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Trần Trọng Kim(チャン・チョン・キム、陳仲淦)著『 Một cơn gió bụi(一陣の埃風)』全文邦訳 出版のお知らせ

 先月Noteに投稿してました、チャン・チョン・キム著『 一陣の埃風』 ですが、昨日漸くアマゾンに出版ページが出来ました。⇩

 チャン・チョン・キム 回顧録 一陣の埃風: ≪1945年4月ベトナム独立政権誕生秘話≫ (MyISBN - デザインエッグ社) | 何 祐子 |本 | 通販 | Amazon

 表紙は、ベトナム語原本を見本にしました。⇩

 今回初めて自分でパワポで作成したんですケド、、上半分が白なのでこの様に画面上ではバックに同化してしまうんですね、、(←初心者😅🔰)これを教訓に次回また頑張りたいと思います。。

 でも、取敢えず出版が出来て安堵しています。これでまた一つ背中の荷物が降ろせた様な気が勝手にしています。😊😊😊
 
 本の目次です。⇩
 

目次
・訳者序文
・チャン・チョン・キム著 『MỘT CƠN GIÓ BỤI (一陣の埃風)』(1969) 
‐永山(ヴィン・ソン)出版社 挨拶文 
‐見聞録読者への言葉
‐チャン・チョン・キム氏の遺影
‐第1章 無為と静寂の日々
‐第2章 昭南島(シンガポール)へ
‐第3章 バンコク、そしてサイゴンへ帰還
‐第4章 フエ新政府樹立
‐第5章 ハノイへ  
‐第6章 ベトナム政府と国内情勢  
‐第7章 共産党の理念と行動
‐第8章 ベトナム政府とフランスの交渉
‐第9章 中国へ渡る  
‐第10章 フランス・ベトナム戦争
‐第11章 サイゴンへ
‐第12章 プノンペンへ
‐出版社 附録 
1、チャン・チョン・キム内閣による宣告文  
2、日本降伏の確実な情報を得た後にバオ・ダイ帝が下賜した勅書
3、バオ・ダイ帝退位の詔書(国民/皇族向け2書)
・訳者あとがき
・引用・参考文献

 これがワタシ、😅『何祐子』😅の序文とあとがきです。⇩ 

    訳者序文


 1945年3月9日-日本軍部による仏領インドシナ統治当局に対する奇襲作戦 『仏印武力処理』、通称『明(マ)号作戦』。
 1940年9月の北部仏印進駐後、翌年7月に南部仏印進駐も果たした日本は、現地のフランス当局と結んだ協定の下で、約4年もの間仏印現地に在り『静謐保持』方針を守っていました。その日本が『静謐保持』を覆し、仏印の武装解除と武力処理を行った、それが 『明(マ)号作戦』です。この作戦は、奇襲作戦としては異例の大成功を納め、結果、インドシナ3国-ベトナム、ラオス、カンボジア其々の王が独立宣言を発布して、70年以上続いたフランスによる植民地支配に一旦の終止符を打ちました。
 当時のベトナム第13代皇帝バオ・ダイ帝は、独立内閣を組閣すべく元内務大臣だった有力政治家呉廷琰(ゴ・ディン・ジェム)氏を招聘しましたがジェム氏は招聘に応じず、タイバンコックで日本軍庇護下に居た陳仲淦(チャン・チョン・キム)氏をフエに招聘しました。 大ベストセラー歴史書『越南史略』(1920)の編者であり、高名な儒教家、教育家だったキム氏が、どんな理由で新政府首相の就任を承諾したのか、その当時仏印に在った日 本の駐屯軍総司令官や大使たちとはどのような交渉を行ったのか、政権の誕生から解任までの経緯等、これまで日本では日本側に残された資料や回顧録に頼るしか方法が無かった為に、今日までその殆どが深い靄の向こう側にある状態に置かれて来ました。
 併しながら、キム氏は、事実を後世に残すため、1943年頃から1949年までの期間に実際に経験し、目にした真実と経過詳細を一冊の回顧録に纏めており、そしてその回顧録が、キム氏逝去後の1969年に旧ベトナム共和国(南ベトナム)で出版されていました。
 数十年前までは、この様なベトナム語書籍、特に南ベトナムで発刊された古書の入手は非常に困難でしたが、現在はインターネットの普及により何処に居てもダウンロードして自由に読めるようになりました。その恩恵を受けて、キム氏が残した最期の遺稿である見聞録『一陣の埃風』を全文邦訳しました。 日本にとっては、大東亜戦争末期にベトナムに在った我々の先人らの行動を、噂話や脚色等無く真実を知り得る大変貴重な歴史証言書です。
                    
