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ベトナム・マクロビオティックの夜明け ~日本食養会の櫻澤如一(ジョージ・オーサワ)ベトナムへ~

 今から30年前に住み着いたベトナムでの思い出話を、あれこれここ【NOTE】に書いてますが、実は当時ベトナム人から最も頻繁に尋ねられた言葉がこれでした。⇩
 「”オーサワ”、を知って居るか?」

 ”え、、😯😯?誰??” というのが、きっと世間一般の反応ですよね。けれども、その頃何処に行っても、”オーサワ”なる日本人の事を聞かれたので、当時まだ20代のギャル😅だった私は焦りました。。。きっと、社会人の一般教養に違いない…と。(笑)
 「日本の偉人」「日本、ベトナム、歴史上の人物」「世界の中の日本人」などなど…色んな検索ワードで「日本人・オーサワ」を調べましたが、それらしき人物は全くヒットせず、結局正体不明のままこの「ベトナムで最も有名な日本人”オーサワ”の正体は一体誰??」という疑問を抱え続けていました。 
 そんなある日、やはり現地に長く住んでいた日本人の友人にこの話をしたところ、”貴方の家の近所に、オーサワさんのお店があるよ!”と意外な情報が。情報を頼りに早速近所(←ホーチミン市一区)を探索し、やっと或る路地の奥に『ゴマ塩玄米食の食養食材』という店を発見したのは、1990年代の終わり頃でした。
 お店の中にずらっと並んでいたベトナム語書籍を手に取って、漸く疑問が晴れました。『オーサワ』さんは、『マクロビオティック』創設者の櫻澤如一(さくらざわ ゆきかず)氏のことだったのです。

 何故”オーサワ”かというと、外国人にとって”さくらざわ ゆきかず”が呼び難いので、海外では、”ジョージ・オーサワ George Ohsawa”の名前で活動してらしたからだそうです。どおりで、幾ら”オーサワ”で検索してもヒットしなかった筈です。😅 これで長年の疑問が晴れた。。。で、このオーサワさん、”なんでこんなにベトナムで超有名なの?!”という新たな疑問を持った私…。(”やっぱり変な人ーー!!”←我が家のJKの声。😅)

 こちらが、櫻澤如一氏の公式の略歴です。⇩

 1893年 京都市生まれ。
 1908年 肺・腸結核など多くの病気で苦しむ。
 1912年 石塚左玄(いしづか さげん)の食養により健康を奪回。
 1913年 京都府立第一商業高校卒。神戸の貿易商店に入店、実業界に活躍しながら食養運動、ローマ字運動を続ける。
 1927年 社団法人「食養会」復興に専心。
 1929年 「無双原理」世界観を世界に問うため、パリへ無銭旅行。
 1938-40年 食養会会長。会員一万人。
 1947年~ 世界政府運動、青年教育に奮闘
 1953年 世界の人間革命のため、里真(りま)夫人と共にインドへ。
 1955年 アフリカのシュバイツァー博士を訪ねる。
 1956年~ ヨーロッパで大活躍多数の協力者、共鳴者を得て文化活動、出版、食品製造等に着手。パリ市功労章を受く
 1962年~ 原子転換に着目、研究を開始。
 1966年 死去(享年74歳)。

 なるほど、、、と、確かに戦前頃の日本と世界で活躍された模様ですが、昨今の日本では殆ど目に耳にする機会乏しく。。何よりも、どうしてこの人があの頃(1990年代)ベトナムで超有名人だったのか…。この事が妙に気になりました。
 調べて見て判った理由は案外単純で、桜沢如一氏は、お亡くなりになる1 年前の1965年に、ベトナム中部フエを訪れていたからでした。

 「1963年以前より、私たちベトナム人の間でもマクロビオティックのことが噂になり、周囲で実際に実行してる人も居た。だから、関連書籍を多少読んでみたけれど、玄米と胡麻のみの食事で病気が治ること、それ以前にたったそれだけの食事で十分栄養が足りるのだということさえ鵜呑みにして信じることができないでいた。しかし、1963年4月初頭頃、フエで”オーサワ先生”の御友人のタカハシツネオ氏(日本の農業技師)と出会う機会に恵まれた。」
       呉成人(ゴ・タイン・ニャン)著『ゴマと玄米の食事』より

 タカハシツネオ氏は、ベトナム南北分断後に南部で建国したベトナム共和国政府(呉廷琰(ゴ・ディン・ジェム)大統領)のメコンデルタ米作改良政策に招かれた農業技師でした。日本の「食養会」所属だったタカハシ氏とフエの呉成人氏らグループの出会いがその後の運命を切り開いた。。。

 「タカハシ氏から”オーサワ食養法”というものを教えて貰ったので、早速実行することにした。直ぐに非常に良い結果が出たので、私達は玄米グループを設立、『ベトナム長生食養センター』を創設し、ベトナムでこの医学的養生法を広める事にした。そして、1965年にオーサワ先生とご婦人が私達の招きに応じてくれ、困難を苦にせずたったお二人でベトナムに渡航して下さって、養生法を直接指導して下さった。」
          『ゴマと玄米の食事』より

