ポスト・ムービー・トレイル〈6〉──受け取ることからはじまること
振り返りが終わった後の帰り道、チエコさんと同じく訪問に同行させてもらったイチロウさんの家の前を通った。彼のフルネームが墨で書かれた表札を眺めながら「イチロウさん、どうしているかなぁ」と思った。きっと、看護師たちにはこんな思いを抱く先がたくさんあって、「人」や、「個人史」という単位から、「まち」を認識しているのだと思った。
3年前、医療の業界に転職してきて「地域づくり」や「まちづくり」という言葉がよく使われることに驚いた記憶がある。これらの言葉は、デザインや、都市・建築、あるいは政治の分野の言葉という印象が強く、医療と結びつくイメージを持てずにいた。
しかし、今ならわかる。
イチロウさんの、“かつての日常”は、商店街にある八百屋や床屋、子どもたちの通った小学校、お祭りや盆踊りといった季節の行事など、あらゆる地域との関わりの中で形作られてきたが、現在は、一日のほとんどの時間を家の中で過ごしている。彼の“現在の日常”を支えているのが、ケアをする者たちなのである。どちらも同じく日常を支える人たちであり、地域を支える人たちなのだ。生きていくことの延長に死にゆくことがあり、その時々で関わる人は変わっていく。
個人の記憶からその人の現在を立体的に理解することは、未来をともに紡ぐための方法であると看護師たちは教えてくれた。そして、個人の記憶を受け継ぐことは、まちを生かしていくための方法であると商店街の人たちは教えてくれた。
ポストムービーをきっかけに、接点をもつはずのなかった人々と出逢い、彼らの記憶を受け取ることで、町並みが彩り豊かに感じられるようになった。
さまざまな状態、状況にある人が同じまちを生きている。それら全てを知ることはできないが、一人ひとりの記憶を受け取ることで、たしかにその彩りは広がっていく。
人々の記憶は、やがて消えゆくものでもある。小さな記憶を受け取る人や、その豊かさを分かち合える人が、このトレイルを通じて増えれば嬉しい。
(おわり)
文=神野真実(デザインリサーチャー)
写真=尾山直子(看護師/写真家)
謝辞
映像を流すことを快く受け入れ、さまざまな物語を話してくれた世田谷のみなさんと、ケアの実践として映像を取り入れる可能性を見出し、軽やかに活用してくれた看護師のみなさんに感謝申し上げます。
[参加]チエコさん、魚徳のお父さんとお母さん、桜新町商店街振興組合 大塚龍史さん、吉池拓磨さん、ほか世田谷クロニクルを一緒に見てくださったみなさん
[協力]桜新町アーバンクリニック:坂詰大輔、浅野千恵、國居早苗、遠矢純一郎、AHA!:水野雄太、松本篤
[写真・伴走]尾山直子
後日談
記事を書き終えた頃、チエコさん宅に再びお邪魔した。手土産は、前回の訪問で好物だと話していた黒飴。この日、チエコさんはこんな話を聞かせてくれた。戦前の新宿で生まれ、戦中は台湾の女学校に通っていたこと、校庭には竜眼(リュウガン)と呼ばれる果実が生っていたこと──。私のトレイルはまだまだ続く。
ポスト・ムービー・トレイル──昭和の8ミリを携えて街を歩く
1 近くて遠いケアの世界
2 桜新町の今昔を歩く
3 ケアの現場に近づいて
4 チエコさんのおうちへ
5 看護師たちとふりかえる
6 受け取ることからはじまること
※ 本記録に登場する、患者さんの人物名は一部仮名です