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"多様性を活かした意思決定: 「軸と枠」でコンフリクトを乗り越える"

7月からEOという経営者団体の東北の会長を務めること。(個性の強い多様なリーダーの集まり)

自社で行っている自律共創組織において、起きがちな「グリーンの罠」(関係が良くなる=仲が良くなると周りを慮って結論が出ない)に対して、

1,自分の中で整理すること。
2、それぞれの組織のメンバーに考え方を共有すること。

以上の2点を背景に僕の組織における意思決定の考え方を整理しておこう。

という意図で文章をまとめます。

前提として、僕が標榜する組織は多様なメンバーが、本質的な目的(パーパスやミッション)に向かって全員が深く信頼関係を構築し(コネクト)、個々人がワクワクをエネルギーにPLAYFULLに仕事をしている状態を目指しています。

多様な組織で、個々の個性とワクワク(自分の信念)を重視しますので、その開放を行うことで、

「意見の違い」というコンフリクトが起きがちです。(必ず起きます)

極限まで権限委譲をすることで、大きな方針の中でそれぞれがスピーディーに意思決定できるというのが基本の考え方ですが。

どうしても、全体で議論して1つの方針をまとめていかないといけない局面が発生します。

そして、その場面で「個々の意見を尊重する」という基本スタンスによって議論がエンドレスに続く&無難な答えと遺恨が残ることがよく起きうるのです。

この議論自体はとても意味のある時間ではありますが、諸刃の剣といいますか?擦り合わないと致命的な分裂の危機を引き起こしかねません。

典型的コンフリクト(父性と母性)

イメージしてもらうために小さな組織と言っても良い「家庭」において良く起きる意見の衝突を想像してみてください。

「子供の教育方針」

一般的に父性的な考え方は、「挑戦して、失敗から学ばせたい、過保護は良くない」

一般的に母性的な考え方は、「苦しませたくない。寄り添って守ってあげたい。」


となりがちです。それぞれの意見についてはなんとなく知ってはいても

「進学」などの大きなイベントが発生する際には大きなコンフリクトが発生します。


そこで男性性と女性性が統合(双方がお互いの意見を理解、尊重し納得のいく結論で合意する)できればよいのですが、統合できない場合どちらかが意見を押し通し、どちらかが大きな遺恨を残す形になります。


この遺恨は根深いものです。

それが原因で離婚に至るケースも珍しくないのではないでしょうか?


組織においても何かしらの意思決定において、この「遺恨」は組織全体のエネルギー値を大きく下げます。ゆえに意思決定に億劫になり、現状維持という無難な策をリーダーは取りたくなります。

が、現状維持に支配された組織が衰退していくのは日本にいればよく分かることではないかと思います。


多数決、ルールと全員一致

家庭という最小単位の組織においてもこれだけ厄介な意思決定を、大きな組織で行うためには、いちいち全員の統合を行うことができません。

ですから民主主義という仕組みの中で、多数決やルールという仕組みを考えだし

「意思決定」のスピードを重視するという手法で世界は運営されています。


しかし、経営において「多数」が考えることよりも「少数」にその本質が隠されていることも多く、多様性の重要性がそこにあるといわれるようにもなってきています。民主主義の限界という話もよく聞くようになってきました。

個人的には何よりも多数決や、ルールによって排除された「個人」のエネルギー値の著しい低下は組織にとって大きな価値の毀損だと思います。

何かしらのルールを事前に設けて、例えば親族全体の多数決で子供の進路を決められたらどうでしょう?それが自分の意見と全く異なるとき、残るのは絶望や諦めです。

ではどうしたら良いのでしょう?

多様性を持った意見をそれぞれが尊重、尊敬しどうやって1つの答えを導き出せばよいのでしょう?先日の経営者団体(世界中にメンバーのいる多様な団体)で、意思決定についての端的なキーワードがとても参考になり、賛成できるので紹介します。

「軸と枠」という考え方です。


軸と枠

意思決定の基準を個々人がゼロから考え始めるのではなくて、一定の基準「軸と枠」を前提に、その視点でそれぞれが考え、議論しましょう。という事です。


軸というのは判断の軸という事ですね。

会社で言えば、「儲かる事」という軸を設定することもあるかもしれません。社員のため、顧客のため、あらゆる軸を考えられますが一般的には「PAVやMVV」が基準になるのがブレない意思決定に繋がります。


以前に書いた文章で「真善美」を軸に考えましょうと書きました。


子供の進路についてはどうでしょう?

「子供の幸せ」という軸について議論がスタートすれば、

「挑戦して、失敗から学ばせたい、過保護は良くない」

「苦しませたくない。寄り添って守ってあげたい。」

いずれも、子供の幸せを起点に考えている事の相互理解が出来るのではないでしょうか?

同じ子供の幸せというゴールについての考え方の多様性をいかに統合できるかという発展的な議論ができるイメージが湧くのではないでしょうか?


違いは尊重すべきもので、自分の考えに囚われず、本質的な問いに対して異なる意見を丁寧に聴くことで、意見は集約していきます。


より本質的な問からスタートしないと人は自分の意見にアイデンティティをのせてしまい感情的になりがちです。こちらも過去のノートを御覧ください。

へぇそうなんだ2|西坂勇人/GCストーリー @GCNISHIYAN #note https://note.com/gchayato/n/nfce1d0fbbbdf

枠とは何か?

一方、組織全体として

「この一線を超えてはいけない」という前提としての(一般的な納得感のある)枠を設けることで、議論の無限的な拡張を防ぐことができます。

例えば会社において

「横領」について、ゼロベースで是非を議論する事は生産的ではないかもしれません。

例えば、「法律に違反しないこと」というのは枠になるかもしれません。

(個人的には、これらの内容でも議論する価値はあると思いますが)


経営者団体においては、組織内の

セクハラ、パワハラと報復、✕被害者からのクレーム


という枠を設けるという事になっています。

多様な意見の中で、世代によっても環境によっても、セクハラ、パワハラの概念は異なりますが、これらは加害者側の主観ではなく被害者側の主観で決まるものですから、被害者側が被害を訴えた時点で議論の余地はないというのが、今の世界の常識になっています。


また、人間関係において意見の相違や被害を訴えられた事などによる報復行為についても問答無用というスタンスです。

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