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ベトナム革命志士 潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)自伝『自判』③『年表・第一期(1867年~) ・幼少期と我が家族』

  ベトナム革命志士 潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)自伝『自判』

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   『年表・第一期(1867年~)』


 幼少期と我が家族

 私の父は潘文譜(ファン・バン・フォ)氏、母は阮氏嫻(グエン・ティ・ニャン)女史。当時の我国は阮(グエン)朝期、元号嗣徳(トゥ・ドック)20年の丁卯(西暦1867)年12月、母は、 母の生まれ故郷乂安(ゲ・アン)省に聳える雄(フン)山の麓、藍(ラム)川流れ入る東烈(ド ン・リェット)社の沙南(サ・ナム)村で私を生んだ。
 先祖代々の書読み家だった我が家は、グエン朝に入ってから清寒の暮らしを続け、祖父を亡くして後は更に衰微したが、私の父親が儒語の才に恵まれたお蔭で、≪筆耕硯田 (=文筆で生計を立てること)≫、何とか日々の生活には事欠くことは無かった。
 父は30歳で母を娶り、36歳の時に私が生まれた。その年は、丁度祖国が南圻(ナム・ キ=南部)地方を失ってから5年が過ぎた頃。生まれ落ちた赤ん坊が挙げる産声は、「おい!お前は既に亡国者だぞ!」との警告の如く響いた。

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