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この世界の淵を探して
「淵」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。
「絶望の淵」や、「深淵」など、どこかマイナスで暗いイメージがあるのではないでしょうか。私はかつて、「淵」に対してなんとなくネガティブな印象を持っていました。一冊の本に出会うまでは。今回は私が考える「淵」について書き留めていこうと思います。
淵は心が休まる場所
淵のイメージを変えた本があります。それがこちら。
この本には、高速道路のサービスエリアを淵みたいだと会話する場面があります。淵は瀬とは対照的で、川の流れが緩やかで魚が休憩を取る場所なんですよね。サービスエリアでも同様のことが言えますね。とてもしっくりきました。流れが緩やかだと、時間の流れも緩やかに感じられるように思います。時間の流れを緩やかに感じるとき、心が休まるんですよね。こうした考えから、淵は心が休まる場所という概念が私の中で形成されました。
富士五湖の畔での思い出
大学三年生の頃、初めて富士五湖周辺をドライブしました。このときのことはよく覚えています。買ったばかりのミラーレス一眼(OlympusのPEN8)を初めて使うドライブでした。時間を忘れて写真を撮っていました。
その道中、湖畔で印象深い景色に出会いました。9月頭ですが、富士五湖の標高です。20℃ほどの気温で半袖では肌寒い夕暮れどきでした。湖畔にもう使われていないであろうバスがあり、どこか見覚えのある光景でした。それはかつて読んだ、市川拓司さんの小説のあるシーンにそっくりでした。小説の世界に入り込んだような感覚で、湖畔には私以外の人はおらず、ひとりきりでこの世界に没頭することができました。しばしボケっとしていたのか、何か考えていたのか記憶はありませんが、非常に幸せな時間だった記憶です。
この湖畔を訪れたのは、もう7年前ですが、未だに9月になると、この光景を思い出しては、富士五湖ドライブに出かけたい衝動に駆られます。いつか行きたいです。
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尾道のとある池にて
つい先日、尾道のある池と、そこにある展望台を訪れました。池の先に展望台があり、池をゆっくり見るより先に、展望台から瀬戸内海の景色を楽しみました。(木の柱をなぜ、構図のど真ん中にとらえてしまっているか…)
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その後、池に戻り、ベンチに腰掛け、しばらくの間、池を眺めました。
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おそらく30分ほどだったでしょうか。池を眺めている間、誰一人来ず、ひとりの空間で楽しむことができました。あまり何も考えず、時間が緩やかに流れていることが感じられ、心休まる空間でした。これぞまさに、「淵」だと感じました。
それと同時に、富士五湖の畔のバスが思い出され、富士五湖の光景を未だによく思い出す理由もわかったような気がしました。あの富士五湖の畔も「淵」だったんだなと気づきました。
普段はせわしなく、仕事に追われています。人との接し方には、本当に気を遣います。だから疲れます。そんな「瀬」で泳ぎ疲れた自分を、たまには「淵」に連れて行ってあげる、なんて素晴らしい休日なんだろうと思いました。これからも、この世界の淵を探して、旅を続けていきたいです。なんなら、その淵でコーヒーを淹れることができると、なおさら最高なんですけどね。