白いカラス(6) ー時間のない国ー
クロノス:時間の神。クロニクル(年代記)の語源となった古代ギリシャ、シュロス島出身の思想家 ペレキュデースが創作した神。
大地、農耕の神でゼウスの父 クロノスとは別物。
オイラ、理想的な社会への憧れはあっても、実現可能性はゼロに近いと思ってます。なぜなら、人間は矛盾の塊だから。
それに、もはや変更すべきところのない社会では進歩の必要性がないから、歴史は止まってしまうでしょう。
これを人は、ユークロニア(時間のない国)と呼びます。
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機械論的決定論=森羅万象は知り尽くされ、すべては予測通りに進む
「天体力学概論」と「確率論の解析理論」という名著を残した数学者・物理学者・天文学者であるピエール=シモン・ラプラスは「偶然とは無知の告白である」と言いました。
その根拠は、任意の一時点で宇宙の状態(原子の位置と速度)がわかれば、次の瞬間の状態が決まり、さらに次の・・・てな具合に続く=未来永劫にわたって宇宙がどうなるかを知ることができる、と考えていたから。
でも、そんなこと、人間にはできっこないですよね。
そこで、ラプラスは人知の限界を超えた悪魔を考えました。それがラプラスの悪魔。
宇宙全体が、一度動き始めれば、後は自然法則通りに動き続ける自動機械のようなものであり、あらゆる出来事は決定されているというのが機械論的決定論。
まるで、平和憲法みたいでしょう(笑)。
でも、ラプラスが悪いんじゃありません。
なぜなら、彼は自然法則はニュートン物理学によってすべて解明されると考え、もはや新たな発見はないだろうという楽観的な風潮が強かった時代に生きていたのですから。
ラプラスならぬ、英語のラプス(laps)は失効、失敗、消滅、推移、時間という意味(笑)。
さて、ニュートン物理学の前提となっていたのは?
それは、絶対時間、絶対空間。
つまり、時間は不変、空間も不変ということです。
では質問です。
答えは、Aの光の速度は不変でした。
光の速度が不変から帰結されるのは、驚くなかれ、時間と距離が不変ではないということなんです。
「えーっ、そうなると、ニュートン物理学はどうなっちゃうの」って、思ったあなたはエライ!!!
そこで、相対性理論のアインシュタイン先生にご登壇頂きましょう。
「ワシがね、時間も空間もそれぞれの観察者によって異なる相対的な概念であることを実証しちゃったんだよね」。
「あはは、ニュートン物理学、ざまぁ」って言ったかどうかについては、定かではありませんけどね(笑)。
原子力発電所では、ごく微量のウランの核分裂反応を利用して、膨大な原子力エネルギーを取り出しているわけですが、質量が膨大なエネルギーを秘めているという発想も、相対性理論に基づくもの。
ねえ、現実にはユークロニア(時間のない国)とは反対に、時間は絶えず流れています。
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平和主義という理想
日本はポツダム宣言に沿って武装解除、非軍国主義化されます。
1946年に交付された徹底した平和主義に基づく日本国憲法で戦後の再出発を果たした日本では、国民が「防衛」にアレルギー反応を示すようになりました。
日本は自衛しないとは言っていませんが、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と言っています。
1946年当時はヤルタ体制の下での大国間の協調を前提とし、国連の安全保障機能に対する期待が大きかったんですねぇ、これが。
でも、「国際連合の集団安全保障機能」は安全保障を担保しません。
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時間は流れている
すでに、述べたように現実社会はユークロニア(時間のない国)ではありません。
日本と同じ敗戦国で、東西に分断された西ドイツの「ドイツ基本法」第26条は、1949年5月に旧西ドイツで制定されました。
憲法と呼ばないのは、東西ドイツ統一までの仮の名称としていたから。
侵略戦争を禁止していますが、日本と違って武器の製造・運搬・取引を認める規定となっています。
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日本とドイツとの違いはどこに?
