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道徳論

安部首相が退陣の意向を表しました。首相ともなれば、明確な答えのない問いに日々答えなければならないのですから、それはもう大変だったと推察します。まして、潰瘍性大腸炎と言う持病を抱えていたのですから。まずは、お疲れさまと申し上げたい。

みなさんは、現代に生きる人を救うためなら、まだ選挙権のない子供たちが納税者になった時に過度の負担を強いられても構わないと考えますか? つまり、目的は手段を正当化できるのか、ということです。

答えに窮しますよね。

悲しいかな、私たちは「共時的」で、道徳的な緊急性を重視する生き物。予測できない遠い未来のことよりも、目の前の明らかな損害や利得を勘定しようとしてしまう生き物なのです。したがって、今だけを見ていては正しく評価することは、できません。「通時的」であることは、口で言うほど簡単なことではないのです。

このことを自覚していないと、ポピュリズムにまんまとひっかかってしまいます。実際、私たちには、できもしないことを書いたマニフェストにひっかかった過去があります(笑)。マス・メディアが言っていることを鵜呑みにするのは危険だ、ということもその時、学びました。

何が正しくて何が間違っているかは、何が事実として起こり得た、と考えられるかに左右されます。でも、正しいことをしたからといって必ずしも正当な評価を得られるとは限りません。なぜなら、批判する側が、どんな宗教(≒イデオロギー)を信じているか、わからないからです。

「2つの道徳的な考え」があると知っていることは、情報リテラシーを高めるために役立ちます。1つは帰結主義(功利主義)で、もう1つが義務論です。

帰結主義は、行為が正しいか間違っているかを判断する際に、より良い結果となる方を選択しなければならない、と考えます。「より良い」とは苦難を軽減し、幸福を生み出すことです。帰結主義では「何が良いことか」と「何が正しいか」は密接に関係します。
一方、義務論は結果と関係なく義務や責務を全うすべき、という立場です。義務論では「何が良いことか」と「何が正しいか」は独立した事柄ですから、結果として、より多くの罪のない人が死ぬことになろうとも、「人を殺してはいけない」という義務を果たすよう行動しなくてはなりません。

「清濁併せ呑む」とは、現実の社会を良くするために2つの道徳論をうまく使い分けることに通じるのではないでしょうか。

次の首相にはマスコミ受けを狙うのではなく、子供たちが幸せと感じることのできる未来を創る政治をお願いしたいものですね。

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