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白いカラス(番外編 (Ⅲ)) ー金縛りー
金縛り
昨日、すき家で注文した品が出てくるまで、携帯で記事の編集をしながら待つことに。そして、効率よく削除しようと「すべてを選択」したのが運のつき。
それを解除しようとしているうちに金縛りにあったかのように、思い通りに手が動かなくなり(⇐ウソ)、すべてが消去されちゃいました(笑)。
現在、記事を作り直すのと並行して、他の下書きも evernote に移す作業をしております。
てなことで、またまた、番外編となりました。
金縛りを経験することで超常現象を信じるようになった人もいるようですが、今回のオイラの失態も本当は超常現象だったのでしょうか(笑)。
北米では、枕元に宇宙人が現れて、宇宙船に連れていかれたという誘拐体験を語る人が多いそうです。
夢に関して数々の名作を残しているのが、ながた師範。
https://note.com/nagata_s/n/n6ced4dc0c96b?magazine_key=m7c3f0ca83ba1
金縛りはレム睡眠という浅い眠りの時に起こり、大量のアルファ波が出ていて、起きている時と区別できないほど。
金縛りの間、本人は胸が押さえつけられて息苦しいと感じていても、実際は手先がわずかに動く程度。レム睡眠で心拍数や呼吸が乱れる時に「人がのしかかっている」という幻覚が起こっている、と解釈されています。
レム睡眠時には覚醒状態と同じなので、実際は目をつぶったままだったのに、覚醒後、「この部屋の様子を見た」と言う人も。
金縛りは個人の経験だけでなく、国や地域の文化の影響を強く受けるのです。
こうして眺めてみると、金縛りって、夢と現実の区別がつかない点で、ある人たちと共通していませんか(笑)?
◇ ◇ ◇ ◇
論理的推論
人間は社会的な生き物であり、慣習的な取り決めに頼りながら、互いに協力したり、依存し合って生きているのです。表現を変えれば、人間は制度によって互いの行為を拘束することを必要とする生き物ということ。
直接、聞いたわけではありませんが、動物は、「善など、真理、芸術、学問への尊敬なしに語れない」なんて感じながら生きてるわけないですよね。
自身に善をもたらすだけでなく、他者に利益をもたらす時も「善行」として賞賛されます。
一方、人間には無知、意志の弱さ、厚顔無恥さなどもあります。
厚顔無恥な人は真理への尊敬もなしに、平気でダブル・スタンダードを振りかざしながら反道徳的に振る舞います。
つまり、約束を守る、公平であることを人には求めながら、自分は公益に関与しないフリーライダー(ただ乗り)、チェリー・ピッキング。
https://note.com/gashin_syoutan/n/n05429e449d38
憲法9条があるから平和だ
軍隊がないから平和だ
核がないから平和だ
だから「日本は平和だ」となるのが、帰納法。
三段論法とは、大前提、小前提、結論から成り立っている論証法であり、演繹的推論を定式化したもの。
日本は平和である(大前提)
軍隊のないのが日本である(小前提)
ゆえに軍隊のないのが平和である(結論)
「日本は平和である」という場合、われわれが本当に知っているのは、「戦後80年近くにわたって平和だった」という事実。日本が嫌いな人たちは、その事実に、「戦前までの日本は残虐極まりなかった」と付け足しますがね(笑)。
事実が我々にもたらしてくれるのは、確からしさであったり、蓋然的な言明でしかないのに、「日本は平和である」という信念を疑わなくなってしまった例の代表が、憲法9条=平和憲法です。
三段論法を使えば、幽霊も実在することにできちゃいますから(笑)。
帰納法、演繹法の両者においては、前提となる事実や一般論(ルール)に誤りや偏りがないことが不可欠です。いずれの思考法でも前提となる情報が正しくなければ、正しい結論を導くことができません。⇒ GIGO(Garbage In Garbage Out) でしたね。
https://note.com/gashin_syoutan/n/neff4b6f98597
そして、論理の飛躍にも注意が必要です。
前提となる信憑性のある事象から導かれることなのか、単なるひらめきへの強引な結び付けなのかを区別できる脳が必要です。
ところが、人間には 「 “みんなと同じだ” と思うと安心する習性」があるんでしたね。
https://note.com/gashin_syoutan/n/n14fd1b25fbdd
◇ ◇ ◇ ◇
教育
日本の子供に必要なのは、外国人に参政権を与えることではなく、自分たちで決定できる権利とその権利を行使すべき国なのです。
「正義とは強者の利益にほかならない」という言葉は、プラトンが自身の主著『国家』の中の登場人物であるトラシュマコスに語らせたもの。
