戦いは終わらない~真っ黒新聞、発行~(自己紹介11)
「悪かった」
「でもな。疑われるのはお前の日ごろの行いが悪いからだ。気を付けるように」
上等だよ(笑)
僕の狙いは再起不能にすること。このえこひいきスケベ担任をこのクラスから追放し安寧を取り戻す。
大人だから容赦する必要はないと感じた僕は、担任のスケベおやじに対して徹底抗戦すると決めたのだ。
こんな土台がふにゃふにゃなどうしようもない大人の言う事なんて、聞いても意味がないだろう。そこから、個別の呼び出しや居残りには応じなくなった。
時には言い合いもしてみたが全然話にならなかった。
そこで僕が取った対抗策が真っ黒新聞というものだった。
今年の3月で生誕30歳。これからの人生に弾みをつけるべく、ハードモードだったこれまでの人生を振り返っています!
どうぞ笑ってやってください(笑)
前回の記事はコチラ!
盗人という濡れ衣を着せられて、僕の中で完全に何かが切れました(笑)
あの日、スケベおやじと疑ったクラスメイトに謝罪をさせた僕ですが、その時の心境はというと「疑いが晴れて良かった」と「すごくバツが悪い」でした。
この時初めて認識したのですが、僕は争いごとが嫌いです。小さなころから、父と母が怒鳴っていたからでしょう。悔しそうにしている顔も、泣きそうな顔も、怒っている顔も見たくない。平和に穏便に過ごしたい。
出来る事なら事を荒立てたくない。
この時の事件はただただそんなことを実感して虚しくなるだけでした。
ただ、やってしまったものは仕方ありません。僕は担任とクラスメイトのメンツやプライドをつぶしたのです。この時の僕は嫌な気持ちを抑え「最後まで徹底的にやってやる」という覚悟を決めたのでした。
いじめやダメな奴というレッテルを貼られる事はとてもつらいです。
自分は本当にここにいていいのだろうか?いらない人間なんじゃないのか?そんな事を思わずにいられません。
やり返してみたものの「決して気持ちのいいものではありません」
誰も得しないし、無益です。
ただ、自分の意向だけは絶対に示した方がいいです。いじめてる人って頭が悪いから「やられてる側がどんなに悔しくて辛い思いをしているか」が分かっていない節があります。レッテルだってそうです。貼っている側が貼られている側の辛さを分かっていない。「悪気が無い」から質が悪い。
だからこそ意外と「嫌だ」というとパタッと止むことがあるし、誰かに相談すると案外近くに助けてくれる人がいたりします。
前の記事にも書きましたが、大事なのは現状を説明する事です。
僕は、スケベおやじに対抗する方法を考えました。
最初に考えたのは「スケベおやじのペースにはまらないこと」でした。
こちらからは不用意に仕掛けない。
学校ってどう頑張っても先生の立場が上ですから、仕掛けられて素直に戦っても勝てません。こいつは頭が弱い。僕に対して何かを仕掛けてくるとしても高確率で「矛盾」が生じる。
そこを丁寧に突いていけば、最後に謝るのはこいつ。
そんな事を考えて、出来るだけ付き合わないようにしていました。
これは僕の他に目の敵にされている生徒が真っ向から戦い、イタチごっこを見ていた時に思いついたことです。僕が初めて自分で立てた「戦略」みたいなものでした。
この濡れ衣事件のあと、先に仕掛けてきたのはスケベおやじでした。
小学校には家庭訪問があります。その際に僕の母に向かって「申し上げにくいのですが、息子さんは素行が悪い」と言ってきたのです。
シンプルに傷つきました。
母には学校でいじめられている事やスケベおやじに目の敵にされている事は伏せて「5年生は楽しいよ」と伝えていました。この時、母とはちょっと温度差があったし、4年生の頃に色々あったので、これ以上心配をかけたくなかったわけです。
名字が変わったばかりだったのもあって母はよく「大丈夫?」聞いてくれていましたが、僕は「楽しい思い出」を捏造して母に話していました
そんな感じでうまく取り繕っていたのに、このスケベおやじは母の前で僕を「問題児」として扱ったのです。
母はそんな先生の話をじっと聞き終えた後、僕に「この1年は我慢しなさい」と言いました。さすがです(笑)
母は、スケベおやじが僕に対して「ダメのレッテルを貼っている」事を理解したのです。僕は母に自分の気持ちを正直に打ち明けました。
「あいつに徹底的に対抗する」「学校から電話がくるかもしれないが許してほしい」そう伝えました。
母は「分かった」と言ってくれました。
母から徹底対抗公認をもらったわけです(笑)
僕はこの後徹底的に抗いました。
親公認です。問題があると学校から家に電話がいっても怖くありません。僕は相手のジョーカーを排除する事に成功しました。
冒頭にも書いたように居残り命令はガン無視。反省文を書くために渡された原稿用紙には「時間のムダ 小栗義樹」と書いて黒板に貼って帰ってました。個別の呼び出しにはほとんど応じない状態です。
その都度意見はしておきました。
「居残りで反省文を書くくらいなら家で宿題をやった方がいい」
「学校でわざわざプリントを解く理由はない。家でやって明日持ってくる」
「呼び出されて職員室にいく理由はない。説教したきゃここですればいい」
何かにつけて僕を犯人にしたがるのも鬱陶しい限りでした。休み時間にクラスでドッチボールをしていたみたいなのですが、誰かの投げたボールが下級生の顔に当たったようで、ちょっとした問題になりました。
僕、そのドッジボールに参加していないのになぜか一緒に怒られました。無茶苦茶です(笑)
