見出し画像

義憤ダイアリー #002 塾講師、アンチ定期テストの点数

こんにちは、初めまして。
ペンネーム がるびあと申します。

今、友人と一緒に起業を考えていて
絶賛事業案を練り中です。

事業案を絞っていくにあたって、
色々と自分が人生で抱えてきた
義憤を洗い出したのですが
全部は叶えられないにしても
どこかで成仏したいなと思い
noteにまとめてみることにしました。

第一回目はこちら

---

今日も教育系のお話なのですが、
私が今まで4年ほど個別指導塾の
講師をしてきた中で感じた義憤です。

学校の定期テストの点数は
学校での成績を決め、その後の進路を決める
大事な評価軸。
でもその評価軸も、「その学校のその教科の先生」
という1人の裁量によって決まってしまっている、
その評価では反映できていない
一人ひとりの成長や頑張りや価値があるのに・・!
という実体験から生まれたモヤモヤです。

私は前回のnoteでもお話した通り、
高校大学とずっと国際系の
学部・学科に所属していたので
その英語力を生かして塾の講師をしていました。

最初は教育そのものに興味があって
知るためにはまず教える立場になってみようと
勉強の一環として始めたのですが
そのやりがいに取り憑かれ、
今でもライフワークにしている大事なお仕事です。

今は当時とは別の塾に勤めているのですが、
大学時代はよくあるチェーン展開の
進学塾に勤めていました。
ハイレベルな学校を目指している生徒は少なく、
学校の授業だけでは理解が追いつかないという
ニーズから通っている子がほとんどでした。

大学の近くの塾だったので、
講師は早稲田生が多く、教室長からは
「ここに通っている生徒たちと、
(中高生だった時の)自分と
ギャップはあると思う。
それをちゃんと認識してね。」
と最初に言われたのをよく覚えています。

確かに、先生によっては
自分の知識のひけらかしのような伝え方になっていたり、
何でこんなことも分からないんだ?
覚えられないんだ?と生徒に対して思い、
責めてしまったりする場合もあるのかなと思います。
(実際そういう先生も見た気がする・・)

私も、少なからず最初は
責める気持ちではなくても、
「あれ・・・先週あんなに理解していたのに
何でこんなに定着していないんだろう・・?」
「え・・この話するの何度目だ。。。」
みたいなことは多々あって、試行錯誤の日々でした。

でもそれから数年経つ頃には、
担当する生徒の特性やモチベーションなどに合わせて
進めることができるようになってきて
「何でだ?」みたいなことはなくなり、
大体想定通りに進めることができるようになりました。
標準のテキストじゃ足りないところがあるなと思えば
問題を自作して補完することもありました。

同時に個別での対人コミュニケーションも磨かれたので、
大人しい子も、元気な子も、
スローな子も、ガンガン進む子も
いろんなバリエーションでコミュニケーションが取れて
みんな授業を楽しんでくれていたと思います。
(少なくとも辛いものだとは思っていなかったはず・・笑)

彼らが塾に来る理由は、「学校の成績を上げること」。
本人の意識というより、
親御さんの希望である場合が多かったです。
本人がいくら楽しんで塾に通っていても
成績が上がらなかったら、
親御さんは辞めさせる判断をします。

特に受験生となれば、
「せっかく勉強が楽しく
感じてきてくれたところなのに・・・!」
という悠長なことも
言っていられないことが多いです。
(講師は親御さんと直接話さない
システムの塾だったので、親御さんの真意は
直接確かめたわけではないのですが・・)

塾からも、講師の責務は
「生徒の成績を上げること」だと
明言されていましたし、
私ももちろん理解はしていたのですが
その子の状況や環境によっては
成績を上げることと同じくらい
またはそれ以上に大切なことも
あるんじゃないかなと若干思っていました。

全員が全員英語を好きじゃなくてもいいし
得意じゃなくてもいいけれど、
ある程度の期間身を投じる
「勉強」という機会を通して
自分の得意・不得意を知ったり、
自分の気分・モチベーションの
コントロールの仕方を知ったり、
「継続をして、目標を達成する」
という成功体験を得たり、
先生と話すことで自分を客観視して
理解したり、肯定したり・・・。

もちろん、成績が上がった上で、
そういう能力も伸びれば万々歳なのですが、
とにかく成績を伸ばした子を褒める!
掲示する!みたいなのは、時にやりすぎ
なんじゃないかなと思っていました。
生徒自身も、成績が上がることでしか
自分の頑張りを認められないんじゃないかと。

