SIは見た No.70『誠5歳9ヶ月、由美3歳11ヶ月』の場合
私たちは今、どんな時代を生きているのか──。サンデー・インタビュアーズ(SI)とは、そんな問いを探求するロスジェネ世代の余暇活動です。
月に一度の日曜日、7人のメンバー*は84巻あるホームムービー*をひとつずつ紐解きながら、オンライン上で話し、聞き、考えます。
今月(2021年10月)のお題は、No.70『誠5歳9ヶ月、由美3歳11ヶ月』。さて、そこには何が写っているのでしょうか。メンバー7人の言葉を紹介します。
*本テキストはSIが毎月行うオンラインワークショップの記録です。
*2021年度は公募で集まった7名のメンバーで活動しています。
*ウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』をご参照ください。
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「誠くんは幼稚園の制服? 由美ちゃんもツイッギーみたいなミニのワンピースが可愛らしい。東京山の手のお坊ちゃん、お嬢ちゃんの見本みたい」
「弟の胸元に名札がついている。いま、子どもたちは防犯上、名札をつけて歩かない(だからいまの保育士や先生は名前を覚えるのが大変)」
「幼稚園の制服、自分もこんなの着ていた。あと、スモックって呼んでいた水色の部屋着を着ていたのを思い出しました」
「砧公園で運動会をやっていたということは、当日は一般見物客もいたのだろうか。最近は防犯上の理由で、園内で父兄関係者だけを招いたクローズのスタイルが一般的かも」
「カメラの前で楽しそう。笑顔なのはカメラの前だから?」
「用賀といえば、裕福な家庭の住む高級住宅地。それでも当時は道路のすぐ脇は土手。武蔵野の名残が垣間見える。この道路もアスファルト舗装なのだろうか?」
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「母親がスーツ姿。ほかの大人もカジュアルな服装ではない人も多い。晴れ着の雰囲気。時代なのか、地域なのか、この幼稚園特有なのかは謎」
「由美とお母さんは身なりが良い(特別に?)」
「由美ちゃんの厚手の白タイツ。子どもの頃自分もはかされていたので、その肌触りをありありと思い出す」
「ちなみに妹の由美ちゃんは計算すると昭和41年生まれ。ぼくのひとつ上。いわゆる丙午の年で子どもの数が極端に減った年。そのあおりを食って、その前後の年の子どもの数はものすごく多かった。ぼくの学年も都会の学校でも小学校で1学年6クラスあった」
01:11
「赤のベレー帽にサスペンダーの制服がおしゃれ。さすが用賀の幼稚園。子どもの数が多い。一番子どもの数の多かった頃だからだろう」
「大人がかぶっている、頭部が十字デザインの帽子。私の子どもの頃もそういえばあった」
「子どもたちの服装が体操着でない。先生の帽子が面白い」
01:20
「世田谷清掃工場の煙突。現在は違うカラーリング。いつから?」
「清掃工場の煙突の色がいまと違う。まだ世田谷美術館も建っていない時期」
03:04
「赤と黄色が多い」
「保護者たちも見に来ているが、混んでいるようには見えない。僕の頃も父親が見に来たことはなかった。ちなみに、僕の子どもの運動会の時には早朝から並んで場所取りをして、大混雑だった」
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「由美ちゃんがお掃除に使っているモップまでおしゃれ。いまと変わらない。当時僕の家には、こんなモップはなかった。また、床がフローリングというのもの先進的。下北沢の家は普通に畳だった。由美ちゃんは家の服装もおめかししている。いい家なんだろうな、と想像される」
「黄色のモップ! 家庭でも使うの一般的だったのか?」
「日常を大切に記録しているような印象。当時8ミリフィルムの値段はどれくらいだったのだろう」
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次回(2021年11月)は、No.83『餅つき』をみんなで見ます。