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ヒットラー時代のナチス・ドイツの経済政策

 つい先日、携帯画面のニュースに、『トランプ氏が”ヒットラー”を称賛』という見出しが目に入りました。読んでみると、米大統領候補トランプさんの元側近の証言を、対立候補ハリスさんがこれを危険視して厳しく批判したという流れのようです。⇩
 トランプ氏「ヒトラーは良いこともした」 元側近が証言、波紋広がる
 トランプ氏の“ヒトラー称賛発言”「非常に危険」ハリス副大統領が批判 

 関連のネット記事中、”おおっ!!”と思う記事がありました。⇒トランプ氏がヒトラー肯定発言?で物議 舛添要一氏「ジェノサイドと経済政策は切り分けて評価を」
 日本人の舛添氏は、”『経済政策』と『ジェノサイド』は切り分けるべき。”、ドイツ人の方は、”戦争の為の経済政策の、敢えて良い面を見る必要はない。” 要するに、

 学者の舛添氏 ⇒『ナチス経済政策の再評価を!』
 ドイツ人文化人⇒『ナチス経済政策は評価に値しません!』

 このような⇧意見の相違のようです。しかし、そもそも『ナチス経済』って何なのさ?が解らなければ、討論番組を見ている視聴者はどっちを”応援”していいか判らないですよね。視聴者はいつも置いてけぼりだ。。(笑)😂😂 
 それで、以前読んだ古い資料を思い出して我が家の本棚をごそごそしたら、これがありました。⇩

 『ナチス新興経済の指導原理と政策 ー訪独視察報告ー 亀井貫一郎』

 発行日は昭和13年8月、発行元は『東京講演会』、会員向け配布冊子です。
 ワタシは、、、ただの仏印史オタクおばさん😅ですが、日本軍の『仏印平和進駐』前後は日本の激動期ー『支那事変』『日独伊三国同盟』『日ソ不可侵条約』等と時間が丸被りしている理由から、史料中いつも一緒に掲載されているそれらに関する記事なども結構読んでたりします。。😀😀

 さて、講演者の亀井貫一郎氏のネット情報がこちら⇒亀井貫一郎 。
 亀井氏は、1937年11月から翌年5月まで半年間ドイツに滞在
して新興ナチス・ドイツ経済を直接現地で視察し、帰朝して3か月後の8月に招かれた講演会の時の速記録。
 講演会の冒頭に、亀井氏ご本人はこう言っています。⇩

 「…そこで、然らば向こうがお前に話した話は一体どの程度まで信頼が置ける話か。色々な人が日本からも沢山行っているけれども、どの程度まで向こうはお前に打ち明けたのかというと、私にも分かりません。」

 要するに、、、今も昔も日本人は、”海外視察大好き”で”海外旅行に社会見学がくっ付いている=海外視察”程度の人が殆どという状態が何となく判明します。😅😅 海外旅行気分の訪問者相手に海外の要人が腹割って重要な話する筈なく。ワタシも若かりし頃に色々な会議で日越通訳をやり、本当にナサケない思いをしたのでよく判ります。(しみじみ…😢😿)

 そんな中、亀井氏の情報は誰から、何処からかを明らかにするために、亀井氏は個人的なドイツ要人らとのエピソードを紹介していますが、これは後日別途記事を挙げたいと思うので、まずでは『ナチス・ドイツ経済』です。⇩

 そこでドイツで一番面白いのは、…ドイツの経済であります。…所謂いま日本がやらんとしているかに見えます官僚的統制経済とは、凡そ似ても似つかぬものであります。然らばソ連邦がやって居りますような計画経済かと言えば、これとも全く違うものであります。然らば自由主義経済かと言えば、自由主義でもない。これは実に何と申しますか、面白い新発明の経済でございまして、(中略)…ですから何と申しますか、所謂統制経済に非ず、計画経済にあらず、強いて申しますれば大事な所だけを動かさんようにきちんと政府が押さえて居る。つまり要点管理主義、全体的生産力拡充経済とも称すべきものであります。この経済は日本に非常に参考になる所があるのであります。

 要するに、この時期のドイツは、行き詰る旧来の自由主義に代わる『新・国家経済システム』を構築していた。。しかし、これはどんな背景があって編み出されたのでしょうか?⇩

