものは、主に幼少期の経験から来るものと思われますが、思い返してみるとお気に入りのモノを勝手に捨てられる経験が多々あったことを思い出しました。
当時は子供だと思って家族は適当に整理したのかもしれませんが、なかなか悲しい思いをした記憶があります。
幼少期の経験や記憶というものは人生の根本に存在するものです。
子供だと思って気持ちも考えずに対応すると、追々の人生観に影響しかねません。
今日はこの辺で。
ギアでした。゜ω゜)ノ
何か良い記事だったな、役に立つ記事だったな・・・と思われましたら、 サポートをしていただければ幸いです、今後の励みになります。 どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m