1924年7月 仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件 -『ベトナム国民党沙面炒弾案声明文』全文

 ベトナム独立運動家ファン・ボイ・チャウの自伝『自判』㉒最終章中に、仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件の詳細が書かれた烈士范鴻泰(ファム・ホン・タイ)』の項があります。

 この、仏領インドシナ総督メルラン襲撃事件』に関しては、以前に詳細を記事に挙げてありますので、宜しければご一読お願いします。

 この事件に関して、『自判』にはこう書かれています。⇩

 「20日、ホン・タイ烈士の死体が川から引き揚げられた。現地で葬儀が執り行われ、墓地に埋葬された。私は、後にこの事件に関連する文章を何篇か書いた。それが、『烈士范鴻泰先生伝』、『沙面爆弾投下事件に関するベトナム国民党宣言書』、『同志たちによる范鴻泰君追悼の祭文』などだ。

 この⇧中の、『沙面爆弾投下事件に関するベトナム国民党宣言書』は、大岩誠氏著『安南民族運動史概説』(昭和16年)邦訳文が全文掲載されています。
 事件後の広州界隈では様々な憶測や噂話が流布された為、真実を明らかにする目的でファン・ボイ・チャウが『越南国民党全党員』の名地元新聞へ投稿したのがこの声明文です。

 ファン・ボイ・チャウの直訴文。西洋植民地支配の恐怖と悲惨が能く解かる、大変貴重な歴史資料の一つだと思います。😢😢😢⇩

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 我等は此に声明す。

 我党は、本来極めて高尚にして公明正大善良なる主義主張を懐抱するに拘わらず、尚時に却って極めて凶暴野蛮の行為に出ることあるは、固より甚だ遺憾であるが、其の情に於いては大いに諒とせられたき所以のものあることを、全世界人類同胞諸君に訴う。広州沙面爆弾事件発生以来、各国の輿論は未だ我党の真相を明にせず、或いは局外者の推測に依ってこれを他の煽動に動かされたるものとするが如きに至っては、我等はこれに対して十分の弁明を為さねばならぬ。

 平和の地に血を流し、宴会の席に人を殺し、敵の不覚に乗じて残忍なる死刑を加うるは、人道上誠に忍び難い所であるが、我党員は止むを得ずして此の毒手を下したのである。何人が止むを得ざる手段を執るに至らしめたのであるか。それは人権を蹂躙し人道を無視するフランス保護政府自身に外ならぬ。フランス人は本来野心満々、ナポレオン時代から大帝国主義を以て世界に聞こえた国である。共和国となって以来、衣を換えて其の身体を変えず、陰険、狼毒、世界に比無し。我が民族不幸にしてこの極悪政府に逢い、強権を以て封土を占領され、一切の人権は剥奪し尽され、世界の牛馬も之を我民に比べれば尚尊崇であり、世界の奴隷も之を我等に比べれば尚幸福である。
 
 僅かに一、二の事例を挙げても尚其の残忍無道の証とするに足る。中圻の人、陳季合(チャン・クイ・カップ)の如きは専ら新学を講じた為に遂に極重の死刑に処せられ、北圻の人、黎大(レ・ダイ)の如きは唯新書を翻訳した為に、遂に終身の禁獄を科せられた。現今の法律の如きに至っては、2人商議する者あれば陰謀の罪状を以て之に擬する。我国民一人が反逆罪に問われれば、連座する者千百余家、一言政府の意に違えば直ちに逮捕の刑を受け、禍の及ぶ所殆ど測り知り難い。南北の両圻地方は、時として外国に聞こえる恐れあるが故に、残忍の手段も尚わずかに軽い所があるが、中圻地方に至っては横暴にして権威を乱用し、其状の甚だしき実に筆にするだに忍びない。蓋し此の地方は暗黒にして日を見ざる地とも云うべく、実に豺狼が人を食うの区である。悪名は悉く之をベトナム国皇帝に嫁し、実利は之をフランス政府に帰する。陰険狼毒に比論が無い。我が国民党員は、密かに敢えて人道の先鋒軍たらんことを希い、憤激志を立てること数十年、而も天は方に凶悪に味方して武を用いることが出来ぬ。赤空手拳の義民志士も、到底飛行機潜水艦海陸軍隊に拮抗し難く、日夜焦慮、而も殆ど策無きに窮す、計は唯張子房の椎に非れば、祖龍の魄を奪う可らず、温生才の弾に非らば、満清巨頭の炎は挫くべくもない。固より暗に乗じて賊を撃つは人道上宜を得たるものに非るは明に知る、而も「人を以て人を治す」は天の許す所である。これ実に沙面爆弾事件の発生した所以であった。

