SIは見た No.31『東京転勤』の場合
私たちは今、どんな時代を生きているのか──。サンデー・インタビュアーズ(SI)とは、そんな問いを探求するロスジェネ世代の余暇活動です。
月に一度の日曜日、6人のメンバー*は84巻あるホームムービー*をひとつずつ紐解きながら、オンライン上で話し、聞き、考えます。
今月(2022年7月)のお題は、No.31『東京転勤』。さて、そこには何が写っているのでしょうか。メンバーの言葉を紹介します。
*本テキストはSIが毎月行うオンラインワークショップの記録です。
*メンバーは2022年度の公募で集いました。
*ウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』をご参照ください。
00:09
「母親の髪を結う女の子。子どもは3人いる。よく見ると周りにはおばあちゃんのような方が2人。カメラには女性しか写っていない」
「左の女性は祖母? 多世代同居が当たり前だったんだろうなあ」
「短い髪を束ねて頭の上でおダンゴにする。私もあのくらいの年齢のときは、髪の毛をいじりたい願望が一番強かったような気がする」
00:28
「フリフリしたワンピース。生地に少し厚みがあるというか、シワがあまりないように見える。母親が脇に抱えている本のようなものはなんだろうか? 父親はスーツを着ている」
「母親の後ろから出てきた白シャツの人の髪型が元通りになっている。もしかして、さっきのシーン(00:09)で娘が髪を結っていたのは、母親ではなくお手伝いさんだったのかも。母の仕度を待ってるあいだに娘たちは髪をいじってたのかな? 」
「当時の福岡県大牟田は炭鉱で栄えていた街なので、世田谷よりも都会だったのかもしれない」
00:38
「おそらく出発前の福岡空港のようだが、当時、空港直通の地下鉄もなかったので、空港から遠い大牟田の家から空港へ行くだけでもかなり大変だったのではないか」
「機体がなんか丸っこい!」
01:07
「勢いよく洋服を着替える娘。笑顔が素敵。この瞬間を撮影したということは何か特別な瞬間だったのだろうか? 制服に着替えたと推測してみる」
「なぜ着替えを室内ではなく畑の中でしているのだろう。家から畑の移動シーン等ではなくこのポイントから撮影し始めているというところに、単に一日の記録をつくるのではなく、子どもたちの楽しそうな姿を映像に残したいという父親の意識が垣間見える気がする」
「そういえば、バンザイして服を脱げるのはけっこう成長してからだった。またひとつ大きくなったな、と自分で思ったことを思い出す」
01:58
「農家? の大きな屋根のある家」
「奥の家の物干しが昭和干し。ハンガーを使いだしたのはいつ頃だろう」
「洗濯物が干してある風景。現代だと洗濯物が堂々と見えるようには干さない気がする。色が白いものばかりに見えるが、外に干すものと干さないものの選別はあったのだろうか」
「洗濯物がたくさん! 当然、乾燥機があろうはずもなく。けっこう大量だけど、一般家庭か?」
03:25
「子どもから海の景色に移動。今のパノラマ写真を撮るときの感覚に似ているかも」
「これまでのシーンは夏服だったが、この山下公園のシーンでは冬服なので、しばらく期間が空いてから撮影しつなぎ合わせていることがわかる。福岡から来た家族も横浜の人々と変わらないおしゃれな服装をしていて、地方出身のこの家族に都会の人々と大きな格差があるようには感じられない。この当時から山下公園が人気スポットだったというのが驚き」
「急に季節が変わった。余ったフィルムを旅行で使い切ろうと思ったんだろうか?」
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次回(2022年8月)は、No.69『新百貨店落成式など』をみんなで見ます。