正しさは、思想の内容ではなく、その思想の持ち主が強者かどうかによって決まるということは、武力によって社会が支配されることを容認するという意味になります。
中国は武力でもって現状を変更しようとしています。
中国は自国メディアを動員し、米国のナンシー・ペロシ下院議長による台湾訪問への対決姿勢を強めています。1995~96年の「台湾海峡危機」では、米空母の派遣で台湾に対する示威行動を抑え込まれましたが、当時とは違うんだぞってね。
さらに、これまで推進してきた強軍路線を正当化する狙いがあるようです。
中国の指導者が、トラシュマコスの「正義とは強者の利益にほかならない」という言葉を知っているとは思えませんが(笑)、日本の政治家も知識人も、知ることができますし、知っておかなければなりません。
以前も書きましたが、このシリーズを始めたのも、無駄と知りつつ、ある人を啓蒙しようと思ったのがきっかけ。
ところが、オイラの「周囲に配慮する」「他人を気遣う・周囲の目を気にして行動を決定する」社会的選考が非合理的なものである、と証明するだけに終わってしまいましたがね(笑)。
もし貴方の考えが理性に基づいているのなら、それを貴方は説得ではなく議論によって支持するだろうし、もしそれに反する論拠があれば、その考えを捨てるだろう。しかしもし貴方の考えが信仰に基づいていたら、議論は無意味であると気付き、従って説得や、年少者の心を歪めるという強制の力に頼るのである。そしてそれは「教育」と呼ばれる。
恐らく、ある人は、バートランド・ラッセルが指摘した年少者の心を歪める強制の力=「教育(洗脳)」によって形成された信仰にがんじがらめになっていると気づいたのでしょう。
でも、今さら自分の考えを捨てられない、と観念して、オイラに別れを告げた、と推測されます(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇
サタン(悪魔)
ロシアによってウクライナが侵略され、日本国民が安全保障を考えるべき大事な時に、安倍元首相が暗殺されました。
今や、暗殺者が統一教会に恨みがあることが契機となって、肝心の問題がうやむやに・・・。
サタン(悪魔)は、人間の姿をして、人間を堕落させるもの。
キリスト教では、〈サタン〉もまた神の被造物であって、完全に神から独立した存在ではないとする捉え方が一般的。よって、悪の存在を正当化する必要があり、悪魔を積極的な悪としない論理の展開にならざるを得ません。
マス・ゴミや野党は、暗殺者・山上という悪の存在を正当化することが、為すべき正しいことと信じているわけでもないでしょうが、改憲議論から目を逸らす絶好のチャンスと見ているのは間違いのないところかと。
これまで日本が平和を享受できたことを、鉛筆を人差し指と親指で摘んでいた状態に喩えると、今は、鉛筆を手のひらの上に立ててバランスを取らなければならない状態。
前者は安定状態で、後者は不安定状態。
説明するまでもなく、後者は重大な局面です。
何もしなければ、鉛筆は手のひらから地面に落ちてしまうのですから。
自分がしてよいことには限界がある、と考えるのは大切ですが、重大な問題に直面しているのに、それを「議論すらしない」=「無視する」という「非-行為」はどうなんでしょう?
「無視するという行為」を(積極的に)行う人=「非-行為」な人に言いたいのは「上の空、無分別、愚かではいけませんよ」です。
悪の存在を正当化しようとたくらむ野党やマス・ゴミは、誤った良心を持っているというより、トラシュマコスに同意する不誠実かつ恥知らずなサタンの手先かも(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇
誤謬(ごびゅう)
「多様性を認めろと言いながら、他者の表現の自由を認めない人々」と「暴力団」との違いはどこに?
武蔵野市の外国人住民投票権についてツイートした金井米穀店さんの店舗前で20人以上の左翼が迷惑デモ行為
キャバクラ店前に“ヤクザ風”男が大挙 「暴力団お断り」に逆ギレ嫌がらせ 幹部ら9人逮捕 東京・歌舞伎町
「だが、ちょっと待ってほしい」は朝日新聞が得意とするフレーズ。
26日の朝日新聞には「加藤死刑囚が後悔する社会になれたか」って記事がありました。
「だが、ちょっと待ってほしい」。
お得意のゼロ・リスク症候群を引っ張りだしてきて、安部元首相暗殺事件を社会のせいにしたいんでしょうが、それってどうなんでしょう。
https://note.com/gashin_syoutan/n/n32228756ee5b
https://note.com/gashin_syoutan/n/n05429e449d38
「だが、ちょっと待ってほしい」
金井米穀店さんの店舗前での迷惑デモ行為をメディアは、表現の自由を脅かすとして大々的に報道していないじゃないですか?