GHQによる占領行政の下の日本と違い、戦後ドイツは東西に分断され、基本法の策定は日本よりも4年ほど遅れました。
この間も、時は流れを止めず、チャーチルの「鉄のカーテン演説」、米国の「トルーマン・ドクトリン」など冷戦構造が明確化します。
空間としても、西ドイツは東ドイツ・ポーランド、さらにはソ連と陸続きの欧州防衛の最重要拠点=緩衝地帯となっています。
1946年当時には想定できないほど、国際情勢が変化したものですから、日本の非武装化方針も転換せずにはいられません。
1950年の朝鮮戦争が勃発してから、国内治安維持を目途とした警察予備隊、そして1951年後の独立回復後には保安隊、1954年には自衛隊を発足。
① 憲法制定の時期が違えば国際関係も違ってくること
② 日本と西ドイツの地政学の差
から、時間と空間は絶対的ではないことがわかります。
ちなみに、日本と同じく、地中海に突き出ているイタリアも緩衝地帯にはなっていません。
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「全面的な軍事対立」の想定は妥当か?
陸続きの欧州と違って、日本を侵略し、占領しようとすれば、兵力移動に大規模な艦隊を組織し、揚陸させ、戦闘を行う「着上陸侵攻」を行わなければなりません。そして、そのためには、相手の6倍もの兵力が必要といわれています。
第二次大戦中にナチスドイツがイギリスに侵攻できなかったこと、建国後の中共が台湾に侵攻しなかったことからも、それが伺えます。
すると、全面的な軍事対立を想定して「脅威」か否かを判断する、という護憲派の主張は現実離れしているってことになります(笑)。
では、「中国の軍拡は(能力として)脅威と『なりうる』」が、(現在のところ)中国が日本に損害を与える意図は持っていないのでしょうか?
この空間の問題については、次の投稿で解説します。
1951年当時に憲法を改正し、保安隊 ⇒ 自衛隊の設置を憲法上明確に位置づけることなく、政治判断として第9条を柔軟に解釈したために、奇妙な防衛論議が続くことに。
Q.「憲法で戦力の保持は禁じられているのではないか」
A.「日本が保持しているのは戦力ではなく自衛力である」
Q.「国の交戦権は認められないのではないか」
A.「交戦と個別的自衛権の行使は別個のものである」
ってな具合にね。
「専守防衛」「自衛権行使の3要件」「集団的自衛権の行使の否定」「非核三原則」「武器輸出三原則」などの自発的制約。
冷戦が終結して、朝鮮半島や台湾海峡などの日本周辺における防衛・安全保障政策が置かれた立場も劇的に変化しているのに、1946年の憲法はそのままって、どう考えてもユークロニア(時間のない国)ですよね。
そして、今回のロシアによるウクライナ侵攻は、防衛政策の自発的制約の維持、脅威の態様にかかわらず低姿勢・自己抑制型の防衛構想を変えないことが安全ではないことを気づかせてくれました。
朝日新聞社が今年実施した郵送調査では、今の憲法を「変える必要がある」と答えた人は56%(昨年調査で45%)で、「変える必要はない」37%(同44%)を上回っていました。
ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射の影響を受け、読売新聞社が実施した全国世論調査で、今後、日本が防衛力を強化することに「賛成」は64%で、「反対」の27%を大きく上回りました。
つまり、国民の多くは、脅威の態様によって自己変革をめざすべきと考えているのです。
それにも拘わらず、国防について議論しないという選択肢はありませんよね。
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マクロの物理学においては、一定の原因が一定の結果をもたらす決定論的な因果関係が成り立ちますが、ミクロの世界では、不確定性原理によって電子の位置と運動量そのものが不確定です。
さらに、エルヴィン・シュレディンガーが導いた波動方程式は、特定の結果が得られる確率として表現されるものであって、個別の粒子の動きを記述することはできないということ。
ここで再び、アインシュタイン先生にご登壇願いましょう。
先生は量子論を認めません。
なぜなら「自然の本質がそんなあいまいなわけはない」から。
そして、怒りを込めて言いました。
「神はサイコロを振らない」ってね。
でも、量子論はその後も発展を続けています。
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「よらしむべし、知らしむべからず」(「論語」泰伯編)
これは「人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい」が転じて、「為政者は政治の道理を国民にわからせる必要はない」の意味。
国際社会は「歴史の分水嶺(ぶんすいれい)」とも呼ぶべき大きな変化に直面しています。マスコミも政治家も国民も、これまでのような「よらしむべし、知らしむべからず」といった態度を改めなければなりません。
ユークロニア(時間のない国)になるか、自国領土を守れる普通の国になるかの正念場です。
わが国の未来をサイコロを振って決めるのでなく、国民一人ひとりが自分の問題として捉え、自分の頭で考えて決める時、それが今なのです。