【活動日誌】1週間休んでいた時に考えたことを書きます!
こんばんは!
先週丸々休みを取り、結局色々なことを考えてみたことで、最終的には記事を書いているよりも疲れたんじゃないかと思っている男、小栗義樹です(笑)
本日は活動日誌を書かせて頂きます。1週間で自分が何をしていたのかをざっとまとめる試みです。
よかったら読んでみてください。
休みについて
冒頭にも書きましたが、先週はnoteの記事を書くことをお休みしていました。休むといっても過去の記事を再投稿していたので穴は空いていない形になっていますが。
そもそも休みを取ってみようと思った理由は疲れたからです。なんでか分かりませんが、今日はどんな記事を書こうかなぁとかあの仕事をしてこの仕事をやってとか、そんなごく普通の事に対して嫌気がさしていたのだと思います。
嫌気がさしている時に無理やりことを進めても何もうまくいかないだろうと思ったので、ここは勢いで休んでしまえという結論に至ったわけです。そういえば最近書き物を休んだ記憶はないし、いい機会だと思いました。
休んでみたわけですが、何もしないと考える時間が増えます。最初は不安みたいなものから始まり、ひたすらなぜと自分に問うわけです。これは非常に疲れました。漠然としている答えが出ていないものがずっと横にある感じで、焦燥感が付きまとっている感じです。
そんな焦燥感に襲われながらも、ひたすらなぜ?と問いただすわけです。
最後に辿り着くのはいつも「休みとは何か?」でした。この答えは出ていませんが、結局のところ、大きくて複雑な行動が錯綜している母体みたいなものから、感覚的にも身体的にも切り離されている状態を休むというのではないか?という所に辿り着いています。辿り着いているというか、そこでひとまず考えを終えています(笑)
ここで考えるをやめ、ひとまずの結論を出した理由はそれが一番落ち着くからでした。これこそが僕の中で一番しっくりくる休むということの距離感だったのだと思います。
というわけで、結局色々と考えましたが、ひとまずの結論を出したことで最終的には休むことに成功したと言っていいと思っています。おかげさまでリフレッシュすることが出来ました。
指針について
休んでいる間は、とにかく色々な事を考えました。別に考えたいわけではないのですが、パッと思い浮かんだら考えずにはいられなくなります。手持無沙汰なのでしょう。何もしないという状態は意図的に作らないとどうしようもないわけです。(ちなみに座禅も組みました。座禅と思考をスケジュールに組み込むと非常にバランスがいいです)
そんな僕は「指針」について考えました。指針とは「自分の存在の理由」だと思います。100点満点の解答はただ存在しているという事実を無条件で認めることだと思っています。それこそ自己賛美の究極なのではないかな?と考えている間に強く思いました。
ただ、それは命に対しての賛美かなとも思いました。自分という生命に対しての存在理由における最大の肯定こそが存在を無条件に自分で認めるということだと思うのです。精神や肉体(それは自分を形成するためのものだから生命の内だろとも言えるのですが)、これらをあえて分けたとしたら、精神や肉体を唸らせるような指針とは何か?を考えてみようと思いました。
これもやっぱり答えは出ていません(笑)
社会的な意義や役割みたいなものがあれば・・・なんて考えたこともあったのですが、社会とは何かがよく分かっていない僕からすると、そんな所から考えるのはちょっとおこがましいというように思います。
精神や肉体を唸らせる指針とは、欲望から湧いて出るものであり、それが社会なら社会、世の中なら世の中、もっと言えば自分が見ている景色・周囲・人間関係に対して何かしらの作用が働いていればいいのではないかもしれない。つまり、欲望から始まってそれが接点に対して影響を与えるものであればそれでいいのだと定めたわけです。
そうすると、下手にリアクションを求めることよりも、ありのままに発信しそれがどれくらいのインパクトがあったのかを判断し、それに対して責任を負おうと姿勢がとても重要なのではないかと考えるようになりました。
例えば、noteで言えばスキとかコメントを求めて記事を寄せにいこうとするみたいな余計な思考を巡らせるよりも、今はこれを書く・書くべきだと本気で思ったことを書き、アクセス数をきちんと追いかけて、それに伴った責任を一生懸命考えるみたいな。それが大事なことで、それこそが指針のあるべき姿なのではないかと思うようになりました。
僕が過去の記事の再投稿をし、そこに何かしらの文章を加筆していくことが重要だと思った背景には、資本をうまく活用することでnoteへの記事投稿に意味というか少し違ったなにかしらの解答に辿り着けるかもしれないという思いがあったわけですが、そこに一時的に辿り着いた指針を組み込むとするならば、自分が過去に書いた記事に対して疑いのまなざしを持ち、それを文字で表現していくことで成長と拡張という人間としての物語が前に進む瞬間を示すことで、自分というものの土台を作り、自分というものを強固なものにしていけば、より納得できる活動になっていくのではないかと、そんな風に思っているわけです。
このアカウントは自己紹介をベースに記事を発信しているわけですから、指針を組み込んだ再投稿は自分の物語の輪郭を、よりはっきりとしたものにしてくれるように考えています。
あとは試してみてですが、確実に一段ランクが上がったと自分で思っていますので、今後の記事に期待をしていただけると嬉しいです。
成長について
他にも色々と考えたような気がするのですが、この記事ではこれを最後にさせて頂きます。大体ですが、今書いている成長を含め、この3つから派生させて色々な事を考えいたように思うので。
僕はずっと成長こそが重要だと考え、noteもがやてっくも仕事もこなしてきました。これはサラリーマン時代から、もっといえばバンドでギラギラやっていた頃からそうでした。
しかしここ数か月、成長だけではダメなような気がずっとしていました。そこで、成長について考えてみたわけです。
結論を言えば、成長は人間が営む上での全てという考えはちょっと浅かったという話です。僕が読書感想文やニュース感想文などを書く方向へ流れて行ったのは、深層心理の中で成長だけではない何かを求めていたからなのではないか?運命なんて信じませんが、そんな風に考えてみたくなりました。
僕が今考えているのは「人は拡張と成長」で営みを謳歌することで幸せになれるという考えです。
実はまだまとまっていないんですけど、拡張というものの大切さみたいなものが自分の中に芽生え始めています。拡張について・成長と拡張について・それがもたらす自分への影響というものを考えずにはいられない出来事があったんです。
これ、ここに書くとすごく長くなります。あと、きっかけについてはセンシティブな情報が絡んでくるんです。
だから、ここまで書いておいてなんのですが、拡張と成長についての話は土曜日の記事に回させてください。
とにかくです!
1週間休んでみて、1つだけ確実にいえることは、次元が少しだけ上がったという事です。
やってみてよかったなと思います。そう、過去に書いた記事や過去に喋ったことなども含め、改めて発展させたいと思えるようになりました。
このnoteも、もう1つのnoteも、越谷雑談がやてっくも、この1週間の影響が少しずつ表れているなと言う風に思います。間違いなく面白い事になる。そんな風に思っていますので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
というわけで、本日はこの辺で失礼いたします。
また明日の記事でお会いしましょう!
さようなら~