                  訳者 何祐子

  訳者あとがき


 これまでに、明治末の日本に渡来した2人の独立革命家、中部ゲ・アン省出身の潘佩珠 (ファン・ボイ・チャウ)と、ベトナム皇族クオン・デ候の自伝を邦訳出版しましたが、其々で語られる内容の時期は、前者が1867年(出生)から1925年、後者が1882年(出生)から1943年です。2人の自伝からは、フランスという外賊に対峙した当時のベトナムには尊皇攘夷や愛国忠臣という思想背景が根底にあり、≪仏領インドシナ≫と呼ばれ西洋植民地支配下に置かれる前、勤皇志士達の救国蹶起による武力抵抗闘争が繰り返された苛酷な時代を知ることが出来ます。 然しながら、これ以後-1940年頃からのインドシナの歴史に関しては空白が多く、『ベトナム 1945』(2005)の著者である神谷美保子氏は、この様に書いています。
 
 「『東南アジアのドキュメントで最も少ないのは、仏領インドシナの占領期である』と 25年前に指摘されているが、その後も『1941年からのベトナム』と銘打ちながら、日本の進駐も、≪仏印処理」も記されていないベトナムの“歴史”があり、1980年になっても 『1945年のベトナムに何が起こったか、これはアジア地域研究者にとって、常に最大の疑問点であると言われる』と書かれ、『世界大戦が終わりに近づく頃、ベトナムの状況は、おそらく東南アジアの他のどの地域よりも一番複雑であった』等、問題意識のみが浮かび上がっている。」

 これは、更に20年が経過した現在の令和日本に於いても殆ど変わっていない様に思います。我々一般の人間は、目前の経済活動や消費生活に翻弄され、月日が経つにつれ先の大戦の真実を知ろう、史実を探求しようという意識が薄れ易い傾向にある中、特に資料や論文の少ない仏領インドシナ史に対して興味が湧かないのは当然のことかも知れません。 神谷美保子氏の御父上、神谷憲三氏は元職業軍人であり、ハノイで終戦を迎えました。 御父上の同期で親友だった元陸軍大佐林秀澄氏は、「仏印処理後の統治計画要員」とし て現地に赴任し、「当時の状況と本格的な準備」と、仏印処理後の「インドシナ3国の独立の経緯」を詳細に証言し得る貴重な人物でしたが、その林氏がまだご健在の時に神谷美保子氏が直接インタビューをした内容を元に纏めた本が『ベトナム 1945』です。この本の『第4章 インドシナの三国の“独立”』に、『ゴー・ディン・ディエムの首相就任 辞退とトラン・トロン・キム(=チャン・チョン・キム)の招聘』や『トラン・トロン・キム内閣』の節があり、そこにあくまでも日本側の視点から見た当時の現地の様子、独立の経緯、王家の対応、独立宣言の発布や新政府樹立に至るまでの嘘偽りない史実が書き残されていますが、しかしながら、では何故ベトナム側はそう言ったのか等々、彼等の行動、決定、裏事情、背景などの詳細については、当然の如く、はっきり言って日本側では今日まで殆ど分からないままでした。
 ベトナム独立後の新政府首相に就任したチャン・チョン・キム氏は、その波瀾の生涯を1953年に閉じました。キム氏の最期の遺稿となった見聞録、題名『一陣の埃風』は、 1943年末頃に突然日本軍によってハノイからシンガポールに連れ出されたキム氏が、 1949年に一時滞在していたカンボジアで、後世に真実を伝えるという明確な意思を以て自身の日記を元に書き上げたものです。この回顧録の内容は、これまで日本側、林大佐 などの証言だけでは解り難かったベトナム側の諸事情、行動背景、動機、関係性などをすっきり解明し得る貴重な証言が詰まっており、それら多くの内容が、これまで史料不足のため暗中模索でやって来た日本側の研究によるこの期間のベトナム史やキム氏に関する数々の誤った仮説、定説を完全に覆すことが可能だと私は考えています。
 誤った仮説、定説とは、特に仏印処理後の1945年4月に成立したベトナム新政府とキム首相について、日本の庇護下での成立背景や日本敗戦と同時に内閣を解散した経緯から、今日まで一貫して、『日本軍部の傀儡だった』との汚名と不名誉を被り続けて来たことです。しかし、本書を読めばそれが全くの嘘偽りの噂話に過ぎず、真実の姿は180度異なる正義と公明正大、中立公平、正直勤勉を基本とする、独立後の新生ベトナムの誕生だったことが誰の目にも明らかに判る筈です。 今、漸く日本でこの本の邦訳を出版出来ました。これからの日越両国の若い世代が、将来、何かの困難な状況に直面し、過去の真実の歴史を知りたいと欲した時、必ずこの本に突き当たると思います。直ぐには難しいかも知れませんが、その時の役に立てば幸いですし、それがキム氏の意志を継いだことになると信じています。

