「人に迷惑をかけるな」


「人に迷惑をかけるな」って、突き詰めて考えると、、まあ無理なんですよね。
同じ空間にいるだけでも、たとえ話さなくとも、関わらなくとも存在自体がお互いに何らかの影響を与えてしまう。

迷惑かどうかは受け手の認識でもあるからどうしようもない場合もあるし。 自己開示して関係を深めるきっかけも削ぐ気がするし、初対面の人とかに話しかける時「迷惑じゃないかな?」とか躊躇してしまわないだろうか?

もちろん限度はあるけど、
迷惑はかけてもいい(かけざる得ない)。その代わり助け合おう
くらいの方が気軽に人と接せるし気が楽そうだ。


電車の遅れで…

迷惑と言えば、昨日電車が2、3分の遅れで、車掌さんがとても大きな声で危機迫るように早口で何度もアナウンスを繰り返していた。(時間はAM10時30分ごろ)

聞いているこちらとしてはただ事ではないと何だか焦ってくるし、2、3分以上に時間に遅れが出ているような大変な気がしてくる。
必要以上にアナウンスを繰り返すと、2,3分遅れることは非常に罪深いことだという怒りの心理を助長させないだろうか…

しかし、アナウンスをそうさせてしまっているのは乗客の日頃の圧力によるものでもあるのでしょうね。なかなか根が深い…


「お客様は神様だ」

「働き方改革」も叫ばれる昨今、働き方も

「とても便利(消費側)、だけど過酷な労働環境」
          から
「多少は不便(消費側)、だけど働きやすい労働環境」

に、もう少し軸をずらしてもよいのではと思う部分もある気がする。
少なくとも二、三分遅れた電車を謝らなくてもいいですし、
必ずしも一日以内の配達を心掛けようとしなくてもいいですよ。

「お客様は神様」としてしまうと、過剰サービスで働き手が必要以上に疲弊するし、消費側に回った時にそのような横柄な態度が再生産される恐れはないでしょうか。

喜んでもらうための質の高いサービスを追求することは素敵なことですが、もはやトゥーマッチ!な部分も。
結局は自分達の首をしめることになっているのでは?

鈴木


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?