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本を捨てよう!という話
「積読」という言葉があります。
私も積読しがちです。気になって本を買ったものの、なかなか読む時間が取れず、未読本が溜まっていく…
でも積読本はこれからの自分の可能性!
いつの日か必ず読むタイミングがやってくる。そう思った時に手元になければその本を読む機会はほぼ永遠に失われてしまう。だから積読は悪い事じゃないんだ!
…そう自分に言い聞かせています。暗示のように。
では、読み終わった本はどうするべきか。
・おもしろかった本
・難しかった本
・不快になった本
・ためになった本
・中身のなかった本
本を読み終えるといろんな感想を抱くことでしょう。
読んだ本は可能性が見えています。だからこそ整理をしなければなりません。
本棚から溢れた本はまるでバベルの塔のようにデスクにうずたかく積み上げられ、もはや天を衝くのも時間の問題といったところ。神罰が下る前に人は悔い改めなければならないのです。
1.本を捨てるということ
本を整理するために、捨てるのではなく本棚を増やすという方法もあります。しかし、そのためには広いスペースがないと無理。そもそも私の場合は仕事関係で引越しを求められるような場合があり、身の周りのモノを増やさないようにしておく必要があるのです。
だから私にとっては「本の整理」=「本を捨てる」こととなります。
本棚の本の中には十年近く開いていないような本や、もはや内容を忘れてしまっている本もあります。
昔はできるだけたくさんの本を読みたいと思っていて「1か月に〇冊読もう!」と目標を立てていた時期もありましたが、今はよい本を繰り返し読みこんで自分の一部にしようというスタイルに変化してきました。こうした本への向き合い方の変化もあり、自分の大切な本だけを厳選して手元に置いておきたいという気持ちが強くなっています。
しばしば本を大量に保有していることが美徳として語られます。それは、本が視覚化された知性の象徴だからなのかもしれません。読書家の中には一部屋がまるごと本棚なんて方もいます。ですが、それらの本が少しでも頭の中に入っているのか?と問われれば、それは別問題です。
決してページを開かれない積読本もあるでしょうし、単に蒐集しただけの本もあるかもしれません。読まれない本や人の糧となれない本は、私には不憫に思われます。
この気持ちは恵まれた書斎スペースを持てる人々への僻みややっかみではない…はず。
仕事や日常生活、それに思考においても乱雑な状態は悪しべきものであり、整理整頓して効率的な状態に保つことが必要です。
本棚も同じ。
本棚はいわば自分の脳の外部記憶装置であり、定期的な整理を行わなければ、スムーズな思考や発想を妨げることになります。
本棚の更なる外部記憶装置としては図書館もあるので、必要な本全てを本棚に置いておく必要はありません。本の位置付け(書かれている情報、歴史的意義)さえ頭に入っていれば、使用頻度の低い本は図書館で借りればよいのです。
自分が最良のパフォーマンスを発揮できるよう、優先順位をつけて手元に置くべき本を選別することは大切な事です。
2.捨てるべき本の選別
さて、どの本を捨てよう?
と、考える前に私の本棚の構成を紹介してみます。
1 .仕事のために読んだ本:25%
2 .小説:20%
3 .詩集:10%
4 .その他(文章術、エッセイ等):10%
5 .映画・アート・アニメ等の画集:5%
6 .ファッション雑誌のムック・写真集:5%
7 .音楽のディスクガイド・用語集:5%
8 .新潟や上越の郷土資料:5%
9 .ビジネス書(自己啓発本):5%
10.哲学書:5%
11.マンガ:5%
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実はこの中でそもそも捨てるのが難しいジャンルがあります。
「1.仕事本」は、今後使う可能性があるので捨てられません。
「5.画集」「6.ファッション本」「7.音楽本」「8.郷土資料」は、今は手に入らない貴重な本や高価な本が多いので手放せません。
そうなると、残りのジャンルの中で捨てるべき本を検討することになります。
積読本はまだ可能性を秘めているので、無条件で残すこととし、読み終えた本のうち、捨てるべき本は次の①②③です。
①嫌悪感を感じた本
②好みに合わないなあと思った本
③それなりに面白かったけどもう一度読み返す気力は湧かない本
ただ、これらの本って、実はそんなにないんですよね。
私はできる限り本を増やさないよう厳選して(いるつもり…)本を買っています。だから①②の本って、そんなに出てこないのです。このタイプの本が生じるとすれば、古本市で目について買った本や、表紙買い、タイトル買いの本のみです。
③の本はたまにあります。おもしろいんだけど、読み返すには労力がかかり過ぎる…という本。このタイプの本は分厚くて本棚のスペースも圧迫するため「めちゃくちゃ感動したので人生のバイブルにする!」レベルの良書でない限り手放しがちです。小っちゃいって事は便利だねっ。
3.本を捨てることのリスク
しかし、本を捨てる時には注意しなくてはなりません。
私自身、「断捨離」という言葉に乗せられて手放してしまい今も後悔している本があります。
その本は暫く開かなくなっていた本でした。
しかし、かつては毎日のようにページを捲り、書いてあることを暗記してしまうほどに読みこんだ本でした。
その本を、私は過去の自分と決別するために手放しました。そして今も身を切るような後悔の念に苛まされています。
この経験から学んだのは、今は開かなくなった本でも、過去に繰り返し読んで、自分と時間を共にした本は決して捨ててはいけないということです。
その本はもう読まなくてもいいくらい自分の血肉となっていて、文字通り私の一部を構成する過去の自分そのものだったのです。
過去の自分を捨てることなどできません。
全ての今は過去と地続きです。しがらみのないこと、抜本的改革、ゼロベースの思考…そういった聞こえのよい言葉は思考実験としては許容されたとしても、現実への適用を無視した概念です。歴史は消せないし、無視して前に進むことはできません。それは今を生きる存在としての責務であり、手放すことはできず、手放すべきでもないと考えます。
4.エピローグ
こうして私は今まさに捨てるべき本と対峙している。
「この本、やっぱおもしろいな…これは『残し』で」
よくよく考えたら、これまで幾度もの引越しを経て、本棚の本は厳選されている。今残っている本は、数えきれぬ大変革を生き抜いてきた精鋭ばかりだ。
「捨てるべき本などここにはないよ」と、天使とも悪魔ともつかないもう一人の自分が頭の中で囁きかける。その言葉に耳を貸さぬよう、捨てるべき本の見極めに集中し、本を読み続ける。
いつの間にか夜は更けていき、窓の外は白みを帯びてきた。カーテンをうっすらと透過して部屋を満たす朝の光の中、天啓に打たれたように私は一人呟いた。
「本棚がなければ、床に積めばいいじゃない」