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クリスチャンの私が保守を受け入れる理由

シャワーを浴びていたら、
あ!noteに書こう!ってなったのに、何の話だったっけ…
となりながら書いている。

先日、ハワイで伝道師をしていた84歳紳士のお話を聞く機会があった。
背筋もシャキッとして、肌もツヤツヤで、何より輝くような笑顔が印象的。

そんな紳士の言葉。
「見えないものを信じるということがアホだという教育を
戦後ずーっと受けてきた日本人は、信じる力を失いかけているんですよ」

この言葉を聞いてふと思い出した言葉がある。
「クリスチャンなのに、保守って珍しいね」
ある同僚が私に放った一言。肯定的にも否定的にも捉えなかったけれど、
同僚の抱いた疑問の答えが、84歳の紳士の一言によって解きほぐされた気がした。

少し話は逸れるが…
ある神学校(牧師になる学校)の面接質問に
「あなたは病気になったらどうしていますか?」というものがあったらしい。
多くの学生が「病院に行きます」「薬を飲みます」と答える中、
未開の地から受験に訪れた青年がこう答えた。

「神に祈ります」

きっと、文明というものが発達するにつれ、弱い弱い人間たちは、
心のどこかで「自分で解決できる」などという誤った認識を身につけてしまい、神に頼むという “非科学的” なやり方は アホだと思い込むようになってしまったのかもしれない。
とはいえ、どうしようもなくなると途端に “神頼み” し始めるのだから、人間が滅んでいないのは、神様がよっぽど憐れみ深いのだと思わされる。

実は日本は、 “キリスト教伝道が最も難しい国”  と言われている。
しかし、その理由は戦前と戦後で異なっているように感じる。

というのも、戦前の日本人は日本神話を生活の一部として取り入れ、八百万の神と生活を共にし、現人神である天皇と君民一体の国体を築いてきた。
少なくとも、見えないものを信じる心があったのだと思う。
それゆえ、キリスト教は根付かなかった。

靖国でまた会おう。と死後の世界に想いを馳せることができたからこそ、神風特攻隊のような、信じられない戦い方ができたのも事実だろう。
あくまで私は戦争を美化するつもりはないし、この上ない平和主義者であることを述べておきたい。

しかし戦後、GHQは日本人の強さの根源が “信じる力” だと感じ、
 “神話” を徹底的に排除した。
言い換えれば、見えないことを信じる行為をなきものにしてきたということ。その最たるが教育だったことは言うまでも無い。

尋常小学校国語の教科書

そして、戦前教育を受けていない世代が成長し、
社会を牽引し始めて起きたのは一体何だったか。

それこそが失われた30年ではないだろうかと思う。

見えないものを信じる力は、人間に備わった能力に他ならない。
そして、祈る行為も人間こそが使うことのできる能力に他ならない。

そして、その力を失ってしまったことこそが、キリスト教伝道を難しくしている要因であり、日本が衰退している要因ではないか。と

何を信じるか。それを選ぶ権利は各々にあるのは間違いない。
しかし、目に見えないものを信じることは本当にアホなのだろうか?
目に見えないものを信じたからこそ、科学も医療も発展してきたのではないだろうか?

日本人は、一度立ち止まって考える時期に来ているのかもしれない。

夜半の戯言。

p.s.
クリスチャンの私が保守を受け入れられるのは、見えないものを信じるというたった1つの共通項がなせる業。
本当に信じているのか?と自分に問いながら、傷だらけになることもある弱い人間だからこそ、こう感じた今を記録に。

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