第1回「誰かが残した記録に触れることで、自分のことを語れたりするんじゃないか」(文=橋本倫史)
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真っ暗だった画面に、人のようなシルエットをしたアイコンが映し出される。その映像は、コロナ禍ですっかり浸透したオンライン会議ツール「Zoom」の画面を録画した映像だ。参加者はまだ、主催者ひとりだけ。カメラはオフになっているけれど、音声はときどき聴こえてくる。扉が閉じられる音。コップをテーブルに置く音。何かが擦れる音。生活音のひとつひとつにも個性がある。たとえば同じ家族でも、玄関を開ける音もそれぞれ違っていて、音を聴けば誰が帰ってきたのか判断がつく。
映像が始まって15分が経過したあたりで、パソコンを操作する音が少し忙しなくなり、画面に表示されるアイコンが増える。アイコンのひとつが映像に切り替わり、「サンデー・インタビュアーズ」事務局の水野雄太さんの姿が映し出される。
この映像は、サンデー・インタビュアーズのオンライン・ワークショップを録画したものだ。撮影されたのは2021年7月25日。この日が2021年度としては最初のワークショップだった。
「皆さん、おはようございます。こちらの声、聞こえてますでしょうか?」水野さんの呼びかけに応じるように、アイコンは次々に映像に切り替わり、皆が「聞こえてます」と返事をする。
サンデー・インタビュアーズは、今年で3年目を迎えるプロジェクトで、「AHA!」([Archive for Human Activities / 人類の営みのためのアーカイブ]) が企画・運営を行なっている。「AHA!」は、NPO法人記録と表現とメディアのための組織「remo」を母体として、2005年に始動した組織だ。「AHA!」は “市井の人びとによる記録”に着目し、記録と記憶に関するワークショップの設計からウェブサイトの制作まで、さまざまなメディアづくりに携わってきた。
そのひとつに、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房が主催する「穴アーカイブ[an-archive]」がある。写真家や映像作家、研究者やマスメディアによってではなく、世田谷区に暮らす人たちによって撮影された8ミリフィルムを収集し、アーカイブとして公開するプロジェクトだ。松本さんが所属するNPO法人「remo」は、このプロジェクトに企画制作として参加し、収集された8ミリフィルムのデジタル化を進めてきた。16時間にもおよぶ映像は、「世田谷クロニクル1936-83」として現在公開されている。
サンデー・インタビュアーズはまず、「世田谷クロニクル1936-1983」の映像を視聴するところから始まる。数十年前に誰かが撮影したホームムービーを見た上で、参加者たちが「日曜大工」ならぬ「日曜インタビュアー」となり、映像に記録された時代を生きていた誰かに話を聞きに行き、オーラルヒストリーのアーカイブを目指す──そんな企画だ。最初に皆で視聴することになった映像は、昭和36年8月13日に撮影された「京王プール」だ。
「こんにちは、松本と申します」。画面の中で松本篤さんが頭を下げると、参加者の皆さんは音声をミュートにしたまま会釈をする。「世田谷には、取組としてはかかわりがあるんですが、住んだり暮らしたりということは、これまでありません。なので、京王プールって皆さん一度は行かれたことがあるようなプールなのかどうか、そういうこともわからないんですね。京王プールに行かれたことがある方って、どれぐらいいらっしゃいますか?」
松本さんの問いかけに、参加者の全員が首を振る。「あ、ない?──俄然盛り上がってまいりました」と松本さんが笑うと、参加者の表情がほぐれる。
「行ったことがある人はもちろん、行ったことがない人でも、映像を通してよく知ることはできると思いますので、皆さんがより楽しめるように進めていけたらと思っています。そのためにも、メンバーの皆さんが“つなげる”ということを意識していただくことが大事だと思います。自分が生きている現在と、映像の中に映っている過去が、自分を通じてつながっていく。そうやって全然違うもの同士をつなぐことが“メディア”だと思っています。自分自身がメディアになって、左手と右手をつなげていく。そうやって何かと何かをつなげていくような動き方をしてもらえたら、より映像が面白く見えるんじゃないかと思っています」