 ドイツの(第1次欧州)戦後4回に亘ります所の非常なる苦難の中から、遂に今までの考え方を諦めまして、一つの独創を致して参ったのであります。第一回は御存知の通りドイツの苦難は欧州大戦後の崩壊、第二回はインフレーション、第三回は1930年末から1931年の末に至ります間に、世界を襲いました大不況(=世界大恐慌)であります。(中略)ドイツの学者によれば、…イギリス、アメリカ、フランスは世界の大不景気に際会して、自らの世界最大の市場から他国を締め出してしまった。…市場に他国入るべからずという政策を立て、そうして世界不況の圧力を、そうでなくても弱っているドイツに転嫁した。…そこで已むを得ず泣きの涙で百貫目の石を背負わされて登り出したのが1931年で、漸く4合目まで登りましたのが1933年、力尽きて遂に強力政権が代わりましたのが、即ちヒットラーーナチス指導部の登場であります。

 第一回欧州戦の敗戦国だったドイツの困窮状態は、それはそれは苛酷だったようです。弱り切って助けを求める国に襲い掛かるハイパー・インフレ、、、嗚呼、それなのに。自由主義の本家だったイギリス・アメリカ・フランスが共に市場締め出しのブロック経済で”反・自由主義”、、、なりふり構わずにドイツの息の根を留める作戦だったのか。。。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
 そんな苦難の道を歩く中で、ドイツが編み出した経済政策とは、⇩

…兎に角1931年の不況からナチス政権獲得の1933年、これから以後をナチス経済が一貫してやって参りました経済政策上の理論は何であるかというとこれは非常に面白いのであります。それはヒットラーが政権を獲りました時には、兎に角食わさなければならん、人間が6百萬人、家族が4人ずつあるとしても2千4百万人、これに働き場所をやらなければならん、仕事を与えなければならん。その仕事をやるには、それに信用を与えなければならん。そこでナチス経済の理論は、ここから始まります。従来の資本主義経済学が金と不動産とがある者に信用を与えて居たというのに反して、吾々(ドイツ)の経済は労働力に信用を与える、今までの社会主義経済が資本主義経済を攻撃するに当たって、労資の関係だけを見て来たのが誤りであって、金融問題が新しく攻撃の目標にならなければならない。…即ちナチスは何をやったかと言えば、…政府借入の短期大蔵省証券、或いは通貨の増発に拠ったのではありません。…1934年に(ヒャルマル・)シャハトがドイツの、日本より発達しております所の(ドイツの)工業生産金融の制度を銀行及び保険会社の総動員体系を作りまして、これを確立した上にやりましたのが手形です。

 この手形とは何でしょうか?⇩

 第一は即ち御存知の通り租税代用証券(Steuergutichein)であります。例えば地下鉄が本年度の税を納める。その額が分かれば来年度の税額は略見当が付きます。その税額を書き出せば、来年度の税額に当たる部分を、政府が租税代用証券を与えるのでありまして、言わば来年度に収める税を本年の信用に使えるということになるのであります。これは非常に徴税費も楽になるし、又沢山金を借りたいから申告も隠さない。そうして貰いました証券を支払いに使いますと、支払って貰った人は自分の税を納める時に現金の代用に出来るというのであります。
 もう一つはArbeitbeschaffungs Wechsel、企画院では労働調達手形と言って居りますが、吾々(日本)は労働創造手形と言って居ります。

  この『労働創造手形』⇧は要するに、失業者の失業期間=国家経済のロス分なので、ならもし資本家が仕事をして労働者を雇えば、労働者の人数分x賃金5年分を先付に渡す手形です。国家にとっては完全にロスになる筈だったマイナス分を将来の生産と資本へと転嫁できることになるカラクリです。この結果、どうなったのでしょうか?⇩

 こういう風に致しまして大いに信用を拡張致しました結果、全ての事業が振興致しまして、休んで居る設備は働き出しまして、その為に失業者は無くなり、皆が働くことになりましたので、国民の総所得は1932年の450億から、昨年度の680億に殖えた。だから税は自然増になりまして、49億マルクの税が昨年度は109億マルクに殖えました。そうして貯蓄はどうかというと、銀行預金は銀行に古い債務を払って、尚長期工債を引き受けた後また殖えて来た。…これに依ってナチス経済の金融が分かりますが、短期手形を無限大に振り出して、これに依って生産事業の振興、国民所得の増加、それに基づく政府の税の自然増収、之が一つ、一般の貯蓄増加から参ります所の長期公債の引受能力増加、之が二つ、という訳で、この二つで短期振り出し手形を漸次切換えしながら、これを順次循環して行こうというのでありまして、…最早ドイツは動きの無い堅実な経済が出来上がったのであります。

