いとしさと せつなさと オムツとれなさと。
『オムツがとれない』。
このそびえ立つ巨大な壁に苦悩している親御さんも多いことだろう。
でもあまりにオムツがとれなくて、パンパースのXXL(ビッグより大きい)が入らなくなり、各種オムツの最大サイズと値段を調べた上、介護用オムツまで検討した方はそう多くないと思う。
私の自慢の息子、双子兄のオムツはずれの遅さは尋常じゃなかった。
ところでお宅のお子さんおいくつ?
2歳? まだまだ早い。
3歳? 余裕余裕。
4歳? そろそろかもよ?
5歳? そうだよねー人目が気になるよねー。
うちの双子兄がオムツとれたの、5歳半。
6月生まれなので、年長さんを目前に控えた1月。
体が大きめの彼は当時、身長116.5cm、体重26kg。
体格は既に小学生並み。
なのに外に遊びに行って、しゃがむとズボンの腰からのぞくオムツのギャザー。
「あっ、この子って……(察し)」
な目で見られてるんだろうなぁと思ってました。
辛かった。
ちなみに双子弟は早かったよなーと思って記録を辿ったら、とれたの4歳半でした。
早くなかった。
周りの子と比べたら遅いくらいだった。
ありゃ。
トイトレ(もうこの言葉自体嫌い)を始めたのは周りの子と同じ、3歳頃。
保育園行ってたのでね、まあプロである先生たちのお力を借りりゃー大丈夫だろーくらいに思ってた。
最初は順調だったんだよ、立ち便器でもできたし座ることもできた。
私のスマホのアルバムにも、並んだ双子のおしりとか、座ってピースしてるとことか残ってる。
弟は「男の子の中でトレーニングパンツになったのが一番早い、期待の星です♪」、兄は「おしっこの間隔が長いので、溜めておく力は十分あると思います」と言われまして。
そっかーよかったよかったまあそのうちできるだろ、と思ってました。
が。
まあ〜そこから長かった。
何年トイトレしてんだって話ですよ。
足かけ2年半ですよ、2年半。
弟はまあ、周りの子たちができるようになっていくと、自然と自分もやらなきゃと思ったのか、だんだんできるようになっていった。
あと物欲の強い子だから『〇回トイレでできたらおもちゃ買ってあげる』が効果を発揮した。
問題は兄。
もちろんもちろん、世間で「トイトレテクニック☆」って言われてることは軒並みやった。
ご褒美シールやってみたり(すぐ飽きた)、トイレの壁にトミカのウォールステッカー貼ってみたり(すぐ飽きた)、かっこいいパンツを買ってみたり(すぐ飽きた)。
漏らして気持ち悪さを自覚させるのもやったけど、気持ち悪いと感じないらしく平気な顔でいる。
親のストレスが溜まるばかり。
夏は洗濯が楽だからいいとか、冬は漏らすと冷たくて不快だからいいとか、まあ関係なかったね。
やってよかったと多少思ったのは、踏み台を置いたことくらいかなぁ。
便座に上がるためのじゃなくて、足を置いて踏ん張れるやつ。
どうやら、外からの刺激を敏感に受け取る彼は、不運にも外出先で大きな音をたてて勢いよく水が流れる立ち便器に出くわしてしまったことと、家のトイレに座りたがらなかった時イライラした私に「もうあんたそんなにおしり大きいなら補助便座いらないでしょ!」とそのまま座らされそうになり、おしりが落っこちる恐怖に駆られたことから、トイレに恐怖感を抱いてしまったらしかった。
後者に関しては今でも後悔してる。
あれをやらなきゃもっと早くとれたんじゃないかって。
あっちこっちで相談した。
保育園の先生はもちろん、お世話になってた小児発達の先生、療育の先生、子育て相談の心理の先生。
大体みんな「焦らなくても、少しずつ練習していけばできるようになるから。小学校になってもオムツしてる子いないから」って仰るんだけど、「本当に本当にそう? うちの子は小学校になってもオムツしてるかもしれない。だって全然できるようになる気配がない」って思ってた。
あとうちの地域では、オムツとれないと特別支援学級って聞いて、普通級か支援級か微妙なとこだなぁって思ってた私は更に焦った。
兄自身に「オムツとれないと弟くんと同じ小学校に行けないよ!」って言ったこともある。
うちの兄は常におなかが緩めな子で、大をするとオムツの中が悲惨なことになる(尾籠な話でごめんなさい)。
それを毎日毎日拭いて。
外出先では、多目的トイレの床にしゃがみ込んで、狭い中で必死におしり拭いて。
外で待ってる人がいたら、更に焦ってイライラして。
もう、あの、遊んでる兄からプーンと臭ってきた時の「……ああー…………」な感じは、思い出したくないけど忘れられない。
絶望ってほどじゃないけど、がっかりとかうんざりって言葉では表しきれない「……ああー…………」。
グチグチ叱っちゃいけない、成功したら褒めて叱る時は短く、そんなの分かってる。
分かってるけど止められなかった。
相当グチグチ言った。
いつになったらできるようになるの、オムツはいてるの兄くんだけだよ、赤ちゃんと一緒だよ、お母さんたちもうおしり拭くのやだよ、みんなと同じ学校に行けないよ。
こうして文字に起こすと本当に酷いことを言っている。
でも私も夫も辛かった。
作業自体も辛かったし、先が見えないことも、周りの子がどんどんパンツになっていく中で取り残されていくのも、周囲の視線も、辛かった。