サンデー・インタビュアーズの取り組みがユニークなところは、さしあたっての活動目標は「映像に記録されている時代の、オーラル・ヒストリーのアーカイブを目指すこと」に設定されているけれど、オーラル・ヒストリーの研究者やプロのインタビュアーを育てるためのプロジェクトでもなければ、ホームムービーを読み解いて時代を考証するプロジェクトでもない、というところにある。
松本さんが8ミリフィルムに興味を抱いたのは、友人宅の押し入れに眠る8ミリフィルムを観たときだったという。映し出される映像に興味を惹かれたものの、身近な友人の祖父が記録した映像だから面白いと感じているのか、それとも8ミリフィルムの映像自体に自分を惹きつける何かがあるのか、まだ判然としなかった。そこで松本さんは、所属するNPO法人「remo」の事務所がある大阪・新世界で撮影された8ミリフィルムを集めて、近隣の人たちを集めて上映会をおこなった。
映像を観終えたご近所さんたちは堰を切ったように語り始めた。それも、映像に記録されている風景ついて解説するだけでなく、映像から“横すべり”するように、自分自身の記憶を語り始めた。その脱線模様が面白かったのだと、松本さんは振り返る。
「記録を残すことって、実は難しいことなんじゃないかと思うんです。特に8ミリフィルムの時代は値段が高価だったってこともありますけど、そもそも記録を残そうとすることは、熱意や重みがなければ続けていけないような気がするんです。だからまず、『記録を残すことはそれほど一般的な行為ではないんじゃないか?』という前提がまずあります。でも、誰かが残した記録に触れることで、一時的にその視点を借りながら、自分のことを語れたりするんじゃないかと思ったんです」
わたしたちの生活は、あっという間に過去になる。8ミリフィルムの時代と違って、誰もがスマートフォンで簡単に記録を残せるようになったけれど、過ぎ去ってゆくひとつひとつの時間を完璧に留めておくことは不可能だ。このアプリが普及し始めたのは去年の春だというのに、こんなふうに「Zoom」でやりとりすることにも慣れつつあって、初めて使った日の記憶はずいぶん昔のことのように思えてくる。でも、何十年か経ったときに、こうして録画した映像を見返すと、今のこの日々の記憶が瞬時に甦ってくるかもしれない。特に印象深い出来事だったわけでもなく、ついさっきまで忘れていたような出来事なのに、ふとしたきっかけで記憶が甦ってくる。
今から数十年後、わたしたちは現在という時間をどんなふうに振り返るだろう。そして、今はまだ生まれていない世代が、このサンデー・インタビュアーズのオンラインワークショップの映像を目にしたら、何を思うだろう。
映像の中で、メンバーの何人かは有線イヤホンを使っている。もしもイヤホンがすべてBluetooth接続のものに取って代わられた未来を生きる誰かがこの映像を見れば、耳にコードが伸びている姿にレトロさを感じるだろう。出版がすべて電子書籍化された未来を生きる誰かが映像を見れば、一般の家庭に本棚がある映像を新奇なものに感じるだろう。もしも「植物はすべて太陽の下で育てられるべきだ」という価値観が多数派となった未来を生きる誰かが、部屋の中に観葉植物が飾られているのを目にしたら、ちょっとどぎまぎするだろう。
今とは違う時代に触れることは、わたしたちに何をもたらすのだろう。サンデー・インタビュアーズの取り組みを追いながら、考えてみたいと思う。
▼第1回ワークショップの記録はこちら
第1回「誰かが残した記録に触れることで、自分のことを語れたりするんじゃないか」
第2回「この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです」
第3回「川の端から端まで泳ぐと級がもらえていた」
第4回「これはプライベートな映像だから、何をコメントしたらいいかわからない」
第5回「『ここがホームタウン』と感じることにはならないなと思ってしまって」
第6回「なんだか2021年に書かれた記事みたいだなと思った」
第7回「仲良く付き合える家族が近所にたまたま集まるって、幸せな奇跡というか」(文=橋本倫史)