インドでコロナ支援をする日本人より「利他で動く日本人がわざわざインド就職を選んだ理由」
私は常日頃誰かに善い影響を与えたい、その「善いとは何」であり「誰かとは誰なのか」を苦悩しながら選択と行動をしている。
そんな私がインドに身をおいた理由を記してみたい。
前提として人生の目的は
「外部環境により機会がない人へ機会を与える」
その結果として誰もが「ここに産まれたから」と言わずに努力し、目標を目指せる世界(これを幸せととらえている)を実現していきたいというもの。
その状況が最も深刻な場所としてとらえたところがインドだったのでインドに身を置くことを選んだ。
それだけと言ってしまえばそれだけなのだが、それでもなぜ他の国や地域ではなくインドなのかを追記しておきたい。
そもそもは国名で選択するつもりはなかったのですが、世の中はそうでもないので国単位で選ぶことになりました。
いわゆる「貧困」とよばれるような課題に対するアプローチの差がある。
同じく貧しさや難民などでよく名前があがるアフリカや中東に関しては各種議論はあるが国際機関の活動が入りやすく、「誰かが」手を差し伸べようとしている。それはその原因にかつての植民地支配やどこかの外交政策が常にからみ、さらにうまみもあるからだろう。
インドももちろんゼロではないが、問題は独自性かつ多様性により「貧困」という課題が「インド国内の課題」として捉える文脈が多かったように思われる。よくやり玉にあがるのは「カースト」である。
「カースト」は根強く残っている一方で恐らく私の感覚ではそこから派生する「貧困や死」に関しては置き去りになっている。外部機関がここに首を突っ込みにくいことは理解できるが、インド国内の人もいくつかの要因により介入しにくい状況ができているように思われる。例えば以下。
・カーストによる差別が憲法によりNGとされている
・法務大臣がダリット出身であったこと
・大学や国の機関へは入学・就職枠が設けられている
このあたりの事実から既に制度として解決できているのではと錯覚する人もいればカーストを話題に出すことで差別について語っていると捉えられるリスクがあると考える人もいるだろう。更には大半のインドの方は自分の収入が十分で安定しており、「もう自分は十分だ」「他人のために生きていこう」のように思える人が少ない。裏を返せばハングリー精神あり、のし上がってやろうと努力している。それはそれで否定するつもりもなければむしろ健全だと思う。もちろんインド人だろうが何人だろうが施しをする人もいるし、コロナという昨今の状況によりその支援をすべきという論調は圧倒的だ。
だったら日本人であり、対して今できることがない私が行く必要などないのではないかと思われるかもしれない。
なぜインドにいるのかそれは下記理由である。
・外部の政治機関、国内の機関だけではどうも解決できなさそうな課題があり、そこへアプローチできるのは権力を持たない、すなわちしがらみがない自由な個人
・インドの人から見て「外国人」であり、どちらかといえばよい印象を持ってもらえている「日本人」であるので動きやすく、止められにくい(今のところ文句を言われたことはない)
これらは外から見た私がインドを選んだ理由で、内的な考えとしては以下。
・実際にどのような状況なのかは調べたり聞いたりするだけでは不十分で、その場で何が起きているかを見て感じなければ関わり方を間違える可能性が高い
・課題の解決をいくら考えてお金や動かせる人がいても実際の対象者に近いところで「信頼」関係を結ばなければ対象者に届かない
そんな5月末の土曜日の頭の中でした。
お邪魔しました。
※昨今活動している寄付活動をきっかけに関わらしていただいた方もいらっしゃるのでざっくりと自己紹介を載せておきます。酒の肴にはまだなれない小さな存在ですが、立派な「現代ゴリラ」になり、45歳を越えていけるように頑張ります。今まだ30ですが。
自己紹介:福岡 洸太郎
「1989年生まれ、2009年に東大入学、文学部思想文化学科宗教学宗教史学専修課程を修了し卒業。その後7か月間のバックパッカーを経て翌年4月より商社に就職。半年で退職し世界最大の人材会社へ就職。新人賞受賞・CSR活動としてのトライアスロン代表を経験し2年6半の勤務を経てインド人材会社へ就職。2年弱採用・キャリアコンサルタントおよびマネージャーの経験。現在はITスタートアップ会社のインド法人取締役としてインド事業拡大に努める。」