『クオン・デ 革命の生涯(CUỘC ĐỜI CÁCH MẠNG CƯỜNG ĐỂ )』(Saigon Vietnam,1957) ~第1章 少年時代 ~
昔日の王国時代、ベトナムは独自元号と旧暦を使っていました。
クオン・デ候の敬称は『畿外候(きがいこう)』、皇帝の継嗣系外という意味だそうです。
ご本名は『Nguyễn Phúc Dân (グエン・フック・ザン)=阮福民』です。
第1章では、クオン・デ候はご自分が生まれた頃のベトナム国内状況と、1885年7月4日の咸宜(ハム・ギ)帝の詔勅による抗仏蜂起のことなどに言及しています。
ハム・ギ帝は捕えられ、フランス領アフリカへ流刑になりました。しかし忠臣潘廷逢(ファン・ディン・フン)は降伏せずに孤軍奮闘で徹底抗戦を構えており、この抗戦の大義名分となる帝に代わる皇室の人物として白羽の矢があたったクオン・デ候は、頭領として弱冠13歳の時に出陣する決意をしたのです。
初陣にあたり、「父の厳訓を聞いた時、瞬時にこれが自分の本分だと悟ったのです。即これを拝命し、直ちに出立を願い出ました。」とクオン・デ候が言う場面は、日本の武士の出陣の様子と全く変わりません。
阮(グエン)朝の2代目明命(ミン・マン)帝(在位 1820-1841)の時、国政安定のため儒教を国家正道と定めて勉学を奨励し、また、第4代目嗣徳(トゥ・ドック)帝(在位 1847-1883)も、儒者の様な外見と達筆で知られており、質素堅実、謹厳実直な質を以て公けに学問を奨励しました。
ですから、この明命帝から嗣徳帝の3代、約63年の間に、儒教が国学としてベトナム国民へ広く浸透していたのだと思います。
その影響でしょうか、クオン・デ候も、尊敬する日本の偉人に明治維新のあの『陽明学の志士』の名を挙げています。
**第1章 少年時代**
越南元号嗣徳(トゥ・ドック、Thủ Đức)33年-壬午1月11日生まれ(西暦1882年)。時代は正に、激しい攻撃を受け続けたベトナムが亡国となっていく最終段階でした。
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