「人を喜ばせること」がモチベーションという人について思うこと
仕事や活動など様々な行動におけるモチベーションは何だろう。
「自分がやったことで人が喜んでくれること」「感謝されること」「ありがとうって言ってもらえること」「楽しんでくれること」をモチベーションに行動する方々がいると思う。
私は、これらが主たる目的やモチベーションとなったことがない気がする。そして、これらをモチベーションに頑張れる人がすごいと思うし、どうしてできるのか?という興味もある。
なぜかというと、私は、
「自分が同じ行動をしていても相手がどう反応するかは相手による。だから、自分のした行動の評価や改善が難しい。」
と考えているからだと思う。
たとえば、サプライズ喜ぶかな?って思って頑張って準備したのに、相手の反応が悪かったという場合、本人は残念に思うと思う。なぜなら、相手が喜んでくれなかったから。
でも、もし相手が喜んでくれたら、本人は嬉しいだろう。なぜなら、相手が喜んでくれたから。
やってる行動は同じなのに、相手の反応によって自分の気分が左右される。
たとえば、仕事で、お客様を笑顔にしたい!と丁寧な接客を心がけていた場合。それなのに、お客様はありがとうも言わずに会計を済ませ出て行った。本人はお客様を笑顔にできなかった…と落ち込むかもしれない。
同じ接客をしても、別のお客様は「ありがとう!ここでお買い物できて嬉しかった」なんて言ってくれた。当然本人は嬉しいだろう。
これって、別に本人がやってることは変わらない。前者のお客様が、単に機嫌が悪かったか、急いでたか、イヤフォンで音楽聞いてたか、などといった要因でそっけない態度で帰って行っただけで、接客には特に落ち度もなかったのかもしれない。
でも、「お客様を喜ばせること」を主たる目的やモチベーションにしていた場合、毎回の接客でこのようなお客様が続くと、やる気がなくなるだろう。あるいは、今の接客は客観的に見れば特に問題がないのに、何がダメなんだろう、、なんて落ち込まなくていいことで落ち込んだりするのではないか。
このような点において、自分の行動の主たる目的やモチベーションを他人の喜び、反応に求めるというのはすごく大変なのではないか?と思っている。そして、自分が同じ行動をしているにもかかわらず相手の反応が変わってしまうのだから、行動の評価や改善をするのが難しいのではないか?と思う。
仮に、こういうタイプの人にはこういう行動をする方が喜んでもらえる、とかがだんだん分かってきて、その場その場で「その人」に喜んでもらえる行動をとることができるようになってきたとしても、喜ばせることのできる確率が多少上がるけれど、やはり相手のことは分からないので上手くいかないことも多いのではないかと思う。
他方で、自分の「やりがい」や「楽しみ」といったものを主たる目的やモチベーションにして行動している場合、どういう時に自分がやりがいを感じるか等は自分である程度把握できるし、予測したことと行動後に生じる結果のギャップが小さいと思う。そうすると、今回はこうだったから上手くいかなかった、次回はこうしよう、といった、行動に対する評価と改善がやりやすいのではないか、と思う。
私は、行動の主たる目的やモチベーションは、あくまで自分のやりがいや喜びにある。
他人が喜んでくれたりありがとうと言ってくれたりすることは、結果として生ずれば+αという、副次的なものと考えている。
あと、少し心が汚くてあまり言えないけれど、「相手に喜んでほしい!」「ありがとうって言ってくれるのがモチベーション!」ってタイプの人なんだろうなぁっていう人が、こちらを思いやる行動をとってくれた場合、自分が嬉しくても嬉しくなくても、相手を喜ばせる反応をすることもある(相手の心を読み取って私のような反応をとる方もいるだろう)。この反応が彼らに自然に映れば、彼らは喜んでくれる。そして、「喜んでもらえた!」と思うだろう(それで平和な関係でいられるなのなら別に良いのだけれど)。
そうすると、結局、「行動をした→相手が喜んだ」という「→」部分の因果関係は不明瞭のままである。とった行動の結果対する適切な振り返りはできないだろうと思う。
要は、自分の行動で本当に相手が喜んだという場合もあれば、相手の優しさ(?)と相まって「喜んだ」という結果になったという場合もあると考えている。
P.S.
でも、こういうひねくれたことを考えている自分が情けなくなる。純粋に相手の幸せを願って行動できるって本当にすごいと思うし尊いと思う。自分もそういう人の行動にこれまでたくさん助けられてきたはずなのに。本当はそういう人間になれたらなぁと思いつつ、なれないんだなぁと思ってこんな考察をしてしまっている、、。そういうタイプの方とお話しして説得的な意見をもらって自分の考えを変えてみたいって思ったりするんだけど、こんな考えを話したら悪口みたいになっちゃうかな、というのでなかなか難しいなぁとも思う。