 私の記事を去年から読んで下さった方は、”あれ、同じような事がどっかに書いてあったよな?”と、お気付きになったかも知れません、、
 それは、私が【NOTE】投稿を始めた初期に投稿したこちら⇒ベトナム独立運動家 ファン・ボイ・チャウの自伝の記事です。

 「当時メコンデルタのオクエオ(2千年前メコン下流にあったクメール族扶南王国の海港)の近くに、難民の農業指導、特に米作りを弁当手持ちで続けていた私と同年(明治24年)生まれの好々爺、奇特な一徹者がいた。名は高橋常雄、広島県人で、時たまサイゴンへ帰ると、私の家をしばしの憩いの借り宿としていた。(中略)後で聞いた話だが、高橋老は前年、かねて知り合いの呉一家が頭に出来た悪性の吹き出物のため大変困っていることを人伝てに聞くと、彼の持って生まれた性分から、頼まれもしないのにユエまで千百八キロメートルを飛んで行き、玄米食と彼独特の漢方薬で、みごと一家が長年苦しんでいた病気を直してやった」

 「至って懇意な間柄だった」という、ベトナム革命家の潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)自伝『潘佩珠伝』をご出版された内海三八郎氏と高橋常雄氏。
 
内海氏は、サイゴン滞在中に高橋氏へ、
 「私の本探しの苦心談を彼にしたことがあった。それから何年経ったか忘れていたが、ある日突然、思いがけない未知の呉成人(ゴ・タイン・ニャン)というユエ在住の人から小包が届き、開けてみると中から「潘佩珠自判」の写本上下2巻と、潘が晩年書いた『孔学燈』及び大小型写真十数枚が出て来てビックリ仰天、夢かとばかり喜んだ。」  
 「小包はこれを深く恩に来た呉の返礼だと分かって、私は余慶をいただいたことを喜び深く感謝した。」

 内海氏がこう言っている様に、本当に奇跡の様に内海氏の手許に潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の手書き漢語版『自判』原本が、焚書の危機を潜り抜けて日本へ渡ったのはなんと『食養会』のお蔭でした。。。

 さて、それではこの呉成人(ゴ・タイン・ニャン)氏とは、一体何者でしょうか。。。
 先の記事自伝書に『自判』(自己批判書)と題名した潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)はどんな人?にも書きましたが、呉成人(ゴ・タイン・ニャン)氏は、
 (『自判』の)ベトナム語訳本を1956年に出版した出版社『英明(アイン・ミン)書店』」の責任者で、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の儒語寺子屋の元生徒です。要するに、仏領インドシナ時代は国内中部フエに在った革命志士のお一人だったんですね。。。
 これで、複雑な『仏印パズル』のピースがまた一つ埋まりました。(←誰もそう思ってないよーー!←我が家のJKの声。。😅😅😅)

 潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)1940年に病死、クオン・デ候も日本で客死(1951年)、潘佩珠の親友黄淑抗(フイン・トゥック・カイン)がハノイで変死(1956年)、呉廷琰(ゴ・ディン・ジェム)大統領も暗殺(1963年)。もう、頼みとなる高名な志士は、この頃殆ど残ってません。。。
 
まさか、、、泥沼化するベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)最中に、反植民地主義抵抗闘争の激戦中心地・中部地方の人々が、全てを諦め、闘争を忘れて皆で仲良く「健康運動」へ衣替え??

 いえ、そんな単純な話では無いことが、この手紙から解ります。⇩

 「1965年4月5日 東京 
サイゴンとフエの食養グループの皆さんへ
親愛なる皆さんへ、
 来月皆さんとお会いして、食養法の原則についてお話すること、特に数千年の歴史ある東洋思想、東洋哲学の無双原理についてや、老子、荘子について皆さんと話すことを本当に楽しみにしています。
 老子の教えでは、道(タオ)は、暴力を用いることなく勝利を得る方法、言い争うことなく相手を説諭する方法、困難を楽に、不幸を幸福に、敵を味方に、醜悪を美麗に変えること…等の方法を示してくれると云います。」
 「私達は、道(タオ)、老子、荘子などを学ぶ必要があります。老子は、人類史上最も偉大な人類愛の戦略家です。老子は、征服され、叩きのめされ、抑圧された人が最後に永遠の勝利者になり得る、その方法、道(タオ)を説いているのです。(中略)
 早く皆さんにお会いできることを楽しみにしています。             オーサワ     」

      呉成人(ゴ・タイン・ニャン)著『無常の間に遊ぶ』より

 これは、櫻澤氏がベトナム食養グループに送った手紙のベトナム語訳からの日本語訳です。(原本はフランス語)
 実は私は、この櫻澤如一(さくらざわ ゆきかず)氏のベトナム訪問という史実を知って、それまで全然理解出来なかった『大東亜戦争の本質』が、仏領インドシナ史を通してぼんやり見えだしたきっかけだったように思います。
 
 そのことをこれから、『ベトナム・マクロビオティックの夜明け』と題してシリーズに纏めて行きたいと思っています。😊😊😊
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 
 
  
 

 

 
 
 



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