マスコミが得意とするのは、「報道しない自由」の行使による良からぬ方向への世論誘導、そして、切り取り・捏造。
表現の自由を脅かす人々を報道しない自由を行使し、良からぬ方向へ世論誘導する姿勢と、安倍元首相が暗殺されたことが無関係とは、オイラには思えないのですけどね。
(考え・知識などの)あやまりを誤謬と言います。
誤謬を招く修辞法を知らないと、便所紙(by 猫ムスメ)によってミスディレクション(誤認に導く説明)されてしまいます。
A:「C はコンビニでおつりを多くもらったのに、黙っていたみたい」。
B:「お前、Cから借金があるんだろう。それなのに、よくそんなことが言えるなぁ」。
AとBの会話において、Aが借金をしているかどうかは論旨とかけ離れています。つまり、誤謬ということ。
誤謬を狙った方法は他にもありますよ。
燻製ニシンの虚偽(レッド・ヘリング red herring):真の事柄を悟られないよう、相手に偽の事柄に注意を向けさせにする修辞技法。
小説で、「意味深長な」言葉を並べたり、無実の登場人物に疑いが向かうように意図的に誘導する、誤った手がかりを与えて重要な事柄から受け手の注意を逸らすなど。
Whataboutism:論理的誤謬の一種。 自身の言動が批判された際に。直接疑問に答えず、「What about...?」と聞き返し、話題をそらす。
お前だって論法:Whataboutismの一種。相手がその主張に沿った振る舞いをしていないとして、相手の主張する議論を貶める論法。
appeal to hypocrisy、偽善の抗弁、そっちこそどうなんだ主義ともいいます。
ちなみに、「 hypocrisy」は偽善です。宗教や道徳的信念に関し、真の性格・性向を隠す一方で、美徳または善といった見せかけの外観をつくること。
上述のAとBの会話を改憲議論に置き換えてみました。
A:「ロシアによるウクライナ侵攻を見たら、日本は憲法9条を改正すべきと思うんだけど」。
B:「お前、大東亜戦争を正当化する気なのか? 戦争犯罪を犯した日本人が、よくそんなことが言えるなぁ」。
AとBの会話において、Aは大東亜戦争とは言っておらず、Bの反論内容は論旨とかけ離れています。つまり、誤謬ということ。
これでは、議論になりませんね。
猫ムスメちゃんに便所紙って呼ばれる「偽善者が集まる偽善社」が、誤謬を駆使して間違った方向に世論を誘導しておきながら、「社会が悪い」というのですから困ったものです(笑)。
https://note.com/namedtama/n/n1474c642ed5d
◇ ◇ ◇ ◇
非暴力と暴力装置
旧約聖書にある「右を殴られたら右だけを同じ回数と強さで殴り返せ」と厳命する同害報復は、神ヤハヴェの神聖なる義務です。
イエスはこの神ヤハヴェの厳命する義務=報復主義を禁じ、「右の頬を打つような者には左の頬も向けなさい」と聴衆に説きました。
コーランの同害報復=タリオは、目には目。歯には歯。・・・やけどにはやけど・・・。これは、復讐をススメているのではなく、倍返しを禁じているのです。
古代ローマの神学者アウグスティヌスは、キリスト教の非暴力の教えに従い、不当な暴力に対抗するための個人の自己防衛ですら、正当とは認めていませんでした。
正当防衛の概念が形になってくるのは、中世中期、トマス・アクィナスの登場を待たなければなりません。
非暴力を政治的選択とする平和主義の登場は、ナポレオン戦争や米英戦争の終結を経てからのこと。
19世紀後半以降、自由主義、功利主義、社会主義が非暴力の思想的ルーツとなると、もはやキリスト教と関連で論じられることはなくなりました。
Q:法律で「仕返しを我慢して、ここは、おかみに任せなさい」と自力救済を禁止しているのは、なぜ?
