【カスのプルースト】失われた尿を求めて
滋賀県、米原駅で小用を足していると、小便器から尿の臭気が立ち上り、尿分子が私の鼻の感覚神経に届いた。
尿は直前に飲食したものの匂いを反映する(と私は確信しており、ことあるごと(?)に主張しているのだが、あまり同意を得られたことはない。しかし、この主張に同意した人はすべて、もれなく私の親友と呼べる間柄になった。人生にはおしっこの匂いで盛り上がれる友人が時に必要だ。なお、同意した人の中に女性はひとりもいない。これは尿が飛散しやすい小便器に向かって小用を足したことがないという尿習慣〈にょう−しゅうかん〉に由来すると考える。便座に腰掛けて排尿――骨盤周りの脂肪で便器から尿分子を逃がさない――する限り、尿の匂いを感じる機会は少ないだろう。)が、その時の尿はコーヒーの匂いがした(ところで、コーヒーは特におしっこに匂いが移りやすい飲食物として(私の中では)知られている。コーヒーと並び匂いの移りやすさが顕著なものとして、鶏の唐揚げは外せないだろう)。
まずは私がなぜ滋賀県の米原駅にいるのか説明しよう。それが、私の尿からコーヒーの匂いがする理由に繋がる。
この日の前日、私はいつも通り大学の講義に出席していた…いつも通りというのは嘘で、この時は2020年、新型コロナウイルスという激甚な疫病により、対面形式での授業は絶滅寸前に追い込まれていたため、実家からオンライン形式で授業に参加していた。3限目が14時半頃に終了し、15時頃、千葉県の実家を出発し大阪へ向かった。在来線で。
対面形式の授業が無くなったことに伴い、私の通う東京の大学においては、首都圏で独り暮らしをしていた同期の一部は地元に帰っていた。私が大阪を目指したのは、地元に帰った仲の良い大学の友人に会いに行くためだった。在来線を使ったのは単に金欠だったからだ。大学生の頃はあるタイミングを境に慢性的に金欠だった。学費は母親に出してもらっていたので貧困ではなかったが、サークルを3つ掛け持ち(いずれも音楽のサークルである)していたことや、民謡のユニットに参加していたことなどが重なり、何かと出費の多い学生生活を送った。自分の場合、自然と「移動手段」(できるだけ徒歩)や「食事」の優先順位が下がり、支出を抑える方針になった。大学4年生のとき、私の体脂肪率は5%を切った。(医療従事者の姉からは「死にかけ」の身体と評された。)
在来線の話に戻ろう。首都圏から大阪まで、新幹線「のぞみ」を使うと往復の運賃だけで3万円かかるが、秋に発売される企画乗車券「秋の乗り放題パス」を使えば往復8千円弱で済む。大阪までの中間地点で一泊、大阪で一泊の計2泊でも当時は「Go To トラベルキャンペーン」なるイカレた補助事業により2~3千円でビジネスホテルに宿泊することが可能だった。したがって、往復運賃と2泊分の宿泊費、朝昼晩の食費でしめて諭吉(今は栄一)2枚でおつりが来るのだ。なお、さらに安い方法に夜行バスがあるが、途中下車ができないことや、睡眠不全からくる疲れなどから除外した(しかし、この次の年、国内最長の夜行バスである「はかた号」で東京から博多を目指すことになるのだが)。
15時に千葉県を出発すると、24時前頃に名古屋に到着する。コンビニ弁当を買い、格安のビジネスホテルで平らげるとすぐに深くない眠りにつく。遅めの時間に起きる。私は名古屋の喫茶店におけるモーニング文化を満喫しようとすでに賑わい始めた名古屋の街に繰り出した。東京ではすでに散ったキンモクセイがまだ咲いていた(匂いの記憶はよく覚えているものだ)。
名古屋駅周辺でモーニング営業をしている喫茶店を調べ、適当なお店に入った。
入った喫茶店は世界各国から選りすぐりのコーヒーを出しているお店だった。私は「タンザニア」のコーヒーを注文した。もちろんモーニングセットでホットドッグを追加して。
さて、話は冒頭のおしっこに戻る。
(おそらく私は「さて、話は冒頭のおしっこに戻る。」という文章を日本語で書いた初めての人間になった。私はおしっこで話を始めすぎである。)
名古屋のモーニング文化を楽しんだ私は、名古屋駅を出発しJR東海の新快速に乗った。JR西日本に乗り換えるため滋賀県の米原駅で下車をした際に小用を足したのが冒頭の排尿シーンである。尿からコーヒーの匂いがしたのは、朝名古屋で飲んだコーヒーが尿になったからに他ならない。私は、タンザニアから運ばれてきたコーヒーが全身の血管を巡り腎臓で漉しとられて排泄されたことに妙な感慨を覚えた。(続きを読めばわかるが、私は変態の類ではない(同時に、誰かが自分のことを「変態ではない」という人間が一番ヤバい、みたいな言説を主張していたことを思い出す))
各国のコーヒー豆からタンザニアのものを選んだのには理由があった。私はこの日の2年前にタンザニアに行ったことがあったからだ。真っ赤に焼けた鉄球のような太陽が地平線から上る国。右手で料理を食べ、左手で肛門を掃除する国。巨大なゾウ(ゾウは常に巨大である)が人を殺す国。フンコロガシと噛まれるとめっちゃ痛いアリが地を這う国。私のこのnoteにおけるアカウント名である「ガウゲリ」もタンザニアで賜った名前である。私の大阪行きを在来線で向かわしめた金欠も、タンザニアの渡航費用に全財産をつぎ込んだのが原因だった。私にとって最初で最後の海外渡航だった。タンザニアは私を大きく変えたが、私によってタンザニアが変わることはなかった。
