最近の記事

天平の甍

井上靖、1957年の作品。 https://www.shinchosha.co.jp/book/106311/ 淡海三船=真人元開が記した「唐大和上東征傳」を基に執筆された。 「東征傳」を翻訳してくれた人がいて、知識のない自分でも比較して読むことができた。 井上の書きぶりからは、どこか硬質な印象を受ける。 俯瞰した視点から普照や栄叡をはじめとする僧たちの姿を描き、誰の生き方がよいとも、悪いとも書いたりしない。 ただ、その描く「遭難」の場面は厳しくも、美しい。 普照

    • 佐々涼子さん その作品はすぐそばに

      佐々さんが亡くなった ノンフィクション作家の佐々涼子さんが亡くなった。 もちろん、お会いしたことはない。 ただ、出版されたすべての本は読ませていただいた。 「ミケと寝損とスパゲティ童貞」は、最初期の作品。 日本語教諭だった佐々さん。 海外から日本に来た人たちへの視線は優しい。 のちの「ボーダー」へと、きっとつながっていったのだろう。 「駆け込み寺の玄さん」で、佐々さんはノンフィクション作家への道を歩み始めた。 ”得体のしれない”、同時に、とてつもない魅力を秘めた「玄秀盛

      • 殺生戒にもとる

        新聞記事を読んでいて、思わず息を吐いた。 戦時中、奈良・唐招提寺の長老だった北川智海という人のことが書かれていた(「海」は、本当は「毎」の下に「水」と書く)。 この人のことを知りたくなって、唐招提寺を訪ねてみた。 唐招提寺をひらいたのは、言わずと知れた鑑真和上だ。 日本からの熱心な招きに応じて渡日を決意した。 しかし、当時の航海は極めて難しく、5度にわたって失敗し、視力を失った。 それでも諦めずに6度目の航海で来朝を果たした…と寺のしおりに書いてある。 唐招提寺の境

        • ”凍れる音楽”

          「薬師寺東塔」は、そんなふうに呼ばれている。 人とは、なんと豊かなことばを持っているのだろうと思う。 薬師寺 薬師寺は、天武天皇が病気になった后のために発願し、建設を進めたと伝えられる。 病が癒えた后は、やがて持統天皇となり、塔の完成を見守ったのだろう。 寺のかたの解説によれば、藤原京から平城京に移されたのは、714年とも、716年とも言われるそうだ。 東塔は、戦乱をくぐりぬけて、今、その場に立っている。 三重の塔の屋根の間には「裳階(もこし)」が設けられ、だからこそ

          思ったことを書いてみます

          いろんなことが身の回りに起きるので。 記録しておきたいと思います。 なんか、懐かしいな、この写真…

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