 しかしです。こういう風⇧に、
 「矢鱈に、信用を拡張すれば、必ずこれは物価が上がる。購買力が出て来る。新しき資本需要が新事業となって現れる。証券市場は攪乱をせられる、資本は逃げる。為替は下がる。こういうことになるから、これは所謂経済学者がよく仰れるインフレーション」が起こる懸念がある。。。
 で、この対策として資金回転を促進させる為、企業に対しては『政府指定商品購入奨励制度』や、労働者が進んで高額の税を納める為の厚い社会福祉政策があったそうです。

 えーと、こうしてナチス・ドイツの経済政策の面だけを切り離し、ピック・アップしてみて見れば、なるほど、上⇧の動画の中で舛添氏が言う、
 
 「50年前にミュンヘンで学んでいた頃、下宿先の主人に”生涯でヒトラー時代が一番よかった”と明かされ、時代によって評価が変わるが、なぜ当時のドイツ人がヒトラーを支持したのかを見る必要がある。」
 「支持する理由として、主人は”子どもの時におやじが失業者で飯も食えなかったが、ヒトラーが政権を取って、失業対策をしたら就職できた”と語ったという。600万人ほどの失業者がいたが、ナチス政権で一気に減らした。子どもの頃の苦しい生活から『よかった』と感じたのだろう。

 亀井氏のドイツ視察報告から、当時ヒットラーの下で新興ナチス・ドイツが行った経済政策を詳しく知れば、若かりし頃の舛添青年がドイツでドイツ人の年配者から聞いた話は確かに納得出来てしまうではないですか。。。

 日本の今。どうせ崖っぷちなら『ナチス・ドイツの経済政策』だけを切り離して議論してみても、決して無駄だとは言い切れない。😂

 いや、そんな大それたこと、議論なんて、お、恐ろしい、、、『パンドラの箱』を開けたら怖い怖い何かが一緒に出てきてしまう恐れが有るのかな。
それは、ヒットラーとナチス・ドイツが明確に敵認識していたアレのことかも知れません。。。⇩ 

 従来の資本主義経済学が金と不動産とがある者に信用を与えて居たというのに反して、吾々(ドイツ)の経済は労働力に信用を与える、今までの社会主義経済が資本主義経済を攻撃するに当たって、労資の関係だけを見て来たのが誤りであって、金融問題が新しく攻撃の目標にならなければならない。

 …来るべき新しき国家というものはどうなるのであるか、こうナチスは言っているのであります。産業技術が変わる。社会の構成的基礎が変われば国家の構成の建前も変わる。だから新しき国家というものは、その上にどうあらなければならないかといえば、法制国家が経営国家に変わるのである。
 …第一はこうなって来れば、政府が金融の主になる。ナチスの政策は金融奴隷の廃止だ。金利は止められないが、金融市場で金を持って威張る者はない筈だ。誰でも生産力を持ち、生産設備を持つ者には、国家は金融を与えなければならない。即ち労働の生産性を目標とする。(中略)金融資本家はいけない。政府が銀行と一緒になって金融を付ける。すると資本家という者はどうなるか、多数の生産品を作る工場が出来て参りますと、従来の様にその行程のことが分からない資本家というものはやって行かれない。そこでナチスは、将来の資本家は変わらなければならぬ。株式だけを持って配当だけ貰って俺は社長さんだというのでは困る。やはりその道で十年間苦労して来た、技術なり、経営なりその総合なりで苦労して来たという資本家は有難い資本家だが、唯あれは配当が好いからと株を持って、会社を乗っ取って金利ばかり稼ぐような者は資本家とは考えられない。
 

 あの時、、、ナチス・ドイツも、”バスに乗り遅れるな!”とナチス・ドイツの様の超福祉国家を目指した日本も、一体”誰の逆鱗”に触れたのか。😣

 
 
 


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