大人ほど多様なコミュニティに
属しているわけではない中高生には、
塾の先生という「大人」は良くも悪くも
結構影響力があるのだと感じたので、
私はその立場を生かして
単純に成績を上げるだけじゃなく
生徒の一人ひとりのより良い成長に貢献したい・・
と思っていました。
実際エゴかもしれませんが、
貢献できていると感じることもありました。

でも前述したように、ほとんどの場合
こんな悠長なことも言ってられないんですね。
そんな余裕があるのは受験をしない小学生か、
ある程度学力があって余裕がある子だけ。。
小さい成功体験を本来積み上げていくべき子たちの方が、
切羽詰まった状況にいることが多いのです。

だから、楽しんでやってもらうということは
最低限守りながら、テストの点数ができる限り上がるように
毎回対策に奔走していました。

こういう日々の時点で少しモヤモヤはしていたんですが、
一番私が義憤が湧き上がった出来事。
それを「△を付けない定期テスト事件」です。

私が担当していたその子は、
中学3年生で転塾してきた生徒で
中1の内容もあやしいという状態。

英語って結構感覚で解く・使う人が
多いと思うのですが、
感覚で解けるということは
「こういう時はこれ使うんだった気がする」
と自分の中で貯蓄された事例があるから
感覚が使えるんですね。

それは中高生も一緒で、割とできる子ほど、
文法とか決まりとかをあんまり覚えてなくても
感覚値で解けるのですが、その貯蓄がない子は、
「こういう時はこうする!」っていう決まりを暗記した上で
それを何度も繰り返し書いてみるという作業が
必要になるのです。(と私は思っています。)

なので私はそれをその子にも繰り返しやってもらっていて、
最初はなかなか進捗も成果も上がらずだったのですが
担当してから数回目の定期テストで手応えがありました。
受験も近づいてきたこともあり、
それまでの定期テスト対策よりも
本人もとてもよく頑張っていました。
かなり細かい単位で一つ一つ繰り返す必要があったので、
テスト範囲全部を完璧にすることは出来なかったのですが
応用問題は落としても、
基礎問題は丸がもらえるだろう!
と思えるくらい仕上がりました。

*

でもテストが終わって帰ってきたその子は浮かない表情。
点数を見せてもらうと今までとあまり変わらない点数。
どうして・・・と中身を見ながら話を聞くと
「先生が今回は△はなしにしたんだって、
だからちょっとでも間違ってたらバツ。」とのこと。

見てみると、応用中の応用で配点の高い英作文も
よくこんなに書けたね!と私も驚くくらい書けたのに
「三単元のsを忘れてる」くらいのレベルのミスで0点。
ちょっと前まで英作文は白紙0点だったのに、
今回は普通のケアレスミスくらいまで書けている!しかし同じ0点。
英作文以外もほとんどそんな感じでバツが付けられ、
中身の濃さとは裏腹に前回と変わらない点数になっていました。

言ってもテストの点数を
取らせてあげることが責務なので、
取らせてあげられなかったことへのやるせなさと
その子の頑張りを評価できない学校への
モヤモヤをこの時一番感じました。

その生徒には、その後点数が取れるように
十分サポートできなかったことへのお詫びと
この期間一番近くで勉強を見てきた身として
テストの点数には現れていない成長や成果があることを
真摯に伝えましたが、やはりその子にとっても
テストの点数が全てで、
(それが学校からその子への評価だし、
親への証明でもあるので)
落ち込む背中はあまり励ませませんでした。

結局それまで行きたい!と言っていた志望校への意思も削がれ、
本当に行きたかったのかよく分からなかった
親御さんの進める学校へ進学することになりました。

今思い出してもやるせない・・・;
個別塾の講師と違って、学校の先生は
多様な生徒全体を見渡さなきゃいけないので
こちらでは想像し得ない大変さがあるのだと思うのですが、
評価軸が一つしかないとするならば
もっと慎重に、もっと誰も取りこぼさないように、
多様な成長や進歩を評価し自信を与えられるように、
注意を払って欲しいと思った出来事でした。

(他にも、生徒を成績順に並べて、後ろ半分に座っている
生徒は大学にはどうせ行けないんだというような主旨のことを
学校の先生に言われ、やる気を削がれて
塾を辞めて行った生徒など、もいました。。)

個別塾の講師も一人ひとりの生徒を見る
責任と可能性はあるので、それを自覚して
学校では得られないものを補完していきたいなと思っています。
(それもそもそも塾にお金を払って
来てくれないとできないことなんだけどね・・・)


第一回目もぜひ・・!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?