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インドはヤバいのか?いや、ヤバくない #7僻地農村のカリンポンへ

好奇心あふれる若者ならば、誰しも一度は
「インドに行ってみたい」と思い立ち、
そして「まあいつか行ってみたいけど、、、」
と多くは思い立った記憶を心の押し入れに片づけてしまう。

いつしか「インドってヤバい国なんでしょ」
という印象以上の思いを持たれなくなってしまう。

そして、バックパッカーはじめインドを訪れる人も、周囲に期待される「ヤバいインド」を見ようとし、持ち帰る。ヤバいインドの再生産だ。

そういった「ヤバい」という言葉に矮小化されてしまいがちな、
街のひしめき、人々のたくましさ、アウトサイダーの論理、
あるいはゆっくりと流れる大河や夕陽落ちる大地の悠久さ...を解凍して
言葉にし、「ヤバくないインド」に調理して届けたい。

ダージリン2日目。
明け方、山岳地帯特有の朝霧が山肌をまとう。ひんやりとした空気が紫のナイロンパーカーの中に忍び込んでくる。昨日までのインドでは一晩中扇風機をつけていてもなお暑さで夜中に目が覚める熱帯夜だったというのに、ここでは扇風機が必要ないどころか、厚手の毛布にくるまって寝るほどの涼しさだ。
今日はホテルのロビーで現地NGOとのミーティングを済ませ、ダージリンから一山離れた山間地域「カリンポン」へと向かう。いわゆる僻地農村と呼ばれる地域の教育環境を視察するというやつだ。

ダージリンは戦前まで英国の植民地下だった経験や、その快適な気候から、多くの地域から学生が集まる質の高い教育システムが整っていることで有名だ。インドにおける教育はもっぱら私立学校が主役であり、ダージリンにおいてもとりわけ英国のパブリックスクールが源流となる私立学校が集積する。なおインドでは、日本とは比べ物にならないほど私立学校に通うことが一般的だ。日本で例えるなら、ほとんど誰もが着ている服のようなものだ。人々は企業が運営するアパレルショップに服を買いにいき(値段の高い安いはあれど)自前で調達する。国から服が支給されることはほとんどない。
話が逸れたが、自分たちがダージリンに来た目的はこれら私立学校ではなく、公立学校や、僻地農村でNGOが支援する教育施設を見ることだ。


ダージリンからバンに乗り込み、崖のように切り立った山岳地帯を揺れながら進む。
30分ほど走っていると、雨雲でどんよりと陰っていた空に急な晴が差し込んできた。こうなると景色は日本の地方でもよく見られるような森林に覆われて、どこか懐かしく落ち着いた雰囲気になる。対岸の山に見える家々はカラフルな色をしていたり、通りがかった家ではトタンの天井で洗濯物を干していたり、そういった些細な点を除けば、「ここは日本だ」と押し切れそうで、いわゆるインドと聞いて思い浮かべる景色とはほど遠い。

天気が晴れてきたあたりでちょうどよく、目的地となるカリンポンの教育施設に到着した。複数人の初老男性や中年女性が迎え出てくれた。平家が3軒ほど並んだ家のようにも見えるが、部屋の中には布を織るためのバカでかい織機が置いてあった。どうやって運び込んだのか?この施設の立ち位置や役割は、おぼろげな記憶に頼ると公立学校が終わった後の子ども向けの放課後教室的なことをやっていたハズだ。で、織機は職業訓練の一環として置かれていたらしい。

施設をぐるりと回った後、絨毯がひかれた応接室のような部屋に入る。ウェルカムの証か、なぞの帽子を被せられる。これでもかとチャイが渡される。先方当方合わせて15人ほどが部屋にすし詰めで、チャイをすすりながらインタビューを行う。
この辺りの人々はどんな仕事をしているのか?卒業した子どもたちはどうなっていくのか?十分な暮らしはできているのか?そういった話を聞きながら、断片的な情報を頼りにカリンポンの生き方に想いを馳せる。

インタビューが一通り終わって外に出ると、メディア取材があるから少し話してくれとのこと。どこのどういうメディアなのか、なぜ取材をしているのか、なんでスマホで撮ってるのか、全ては謎だがとりあえずそれっぽいことを喋る。

このカラフルな旗はなんなのか?仏教?

もろもろが終わってカリンポンからダージリンに戻る帰路の途中、休憩のチャイを飲むためレストランに立ち寄る。外は再び霧模様がもどってきており、うっすらさ冷える。現地通訳のニーサンが、しきりに「景色をバックに俺を撮ってくれ」とせがんで来る。景色といっても外は霧まみれなのに。しぶしぶ一通りのポーズを撮影すると、「今度はお前を撮ってやるよ」と撮影してくれた。外は霧まみれなのに。

ダージリンに戻ってきて、先ほどのインタビューなどを整理するために一旦ホテルへともどった。道中にはえんじ色の袈裟を羽織った坊主たちがずらずらと歩いており、ダージリンにおける仏教の色が感じられた。修行の地でもあるようで、そこらじゅうに寺があるそうだ。
ひと仕事&ひと眠りすると外はだんだん薄暗くなってきており、腹も減っていたのでレストランに駆け込むことになった。山盛りのマトンビリヤニとTUBORG (この地域でメジャーなビール)をかきこむ。ビリヤニとビールがインドにおいて推奨される組み合わせなのかは定かでないが、とにかく自分はこの食べ合わせがとても好きだ。少し辛めのビリヤニで憤った口の中を、ビールで鎮火する。日本人的にも馴染みやすい。ビリヤニは炊き込みごはんなので、大きなお肉がホロッと崩れる食感もまた良い。

マトンビリヤニ・トゥボルグ

夢中になってコトが済んだ頃には、あたりはもう真っ暗になっていた。酔い覚ましと食後の運動もかねて、少しばかりダージリンの中心街を練り歩く。少し坂を登った先には大きな広場と噴水があり、かわいげのある野良犬や旅行で来た家族連れの子どもが戯れている。狭い道で車やバイクはほとんど通らないので、インドと思えないほど落ち着いた雰囲気だ。将来インドに住むことになったら、間違いなく心を休めるために訪れるだろうな。

メインストリートの脇には、この街を象徴するような時計台がそびえ立っている。夜8時ごろにはあかりがほとんど消えたこのダージリンで、ひときわ明るくあたりを照らしている。行ったことはないが、ロンドンのビッグベンに似た見た目をしている。インドに行くまでは想像したことがなかったが、これもまたインドの景色なのだ。