 我党の此の挙はもとトンキン総督府と、サイゴン軍司令部との間に施さんとしたのであった。併しながらフランス刑法は確然たる規定を設けず、高下伸縮自在である。事件が内地に発生すれば即ち無辜の同胞ほしいままに連累の厄に遭い、其の奇禍の及ぶところ実に云うに忍びざるに至ろう。我党は、同胞愛護の点から見て、彼一人を誅して禍を無数の同胞に及ぼさんことを怖れ、志を忍び怒りを抑えて、一日千秋の思いで其の機会の到来を待って居たのであった。幸いにこの時に当たって、フランス政府の総督メルランが日本に使し、途上支那を過ぐるは実に乗ずべき好機である。天幸いに壮挙を成功せしめば、禍は僅かに下手人自身が之を受けるに止まり、国内の同胞は一人も連座の憂いがない。而も沙面は洋人の管轄区域である。事件発生は支那人にも相関しない。是れ実に我党の自ら大に意を得たりとした所であった。

 之に就いて今、我党が全世界の人類同胞諸君に声明せんとする所は、次の二点である。
 其の一、我党の暗殺せんとした者はフランスの一個人メルランに非ずして、フランスの代表者メルランである。もしメルラン氏がフランスの一私人として我等と相会えば、我等は必ず手を握って相親しみ、四海兄弟の同胞と認め、決して過激手段を以て相対する者は無い。今我党が此の過激手段に出でたのは、残忍無道なる国家の代表者たるが故である。
 世界の同胞諸君よ、爆弾事件の首謀者は何人であったのか、其の首謀者は決して余人では無い。乃ち非人間的なるフランス政府夫れ自身に外ならぬ。残忍無道なるフランス政府の尚存する以上は、即ち爆弾事件首謀者の探索は無用である。想い見よ、一人を暗殺すれば之を以て重罪人とする。然らば明に一国民族を蹂躙し、明に数千萬人の民権を剥奪する者は、重罪人に非ずと云い得るか。此の凶犯に因って彼の凶犯は激成されたのである。故に爆弾事件の首謀者は、決して彼に在らずして此れに在ることが明らかであろう。

 其の二、フランス政府にしてもしこれ等の事件の再発を欲しないならば、其の方法としては極めて安価なる代償の支払いを以て足る。即ち我党の要求を応諾すれば事済むのである。我党の要求とは外ではない、只皆人道上当然の希望たるに止まる。
 先ず民族自決の権利は我がベトナム人民に必ず之を享けねばならぬ。フランス政府がもし能く極めて近き将来に我がベトナムの独立を許し、我が人民の権利をも我が人民に還えし、而してベトナム人とフランス人と両者を平等博愛の地位に居らしめば、之を最上策とする。
 もし此の策を困難とせば、専制の法律を廃して立憲制の法律を以て之に代え、一切の政治犯人を大赦し、私人の海外営業留学を自由にし、一切の集会、結社、著作、言論の苛禁を取り消して其の自由を与える等の一部の幸福を我がベトナム人を享けしめ、而もフランス人には尚其の別に得る所の特権を与えるも宜しかろう。是れ中策である。
 もし万一これをも不可能とするならば、則ち宜しく無数の飛行機潜水艦を派し、無数の陸海軍隊を驅って、大にベトナムに集め、ベトナム全国の国民を屠殺し尽して残る所無からしむるが宜しかろう。是れすなわち下策である。而もフランス政府の為に計るに、彼は当にこの三策の中何れかに出づべき筈である。もしこれ等の三策共に行う能わずとすれば、即ち我が国民党員は当にフランス政府に対して死に至るまで変わらざる戦闘を為すであろう。彼は銃砲を以てし、我は筆舌を以てす。彼は陸海軍を以てし、我は全ベトナム国国民の人心を以てす。彼は全世界帝国主義国の援助を以てし、我は全世界諸平民主義国の援助を以てす。最後の勝利は勢い必ず我党に帰するであろう。万一我党の勝利が未だ近き将来に得難いならば、即ち又必ず我党の奮闘精神と其の腕力とに頼んで、決して在ベトナムフランス政府をして一日も枕を高くするを得せしめない。
 今回のメルラン襲撃はただ一種の警告に過ぎない。今後必ず尚これに類する事件が発生することがあろう。
 全世界の同胞諸君よ、願わくば幸に我が国民党党員の為に其の心情を憐れみ其の罪を寛恕せよ。謹んで之を声明すること以上の如し。更に伏して願わくば人道を支持する諸君よ。我党の為に輿論の援助を与えよ。是れ誠に我党の幸であり、ベトナム全国民の大幸である。

 西暦1924年7月
            ベトナム国民党全党員声明


 
 

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