兄はASD傾向があり、発達ゆっくりだったので、仕方なかったんだろうなとは思っている。
3歳頃の発語が「んてー、んんたー(見てー、救急車)」だったんだもの。
でもやっぱり、「もう○歳なのに……」「普通は幼稚園入園までにとるらしいのに……」「体だってこんなに大きいのに……」の思いにとらわれてしまっていた。
療育で会う発達ゆっくり仲間でも、オムツはとれてる子が多くて、余計に焦ったりもした。
小児発達の先生に「どうしてもとれなかったら、何日か何も穿かせないで垂れ流しで過ごさせたらトイレでするようになる」という、親を折るか子を折るかみたいな、奥の手というか禁じ手を聞いていたので、本当にどうしても小学校目前でとれなかったらそれしかない……と、ただその禁じ手があるからまだどうにかなるかもしれない……と、藁にも縋る思いでいた。
結局どうやってとれたかというと、やっぱり心の発達と安定を待たないとダメだった。
保育園や療育で、周りの子と一緒にトイレに行く練習を続け、家でも気が乗った時に挑戦したり失敗したり。
この繰り返し、行きつ戻りつの期間がとにかく長かった。
進み始めたかな、と思ったのは5歳、年中の夏。
7月に弟が生まれ、それまで不安定だった気持ちが安定。
そして保育園のプールに入りたくて(オムツとれてないと入れないから)、頑張り始めた。
やっぱりいくら親が強制しても意味がなくて、彼の中で「やってみよう」と思えるまで待たないとどうにもならなかったんだなと思う。
『2週間トイレでおしっこ頑張れたら、おもちゃを買ってあげる』も効果があった。
結局プールには間に合わなかったけど、なんとか声掛けで行けるようになった。
尿意で行く、はなかなかできなくて心配したけど、これも数ヶ月したら分かってきたのか「トイレ行きたい」と言えるようになった。
大の方はこれまた難しかったけど、お兄ちゃんパンツを穿かせておいて、したくなったら「紙パンツにかえて」と言わせるのをやってみたり、ある程度出る時間が決まっていたので、その時間帯にYouTubeで釣ってトイレにしばらく座らせる、という方法でトライ。
1回目までが長かったけど、一度成功したらおしっこよりスムーズにできるようになっていったと思う。
やっぱりトイレに座ること自体への抵抗感が大きかったんだな。
とにかく成功したら褒め称え、カレンダーに花マルを描き、抱っこで「兄くんえらい、兄くんすごい、わっしょいわっしょい」と担いだ(笑)。
ある日、そろそろ大丈夫かなーとお兄ちゃんパンツで出かけた先でしてしまい、始末する場所もなかったので、気持ち悪いだろうけど我慢して、と家まで歩かせた。
これで後戻りしちゃったら……とちょっとヒヤッとしたけどそれはなく、余程不快だったのかそれ以来失敗しなくなり(不快に感じさせる手が使えたのはこの時だけだった)、ようやく、よう~~……やく、卒業となりました。
なんとかギリギリ、介護用オムツには手を出さずに済んだ。
あの辛かったトイトレ(本当にこの言葉嫌い)の日々を思い出すと、私の中の篠原涼子が「いとしさと せつなさと オムツとれなさと(字余り)」と歌い出さずにはいられない。
大きな音をたてて流れるトイレから飛びのいた彼を、4歳の誕生日、足を掴んでトイレに引きずっていこうとする私に抵抗して壁にしがみついた彼を、プールに入りたくてお兄ちゃんパンツを穿いていったのに先生に「今日だけパンツでもダメなんだよ」と言われて肩を落とす彼を、思い出すたびに、愛しくて、切なくて、胸がギュッと締め付けられる。
トイレで大ができるようになったある日、兄が「お母さん、僕のせいでいっぱい悲しくさせてごめんね」と言ってくれた。
グチグチグチグチ、文句ばかり言っていた私を「悲しんでる」と受けとめていたのだ。
何を言ってもどう説得しようとしてものれんに腕押し、聞いてんのかいなと思っていたけど、やっぱり彼は私のあの酷い言葉を聞いていたし、それを彼の中で受けとめていた。
トイレに行く、という行動に表せなかっただけで、ちゃんと分かっていたのだ。
「お母さんこそ、いっぱいいっぱい文句言ってごめんね。兄くんいっぱいいっぱい頑張ってたんだもんね。ごめんね。大好きだよ」と抱きしめた。
己を省みると共に、こんな日が来るなんて、と涙した。
謝罪する機会をくれた兄に、今も感謝している。
オムツはずれで悩む親御さんたち。
忘れないで。
あなたは悪くない。お子さんも悪くない。
何も劣ってなんかないし間違ってもない。
ただ「その時じゃない」だけ。
ちなみにオムツ卒業から半年を経た兄は今、なんとトイレ大好きな子になった。
声が響くのが楽しいらしく、よく用を足しながら気持ちよさそうに歌っている。
まさにこんな日が来るなんて、である。
我が家には双子の下に更にムスメと息子がいるのだが、このムスメも赤ちゃん返りなのか何なのか、4歳を目前にしてまだオムツがとれない。
頭がキレて弁も立ち、トイレに抵抗もなく用を足せるのに、お姉ちゃんパンツになることができないのである。
もううちの子はオムツはずれの遅い子たちなのだと思って諦めている。
仮にその下の息子が4歳までオムツだった場合、我々夫婦がオムツ替えをする期間は実に10年に及ぶ。
もはや修行。
神様、徳は積めてますでしょうか。