同調意識と認知的不協和
まだ子供も小さく、オイラも忙しく働いていた時の話。
奥さんの父親=義父(ぎふ)が、我が家に遊びに来ていました。ある日の夜、オイラと義父は食卓の椅子に並んで着座。
オイラは書類を眺めたり、部下との電話対応で中座したりしながらの食事。言ってみれば、「心ここにあらず」の状態で食事をしておりました。その中で、時折、義父の言葉に相づちをはさむ場面、頭に浮かべてみてください。
奥さんがテーブルに並べてくれたポークチャップ、ふと見ると、オイラの肉の一部が欠けています。それも、小さな半円形。まるで、誰かがかじったみたいに。
「お義父(とう)さん、食べた?」って聞くと、義父(ぎふ)は答えます。
「いや、俺は食べてないよ」。
威風堂々(いふうどうどう)として動じる様子などみじんも感じられません。
他のことに気を取られていたこともあり、性善説に従って生きていたオイラ、それ以上、追及できる訳もありません。
ではここで、その時のオイラの心の中に分け入ってみましょう。
第一のステップとして、自己の考えや行動を他者に合わせようとする同調意識が作動しました。なぜ、同調意識があるかと言えば、マス・メディアの情報発信力や権威を持つ政治家や学者の価値観に同調して集団の団結力や集団への帰属を高める方が、自己の生存や繁栄に有利だから。
オイラの場合は、義父という権威ある人の意見に同調すべき、との同調意識が頭をよぎったのでしょうね。
そして、次のステップで、事実と自分の考えに「差」があると不快感を感じる認知的不協和が起こります。その不快感を解消するためには、自分の考えや行動を変えること。そこで、「たいした問題じゃないから、まあいいか」と事実を軽視することで心理的負担の軽減を図ります。
続いて、「落ち着いて食事をしていなかったから、自分で肉を噛んだを忘れたんだなぁ、きっと」と、事実に沿って自分の考えの修正を図りました。
でも、腑に落ちませんよね。どんなに忙しくても、オイラが肉にかぶりつくことなんてありません。粗野ではありますが、必ず、ナイフとフォークを使います。
それから、数か月後、義父がアルツハイマー病と判明しました。
そう、あのポークチャップの間接キスは、義父からのギフトだったんです(笑)。
追伸:ところで、エモいちゃんが、クリスマス用にアイコンを作成してくれたので、期間限定で使用させて頂きます。エモいちゃん、いつもありがとう。