【成長はいつも尊い】 映画『セールス・ガールの考現学』
はじめに
モンゴル映画との出会いがこの作品でよかった。二度目を早く観にいきたくて、手帳とにらめっこする今日このごろ……
久しぶりに都会の劇場を訪れ、どの映画を観ようか…と決断しかねていたときに「大阪アジアン映画祭で俳優賞を受賞」という謳い文句を目にして、安直ながら乗せられてしまった。トレイラー映像をチェックし、性をテーマに据えた映画だとふんわり理解。好奇心に胸を弾ませ、チケットを手にシアターへと向かった。
映画の舞台、モンゴルについて
舞台はモンゴルの首都、ウランバートル。
草原と羊とゲルに象徴される牧歌的な風景を思い浮かべていたけれど、映画が始まるや否や、ステレオタイプに染まっていたと反省することになる。都会の景色は日本とさほど変わらない。夜の市街は妖しげなネオンサインに焼き付けられていたし、登場人物たちは近代的なアパートメントや、瀟洒なフラットに住んでいた。しかし、都会からすこし離れたところには変わらず雄大な草原も共存している。モンゴルの多様性に富んだ景観を知る資料としても、一見の価値があると言えるかもしれない。
あらすじ
さて、あらすじに軽く触れておこう。
主人公は日々をつれづれにやり過ごす地味な女子大生、サロール。ちょっとした成り行きでアダルトグッズ屋のバイトをする運びになり、オーナーを務めるミステリアスな女性カティアと知り合った。仕事が仕事なだけに、思春期のサロールも性という話題から目を背けることはできず、うっすらと興味を持ちはじめる。
そして幸か不幸か、サロールには毎日の売り上げをカティアの邸宅へ届けに行くタスクがあったため、二人が共に過ごす時間は次第に増えてゆく。経験豊富な雰囲気漂うカティアは、サロールにめいっぱいの助言を授けようと試みた。その指針に素直に触発されたサロールは、人生と性愛について考え直す機会を掴み、これまで無意識のうちに受けてきた社会の抑圧からいくらか解放される。性生活もキャリアも、100%を思うがままにできるわけじゃないのだ。
また一方で、深い孤独を誤魔化しながら人生を歩んできたカティアも、聡明なサロールの前では取り繕うことを諦め、うら淋しさをはっきりと言葉にして吐き出すようになってゆく。
ここがイイ! ①音楽の演出
端的に言えば、この映画は歳の離れた二人の女性が対話と衝突を繰り返しながらある種の友情を深め、人生を再スタートするきっかけを掴むハートフルな成長譚だ。
先ほど紹介したストーリーは言わずもがな、手の込んだ演出もまた素晴らしい没入感を生み出している。序盤、サロールが社会に心を閉ざし殻に閉じこもっている様子が何度か描かれるのだけれど、バイト終わりにヘッドフォンに心を預けて帰路につくシーンが長めのショットで流れるので、孤独な時間の描写がうまいなぁ、とつくづく感心した。
このシーンでサロールが聴いている音楽をはじめとする劇中歌は、「マグノリアン(Magnolian)」という新世代のモンゴル・ミュージックを牽引する新進気鋭のシンガーソングライターの楽曲であり、その彼が映画の中で何度も姿を見せ、ん?と疑問に思わせるのだけど、その現れ方の変化こそがサロールの成長を丁寧に描き出していたのだと最後に気付かされた。
そしてもちろん彼の楽曲、これがなかなか良い。エンディング・シーンに流れる「Civil War」は妙に中毒性があって、サロールが孤独という友達と決別したという明るい事実を、もの悲しげに伝える力を秘めている。ぼくはここ数日ずっとこの曲を聴いてばかりで……
ここがイイ! ②爽やかな性描写
話を本筋に戻すと、カティアにさまざまな助言を受けるにつれ、サロールは性的な事柄に強い興味を持ち始めたことへの恥の意識を薄れさせていき、主体的にも客体的にも、その身で色々なことを体験しては性愛を知っていく。
このように書いてしまえば、まるでビビッド・ピンクに塗りたくられた映画かのようだが、全くそんなことはない。愛憎相半ばする肉欲の世界が、さまざまに描き分けられていたことには多大なる賛辞を贈りたい。というのも、ポジティブで健全な性の芽生えはユーモラスに描かれる反面、主人公が一方的で下劣な性欲を被る場面はきわめてシリアスに映し出されていたのだ。
ゼンゲドルジ監督は当作品と猥雑なブルーフィルム的映画との間に6Bの鉛筆できっぱりと一線を引いているように見受けられる。だから、ポスターの印象で敬遠してしまうのはもったいない。逆に、もちろん、Hなことを期待をして観にいく官能的な作品でもない。
タイトルは微妙?
ただ、ひとつだけ煩いことを言ってもいいなら、邦題には疑問が残るかも。
原題は「The sales Girl」なんだよ? サロールが実体験を通して社会に目を向ける過程を「考現学」というワードに濃縮して、「セールス・ガールの考現学」と翻訳したのかもしれないけれど、考現学では齟齬を生じかねない。
一昔前に流行を見た考現学という学問を、知っている人も知らない人もいる。でも、観る前にこのタイトルから作品のテーマを還元して言い当てられる人はいないし、観劇した後でさえ、大多数の腑に落ちないと思うんだ。だってニュアンスが違うんだもん……
挑戦的で面白い翻訳だと評価はするよね。
ここがイイ! ③キャストの確かな実力
で、最後になるけれど、俳優陣をめちゃくちゃ褒めなきゃいけない。サロール役のバヤルツェツェグさんは、精神的な成長を顔に滲ませて表出させるその演技力もさることながら、それに付随する「垢抜け」の具合がとんでもなくて、はじめの中学生ばりの芋っぽさはどこへやら、いつしか超絶美少女になってしまった。眉毛と髪型って、第一印象をつかさどっていると心底思う。
そして、カティア役のエンフトールさんはおよそ30年ぶりに映画のメインキャストを務めたそうだけれども、そんなことを微塵も感じさせない演技だった。カティアは人生の先輩としてサロールに格言じみた言葉を与え続けるけれど、わざとらしさも、説教臭さも全くない。内容はわりかしクサいのにもかかわらず。
それらの格言のなかでひとつ特に心に残っているものがあって、「苦しみを知って幸福を理解する」という主旨の言葉があった。これは、長い人生ずっと苦しみ続けてきたカティアの口から発されるから意味があるんだよね。孤独って辛いよ、ほんとうに。
まとめ
ともあれ、性愛を主題に据えた作品としてはかなり洗練されているし、孤独と自立の描出は繊細かつ大胆だった。広く観られてほしい映画だな、と思う。少なくとも私は大好き。リズム感覚とバランス感覚がクセになる。心が二度目を求めてしまう映画。