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コーヒー歴の始まり

炭酸が飲めなかったから

 私はコーヒーが生き甲斐になっている。コーヒーを飲むようになったきっかけ、好きになったきっかけを人と話すことはたまにある。そのとき発している言葉を改めて、書いてみようと思います。

 小さいころに親が飲んでいるコーヒーを少しもらった経験は除くとして、私が最初にコーヒーを飲んだのは、高校2年生の9月だったと記憶しています。飲んだきっかけは炭酸が飲めなかったから。

 高校2年生の9月に修学旅行でオーストラリアに行きました。オーストラリアに到着して、最初の食事はファミリーレストランだったかと思います。料理と飲み物を注文します。料理はおそらく、ハンバーグとかそのあたりを注文したのでしょう。ドリンクのメニューを見たとき、ノーマルなジュースが載っていませんでした。そう、ソフトドリンクは炭酸しかなかったのです。当時の私は炭酸が苦手でした。シュワシュワした感じがどうしても飲みにくい。何を思ったのかそのとき私はとっさにコーヒーを注文していたのです。


案外飲めたコーヒー

 飲めるかわからなかったコーヒーですが、思いのほか、スルスル飲めました。美味しかったかどうかは記憶にないですが、とにかく飲めました。オーストラリアでは、その後1週間、ドリンクを注文するときは、基本的にコーヒーを注文していたと思います。オレンジジュースなどが注文できる機会にも、コーヒーを注文した記憶がありますが、異国の地というシチュエーションも相まって、単にかっこつけてただけだと思います。
 そのときは、コーヒーは飲み物として私の中に存在していて、それ以上の存在ではありませんでした。


研究室にてコーヒーと再会

 高校の修学旅行以降、コーヒーとは縁がなく、大学3年生を迎えました。私の所属していた大学の学部では3年生の前期の終わり(つまり、8月頭)に研究室配属がありました。
 夏休み2日目、私の同期が、
「田舎からスイカが送られてきたから、研究室におすそ分けするのに運ぶのを手伝ってくれないか」
と連絡してきたので、スイカを二人で研究室まで運びました。
 私の大学は急勾配の斜面に校舎が存在しており、大学内の移動、特に登校は登山と称されるぐらい過酷です。そんな急斜面をスイカを両手に持って(私は2玉持っていた...)、駆け上がりました。
 研究室に着いたときには、もう両手の握力がなくなっていて、プルプル震えていました。当然、汗だくです。先生や先輩がスイカを待っていてくれました。みんな各々におやつのスイカを食べる準備をしていました。私はスイカの運搬に疲弊して、ソファに座っていました。そんな私を先生は労ってくれて、コーヒーメーカーからアツアツのできたてコーヒーをカップに注ぎ、私に渡してくれました。それがコーヒーとの再会でした。
 当然、汗が引かない状態です。アツアツのコーヒーなんて、飲めたもんじゃありませんでした。


コーヒーを淹れるのは義務ではないけれど

 私の所属していた研究室では、研究の合間に先生も含め、というか先生を中心として、コーヒータイムがありました。コーヒーテーブルにみんな集まり、コーヒーを飲みながら休憩するというよくある光景かと思います。
 そんなときにコーヒーを淹れるのはいちばん下っ端の私たち(私以外に同期が3人いました)というのは一般的な流れかと思いますが、私は率先してコーヒーメーカーを使って、コーヒーを淹れていました。今思い返すと、みんなでほっこりする空間を作るためにコーヒーが存在している。そんな空間を作り出すコーヒーを淹れることに喜びを感じていたのだと思います。そこに少しでも自分が介在している。そんな感覚が私を突き動かしていたように思います。
 そのほかにも、私はとりあえず、研究室に到着したらコーヒーを淹れて、みんなに配る、そんな研究室での生活を続けていました。コーヒーを飲むとやはりほっこりします。研究のお供にコーヒーは欠かせません。みんなが少しでも研究という自分との戦いの中に優しい光を見出せるように、コーヒーを飲んでもらいたい。そんな気持ちだったのだと思います。
 そうやって、私は自分のやりたいこととして、コーヒーを淹れる日々を過ごしていました。


学会の途中で入った倉式珈琲店にて

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