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天平の甍
井上靖、1957年の作品。
https://www.shinchosha.co.jp/book/106311/
極限に挑み、木の葉のように翻弄される僧たちの運命を、永遠の相の下に鮮明なイメージとして定着させた画期的な歴史小説。
淡海三船=真人元開が記した「唐大和上東征傳」を基に執筆された。
「東征傳」を翻訳してくれた人がいて、知識のない自分でも比較して読むことができた。
井上の書きぶりからは、どこか硬質な印象を受ける。
俯瞰した視点から普照や栄叡をはじめとする僧たちの姿を描き、誰の生き方がよいとも、悪いとも書いたりしない。
ただ、その描く「遭難」の場面は厳しくも、美しい。
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普照と業行
「普照」と出会ったことで、あるいは鑑真が日本に渡ることを決意したことで、留学僧だった「業行」の運命も動く。
孤独で、人づきあいが苦手で、でも、確固たる信念を持つ業行の姿は「東征傳」にはない。
彼は何も成し遂げることはない。
その人生には、どのような意味があったのか、作品中で考察されることもない。
ただ、硬質だと書いたけれど、井上の、この人物に向けるまなざしは、確かに温かい。
たとえ報われない人生だったとしても、あるいは、第三者がそんなふうに思う人生だったとしても、「生きることには意味がある」。
もっと知りたいな、と思って調べていると、普照の法名は「業行」だという。
2人の留学僧は、1人だったということだろうか。
どちらが、どちらにもなりうるという、そうした意味までも込められていたのだろうか。
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「並木」の始まり
普照は、都の路傍に果樹の樹を植えることを奏上し、認められた。
夏は木陰が、秋は果実が、人々の疲れを癒し、楽しませた。
これが、日本での、「並木」の始まりだという。
自分が学問を修めることを第一としていた普照が、道行く人のことを思う。
普照は西大寺に入ったとも伝わる。
西大寺を復興させ、社会福祉に取り組んだとされるのが、叡尊。
不思議なものだ。
歴史は、つながっている。
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そういえば、かつて金の星社から出版された「天平の甍」の挿絵を、「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズの挿絵を手掛けた依光隆さんが担当していたと、最近、知った。
思いがけないところで、思いがけない人のことを目にした。
その人のことを思い出して、思わず息をついた。