A:国家権力による裏付けを伴った法がなければ、倍返しは避けられず、社会や国家は混乱状態に陥り、ついには破滅、瓦解に至るからです。
「法律なければ犯罪なし」
「法律なければ刑罰なし」
これが罪刑法定主義であり、明文化された法に則って理性的に刑罰を科すことで社会秩序の維持を図ろうというものです。
人間の心から復讐心や憎悪の感情を払拭しきれないからこそ、罰刑法定主義が考え出されたのです。
復讐の悪循環を断つためには、国家が私的報復を禁止すると同時に、暴力装置を持たなければなりません。
「法が持つ刑罰の行使という潜在力があればこそ、平穏無事が維持されている」という事実が示唆するのは、「潜在力としての軍事力の存在こそが国家の安全保障=平和を担保する」なのです。
◇ ◇ ◇ ◇
平和主義
ー正義のためにあらゆる不正義を動員しろー
平和主義者を自認する人にも、いろいろなタイプがいます。
橋下徹氏のように、「一方の軍事力による強制を容認し、他方の軍事力による抵抗を否定する」タイプと、共産主義のように、「ブルジョワジーが行う「悪い戦争」への反対」タイプなど様々。
一方、軍事力と無縁なのがトルストイです。
彼は、「無抵抗主義と非暴力の教えであるキリスト教」と「暴力装置である国家」とが交わることは永遠にない、言います。
確かに、政府活動は警察活動も含めて暴力的であり、近代国家というものは戦争や刑罰を含む暴力装置を内包せざるを得ないのです。
とすれば、「キリスト教国家」というのは、語義矛盾でしかありません。
撞着(どうちゃく)語法:修辞技法のひとつで、互いに矛盾している表現(語義矛盾)で構成される表現。
「Aであって、かつ、not A」などありえない(矛盾律)のに、そうであるかのように語ること。
たとえば「賢い愚者」「白いカラス」、「黒い白鳥」、「強制的ボランティア」、「憲法9条は平和憲法」などいくらでも作れます。
まあ、詭弁を弄するとかトートロジーも意味は一緒です。
共産党の志位さん、これまで本音を隠してきたものですから、ここへ来て論理破綻を取り繕うのに汲々としているご様子(笑)。
https://note.com/gashin_syoutan/n/nc731b1a5b092
近頃では、
「急迫不正の主権侵害が起こった場合には自衛隊を含めて、あらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守り抜く」と強調。
「憲法9条のもとでも個別的自衛権は存在する。必要に迫られた場合にはその権利を行使することが当然というのが確固とした立場だ」
と言っちゃってます。
「ちょっと、何言ってるかわかんない」 by サンドウィッチマン
そりゃ、わからなくて当然でしょう。
だって、今まで、自衛隊は違憲、日米同盟破棄って言ってたのに、今さら自衛隊に国民の命を守れって言うのは、語義矛盾・撞着語法・詭弁・トートロジーもいいところです(笑)。
なぜそうなるかは、歴史を振り返ればわかります。
旧ソ連の表看板は自由、平等、繁栄、平和の実現、絶対善の実現 ⇒ 人民から搾取し抑圧と貧困のままに押しとどめる支配階級を打倒し、資本主義支配から解放すれば、それが実現する。
サタン(悪魔)の国アメリカを倒せ。
自分たちは他国に戦争をしかけたりはしないが、人民解放のためなら、正義の戦争も厭わない。なぜなら、人類愛、正義、倫理の名のもとに政治理念を確立し、政治行動を行うのが自分たちの使命だから。
しかし、その実、戦争輸出国家であり、領土拡張をやめない国家の伝統は、今もロシアに引き継がれています。
まだまだ、続きますよ。
理想的な社会、倫理的な人間関係を樹立するという最終目的のためには、いかなる手段も許される 。
一言で言えば、「正義のためにあらゆる不正義を動員しろ」だ。
どうです、見事なトートロジーでしょう(笑)。
レーニンの国家死滅論は、ソ連が世界を征服統一し、ソ連だけが残って可能になるというもの。そのためには共産党政権は手段を選ばないのです。
もちろん、革命で勝利するために総力をあげるのであり、戦争なんてしませんよ、戦争なんて(笑)。
いうまでもなく、国民の生命も財産も、この目的のために無条件に差し出さなければなりませんけどね。
まさに、中国共産党が目指しているのが、上記のようなレーニンの夢=トラシュマコスの「正義とは強者の利益にほかならない」に他なりません。
これまで、語義矛盾・撞着語法・詭弁・トートロジーを繰り返してきた志位さん、脳波に大量のアルファ波が出ていて、あたかも覚醒しているかのようでも、実はレム睡眠だったってことはないでしょうね(笑)。
まさか、中国に倣って、政権を獲るまでは「爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術」=韜光養晦(とうこうようかい)を唱え、政権を獲ったとたん独裁政治に突き進もうってわけじゃないですよね(笑)。
https://note.com/gashin_syoutan/n/n6e4067b9c906