このスケベおやじとはしょっちゅう言い争いをしていました。
「僕はやっていない」
「いいや、お前がやった」
とても大人の対応とは思えませんでした。多分相当ムキになっていたのでしょう。
しょうもない大人です。
基本的に突っかかってくるのは奴だったので、僕は出来る限り無視&意見していました。
今思えば確かに可愛くない子供でしたが、やると決めた以上は絶対やり切る。荒波にもまれ続け、ふさぎ込んだ状態のなか、突如何かが切れた僕は、ものすごく強くなっていたと思います。
そうそう。
この頃僕にはもう1人「親友」と呼べる仲間が出来ました。
4年生の回で登場したY君や、これから出てくるA君と同様、今も仲良くさせてもらっている「H君」という男の子です。今でもよく4人で遊びます。(この後にもう1人、中学生の時に親友が出来て5人で遊ぶことが増えます笑)
このH君は僕と同じ「目の敵組」でした。
H君は1日中学校で寝ていました。目を付けられるのも当然です(笑)
このH君とスケベおやじが揉めたある事件で僕は「真っ黒新聞」という狂気の新聞を作り上げることになるのでした。
H君の家は不思議な家でした。今まで見たことがないくらいの「自由」さがあったのです。家の鍵はずっと開いているし、夜になってもずっとテレビゲームができる。
夜遅くまでゲームしているから、学校で眠くなるのは当然ですね(笑)
居眠りに関しては彼が悪かったと思います(笑)
H君の両親はとてもやさしい人で、だれかれかまわず受け容れてくれるもんだから、僕は本当によく甘えていたと思います。
そんなH君は授業中に普通に居眠りしているので、スケベおやじからよく怒られていました。
今でもよく覚えているエピソードなのですが、体育の授業前の休み時間に他の生徒が着替えているなか、H君はずっと居眠りをしていて、スケベおやじは「Hは置いて体育に行くぞ」と言ってH君を放置したことがありました。
いや、そこは見捨てるなよ。
と思いましたが、そういう事を平気でやるタイプの奴だったので仕方がありません。
H君は信じられないくらい楽観的な性格をしていて「基本、まったく気にしない」がテーマみたいな生き物でした(笑)
だからスケベおやじに怒られようと、目の敵にされようと全く動じません。
徹底的に抵抗する僕と、全く気にしないH君。家が近所だったのと、現状が似ていることもあり、僕らはすぐに仲良くなりました。そして、スケベおやじは僕達の事が相当嫌いだったと思います。
ある日事件が起きました。何をされても動じないH君が泣いたのです。
H君は朝から「足が痛い」と言っていました。朝、家でひねったらしく、足首が腫れていたのです。
この日のスケベおやじは機嫌が悪い様子でした。
事件は、その日の体育の時間に起きました。その日の体育は、校庭を走るという単純な授業でした。
なぜか、足が痛いので体育を見学すると打診していたはずのH君が足を引きずりながら走っていたのです。
「今日見学するんじゃないの?」と聞くとH君は泣きながら「足が痛いのに、いつもさぼってるんだから走れって言われた。痛い」と言いました。
いや、足腫れてるんですよ?笑
絶対ダメでしょ(笑)
今まで他人を助ける余裕がなかった僕ですが、さすがにこれはひどいと思いました。これまでのスケベおやじからの仕打ちも相まって、僕の怒りはついに限界に達しました。
僕は奴のペースには乗っからないと決めて、それを忠実に守ってきました。だから絶対にこちらから仕掛けるのではなく、スケベおやじが仕掛けてきたことに対してだけ言い返していたのです。ここは矛盾しているからおかしいと。
ですが、こればっかりはやり返さないといけない。これ以上こいつを調子にのせるわけにはいかない。そう思いました。
そして僕は仲間集めをします。
そう。
「目の敵組」に所属している同級生に「スケベおやじにやり返さないか?」と声をかけたのです。
僕とH君の他に目の敵組は4人いました。2学期に入り2人増えたのです。
僕と同じように小言を言われ、やっていない罪をでっちあげられ、散々な扱いを受けていたので僕が誘いを持ちかけると「やろうぜ」と言ってくれました。
そして放課後、滅多に参加してなかった居残りに参加しました。作戦会議です。
目の敵組の生徒から「小栗、なんか策があるのか?」と言われました。
盗人事件でやり返した功績もあり、みんな僕に関心を向けてくれていて、僕に意見を求めてくれました。
僕は
「新聞を作る」
と言いました(笑)
スケベおやじにとって恥ずかしい・知られたくない秘密を握り、憶測で記事を書いて新聞を作る。そしてそれを校内でばらまくという壮大な計画です。
もともと目の敵にされるような連中です。ネジの2~3本は軽く外れてます。
「面白そうだな」
と言い、その作戦が通りました。
僕達はこれに真っ黒新聞と名付けて、実際に発行します(笑)
そしてこの新聞が、そこそこ大きな問題になるのです(笑)
これが2学期の終わりから3学期にかけてのストーリ―です。
この間に起こった陰口・いじめ、あと家での問題はまた改めて書くとして、明日は真っ黒新聞の第1号とこの新聞が巻き起こした問題について書きます。
はぁ~、恥ずかしい(笑)
義樹君もだんだんと今の僕に近づいてきました(笑)
大人になるにつれてしんどさよりも恥ずかしさが増してきました(笑)
まだまだ僕のハードライフは続きますが、思い出すとむず痒いので今日はこのへんで(笑)
また明日(笑)
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