やや話が逸れるが、タンザニアでもコーヒーを飲んだことをふと思い出した。広漠な2つの国立公園を抜けフィールドワークの対象となる集落(電気もガスも上水道もない)に到着したとき、ウェルカムドリンクとして現地の方にコーヒーを振る舞ってもらった。コーヒーは喉が焼けるほど砂糖が入っていた。コーヒーを持つ私の腕にはハエが20匹ほど群がり、全個体が私の肌のなにかをチロチロ舐めていた(このとき私は人生で最もハエを観察する機会に恵まれた。ハエは口に当たる部分からアルファベットのTの形をした口吻を、自身の付着する足場に押し付けたり離したりを繰り返す)。よく募金だの援助だのの文脈で目にするメディアでは、「支援を待つアフリカの子ども」にハエが付着する様子を目にすることがあるが、そういったビデオを見るたび、多数のハエが飛ぶのは衛生環境に由来するものと勘違いしていた。しかし、衛生環境によらず、ハエは人間を区別しなかった。驚くべきことにヒトに偏見を持つ動物はこの地球上でヒトだけなのだ。このときタンザニアは乾季で、湿度が10%という湿潤な国の生まれの人間にとっては耐え難い乾燥に見舞われた。ここまで乾燥していると、いくら暑くても汗が滴ることなく蒸発し、雑菌が繁殖する機会を与えない。私は現地で3日間風呂に入らなかったが、体が全く臭くならなかった(匂いの記憶はよく覚えているものだ)。本投稿を編集している今からすでに6年前の出来事であるが、いつかこの経験についても別の機会にまとめたいと思う。(余談が長すぎる)
私にとって唯一土を踏んだことがある外国のため、愛着めいたものがあった。タンザニア以外のコーヒー豆を選ぶ余地はなかった。タンザニアから帰国してからは、タンザニアとのつながりは失われたように思われたが、駅のトイレでコーヒーのにおい成分を嗅覚神経が感知する数時間前、私の硬口蓋に軽度の熱傷を引き起こしながら食道を通過したコーヒーは、タンザニアから来たコーヒー豆から抽出され、そのコーヒー豆を構成する原子はタンザニアの土や空気から形成された。私がコーヒーから腎臓で漉しとったコーヒーの成分は米原駅のトイレから処理場を経て琵琶湖へ、琵琶湖から瀬戸内海へ、深層海流に乗りインド洋、そして雨季にタンザニアの平野を浸す。繋がった! 私の尿がタンザニアと。私の消化管を媒介にして一つの輪で繋がった。
米原駅のトイレを出て、JR東海道の新快速に乗り再び大阪を目指した。車内でタンザニアのコーヒー豆が特別なものではないことに気が付いた。電車の座席の表面は化学繊維だった。原油由来のこの座席カバーはおそらく西アジアの油田から来た。窓パッキンのゴムは東南アジアのプランテーションから、電車のレール(鉄)はオーストラリアから、私が着るウールもオーストラリアからか。何に着目しても地球規模でスケールをいくらでも広げられることに気が付いて私はスンと冷静になった。私は千葉から。
米原の次の彦根駅で早速降り、彦根城(創建当時の姿を残す国内ただ二つの城である。国宝。もう一つは世界遺産にもなっている姫路城。天守こそ小ぶりだが、彦根城も世界遺産暫定物件として文化庁がユネスコに提出している。)を見た後鮒ずしを食べた。こうして私はコーヒーのことはすべて忘れた。鮒ずし本当に臭すぎたから(匂いの記憶は)。
多くの人が乗り降りする京都駅はガン無視し、大阪駅に到着した。環状線に乗り換え、友人との待ち合わせ場所である鶴橋駅に到着し、友人と久々の再開をした。(完全に余談だが、この友人とは大学でバンドを組んでいたものの、そのバンドは私とこの友人の与り知らぬところで痴話喧嘩により解散した。バンドが解散したその瞬間、私はボランティアとして新潟県の豪雪地帯で高齢者宅の雪を掻いていた。新潟県から戻ると、バンドは焼け野原になっていた。)
途中冷静になったり、鮒ずしの強烈な臭いに中てられたりしたが、米原駅のトイレで得た視座はその後ずっと意識するようになった。東京の住宅地にある空地は北アメリカからやって来た外来種で覆いつくされているし、将棋の対局を行う都内の某ホテルの外壁はインドから、八百屋に並ぶパプリカは韓国から、春霞はウイグルの砂漠から、そして友人は就職を機に再び大阪から、東京に。地球の表面をすべって私の生活圏にやって来たものを前にしたとき、私は米原駅で野放図を描いた尿を思い出す。遠い未来が過去になる日までこのことを思い出すとしたら、普通に最悪ではある。
おわり
【宣伝】
~文学フリマ東京39のZINEに寄稿します~
「記憶に残る喫茶店」をテーマに寄稿します。
本noteの投稿はこのZINEに寄稿しようとしたけどボツになったものです。(理由:おしっこの話しかしていないから)
金欠学生上がりの身からすると、喫茶店って一番縁のないもの(理由:喉の渇きは水道水で、落ち着いた環境は土手でそれぞれ満たせると考えていたから)ですが、何とか自身の記憶を振り絞って書いています。もしご来場の際はお手に取ってご覧ください。
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