心の美しさと頭のよさ
私の会社が色々な賞を頂いたり、本なんかで紹介して頂くと、
「すごいですねー」のあとに
私なんて、とか、うちの会社なんて「レベルが低いから」きれいごととか崇高な生き方とか理念経営はできないです。
と言われる事がたまにあります。
結論から言うと、固定観念だと思っています。
「レベルが低いから」
レベルとはなんでしょうか?僕たちが生きている世界は、頭のよさと、お金の有無、みたいな評価に溢れていて、その評価にさらされて、意識の深いところに刷り込んで(刷り込まれて)生きています。
賞をとったとか、本にのったことで、すごいですねーと言う方には、そのような判断基準が見え隠れします。
つまり、冒頭の話は
頭が悪いから崇高な生き方ができない。
お金がないから理念経営はできない。
つまり、客観的な評価をされていない私はレベルが低い
という話をされているように私は感じます。
考えてみてください
いつも笑顔で幸せそうに挨拶してくれる掃除のおばさんは、とても崇高な生き方をしてらっしゃると思いませんか?
何者かになろうと頑張っている自分が恥ずかしくすら感じてしまいます。
このおばさんに向かって、「自分はレベルが低いから」あなたにはなれませんと言うでしょうか?
「美しい生き方を決めるのは誰?」
そのおばさんは素晴らしい人だと思います。レベルが高いのかもしれません。
ではそのレベルはどうやって誰が決めるのでしょうか?
それは、客観ではなく自分が美しいと思う生き方を実践するだけだと僕は思うのです。
自分がどうありたいのか?に素直になるだけだと思います。
ところで、ここまで読んでいただいて、もし掃除のおばさんの事を私と同じように美しいと感じているのであれば、それはあなたの心の判断基準です。
あなたの中に客観的な評価とは別に美しさの基準があるという事です。このおばさんは、お金も地位もありませんから。
素直になることに目を曇らせるのは、いつも、お金や名声や能力を持つ人間になりたいという刷り込まれてきた欲望です。
そして自分が本当の美しい願いに素直になれないと、社員やまわりの大切な人の美しさを見ることもできなくなります。
「自分なんてどうせ、こんな人間だ。」という諦めと、まわりの人に「期待しても無駄だ」という思考はセットになっています。
自分は崇高な存在だと思うから、まわりにも輝きを見出だせるのだと思います。
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