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8月の読書『真のリベラルを取り戻せ』とは?・・・・・などの記録

8月後半は、この3冊。

『夫婦集』 ふうふしゅう  と読む。
現代の人間模様や親子、夫婦間の多様な在り方が新鮮で、尚且つ展開にも意外性がある。   著者 小野寺史宜さんは好きで気になる作家さんの一人ではあるけれど、こんなテーマでも作品にしていることに作家さんへのリスペクトが高まる。

2冊目は『読書大全  ビジネスリーダー』
そして何冊か、知っている本があったので、ほっとする。40冊の本の題名と要旨を眺め、そうした視点を知る。また今度。

そして、今まだ読みかけで十分には理解出来たとは言い難い『真のリベラルを取り戻せ』。
正しくは    NHK100分で名著ブックス
『真のリベラルを取り戻せ      オルテガ   大衆の反逆』   中島岳志  著      NHK出版
あと2、3回読まねば・・・。
刷り込まれた語句のイメージが私の理解を邪魔している。2019年放送のテキストに加筆訂正したものらしい。こんな出合い方もあるんだな。

リベラルはそもそもその定義が難しいし、反逆という言葉は刺激が強い。しかし、さもありなん。『大衆の反逆』の著者オルテガは、第二次世界大戦のファシズムの頃の人。オルテガ自身は保守的な考えであるがゆえに、リベラリズム(自由主義)を徹底的に擁護したという。日本では、主に政局的な理由から保守とリベラルは対立するかのように扱われることが多いが、その起源はアメリカの二大政党制にあるという。
もともと日本では冷戦下、リベラルは保守側が口にする。社会主義国家のような自由のない国をみて、あんな反リベラル国家にはなりたくないと。ところが冷戦終焉御、左派がリベラルという言葉を使う。アメリカに倣って保守対抗概念としてリベラルを用い、保守対リベラルの構図が確立してくる。しかしオルテガの時代、保守とリベラルは対立するというよりむしろ、重なる部分が多い。

『保守こそがリベラルである』の文は、どう理解したらいいのか。

近代的なリベラルの起源は、17世紀。30年戦争の結論から、『自分と異なる価値観をもった人間の存在をまずは認めよう。多様性に対して寛容になろう』というのが近代的リベラルの出発点。だから必然的に『寛容』は『自由』の観念に発展してくる。中島氏はここでオルテガの『大衆の反逆』を引用し、解釈している。

多様性や異なる意見を排除せず対話を継続する。今の時代に通じる。というか、今大事にしたいこと、そのものじゃないか・・・丁度、自民党総裁選や立憲民主党代表選などの情報や立候補者ごとの政策が、メディアを通して入ってくる時期。自分の考えはどれに近いかななどと思い巡らしながら、聞いている。

知りたい大切なことが、この本の中にあるのではないかと思いつつ、やっとここまで読みかけてきた。次はオルテガのいう『貴族』の定義が誤解を招きそう。読み続けてみよう。

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