                     何 祐子

 そして、これがチャン・チョン・キム氏の序文(挨拶文)です。⇩

  見聞録読者への言葉


 私がこの見聞録を書いた理由は、1943年から1949年の6年間に私が行った仕事と、そこで知り得た話を書き留めて、真実を明らかにして置きたい為だ。目的はそうであっても、そこにはあまりにも困難な状況と断腸の思いが詰まっている。故に、あの時に自身が置かれていた状況を鑑みて、この見聞録の題名を『一陣の埃風』と名付けた。

 癸未(1883)年にこの世へ生まれ落ち、今日迄生きて来た。絶え間ない艱難辛苦の経 験から世の中の全てに諦観し、どんな活動にも巻き込まれず、ただ静かに世の移り変わりを眺め月日をやり過ごすことが唯一の願いだった。しかしながら、運命は自分の想いとは正反対に、最もやりたくなかった仕事へ私を投げ込んだ。

 この世界には、どうやら物質的人生の外側に幽蘊、神秘の力が存在し、古典劇の幕が 開いて舞台に上がるが如く、人それぞれが持って生まれた宿命に従い、全ての物事は誰かの手に依ってすっかりお膳立てが為されているようだ。定められた役割を拒否することは叶わず、だたやり切るしかない。
 
 哲学者の言によれば、それは物事の自然な因果関係であり、別段に珍しいものではないらしい。確かにその通りだが、物事の“因”を突き止め、“果”を知ることは簡単ではない。

 私は、宇宙の中で万物を含包する霊光の存在を信じる。万物が有るのも霊光が有る故であり、霊光は、仏、天、道、神などと呼ばれるが、単に呼称が異なっているだけで実際は一つだ。人体の中に於いては、霊光は心とも、我々の行動主体とも呼ばれ、誰でも等しくその心を持っているにもかかわらず、情欲と偏愛の為に個人間で差異が生じるのである。 我々の心が真面目で正直ならば、自ずと心の中の仏、天が磨き出されるのだから、どんな時でも、私は己の心を主とする。
 今ここに、過去に私の行った仕事と、私が知り得た事を書くに当たり、私は己の心に従う。忖度や隠し事、捏造、粉飾は一切しない。人々が真実だけを知り得る為に。 万一、それらの真実が誰かの不都合へ繋がってしまうことがあっても、どうか私の誠心を汲んで頂き、遺恨や非難は抑えて頂けるであろうと、皆様の公明な心を信じる次第である。
                
      己丑年4月4日(1949年5月1日)        
      カンボジアにて
        レ・タン チャン・チョン・キム

 



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