本当にここにいて良いの?
違和感があった。
教室の一番うしろ、その端っこの席。学校で僕が一番好きな席。
できれば、窓際で外の景色が見えると良い。
空けた窓から風が入り、外で散歩をしている小さな子供連れのお母さんが見える。
退屈な授業。
その現実に取り込まれず、外側から見ていたい。
斜め前の女の子は、まじめに授業を聞いている。というかノートに書き写してるだけか。
一番前で先生にまっすぐ視線を送る彼は、なんでテストの点数が悪いんだろう。
きいてるふりかな?すごいな。
はぁ。風が気持ちいい。
僕は一人で僕だけの時間を過ごしている。
先生にも、友達にも特別な感情はない。外の景色と同じようにただそこに在るだけ。
ただこの景色は、景色なのに僕をかすめ取ろうとしてくる。
当てられると、答えなくてはいけない。
テストという形で、取り込まれているのか確認してくる。でも、僕はその話に興味がないのです。
義務教育という言葉でやらないといけないということや、両親が「ちゃんと」学校に行くと喜ぶのは分かってるから、
何よりもそれ以外の選択肢がないから、僕は毎日学校に行く。
でもね、朝、歯を磨く事や、風呂に入らないといけないことと同じように、ただただ面倒なのです。
だから、取り込まれないように端っこで他のことを考えながら、自由に選べる選択肢の一つとして最低限に授業を聞く。たまには面白いこともあるからね。
時間って消費するものなのかな。
ここにいて良いのかな。
今振り返ると、膨大な時間を箱に詰め込まれて過ごす時間は
全然前向きなものではなくて、時間の消費(いや浪費)のように感じていたのかもしれない。
ゲームに興味がある。
人の欲望を研究し尽くして、時間とお金を消費するための仕組み。
ゲーム好きの友人から、「毎月1000万円ゲームに使っている人がけっこういる」という話を聞いた。
試しにやってみると、確かに簡単にハマる。
人の競争心、少しずつ成長したい欲、強くなって敵を倒す。
僕たちは人の作った無意味なのに意味があると感じる仕組みに簡単にハマる。
勉強を頑張ると、少しずつ成長してテストで順位が出る。いい大学に行くといい就職ができて、高い給料をもらえると幸せになれるらしい。
ゲームと学校の勉強の仕組みはとてもよく似ている。僕はそれに取り込まれたくなかったのかもしれない。
大人になって、時間や意味について考える事ができるようになった。
今では、例え勉強会に参加してもつまらないと感じたらすぐに出てくる。
僕に与えられている命の実態は、時間だ。つまらなくて、意味のないものに使いたくない。
意味のある時間の積み重ねが人生そのものだし、より良い未来を切り開くと感じている。
では意味があるとはどういう事か?
お笑い番組を見て、大いに笑う。意味がないと感じる時間をゆっくり過ごす。
普段出会えないような人に会うために会合に参加する。
色即是空、空即是色。
意味なんて自分で作るものだ。今この瞬間に意味を与えられるのは自分だけだ。
学校の勉強に意味を与えられなかったのは、僕が未熟だったからかもしれない。
いや、その時間のお陰で今このように考えることができるなら、その時間にも意味があったのかもしれない。
人は意味を求めたがる。
勉強することに意味を持てた人は、一生懸命授業を聞くことができる。
ただ、意味は誰かに示さるものではないはずです。親を喜ばせたり他人からすごいねと言われるというだけの意味は意味とは呼べないと思うのです。
誰かに与えられた意味で生きることで、自分で意味を考える力が奪われる。
そう考えると、意味を勝手に決める親とか学校とか仕組みって恐ろしい。
自分の命の意味は自分にしか分からないはず。
意味のない時間を過ごし、そういうものだとトレーニングを学校で受けすぎた僕たちは、
本当に意味がある場所にいれているだろうか?
そのことを考えることができているだろうか?
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