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自己紹介|叛逆のイワシ

はじめまして、私は20代後半に差し掛かった大学院生です。生活の記録のために、noteを始めました。私は料理をするのが好きです。あまり気を衒ったことはせず「ちょうどいい」ご飯を心掛けています。今日の主菜はイワシの塩焼きです。盛りつけの作法に倣わず、頭を右にして並べるだけでドキドキしてしまうような小心者です。

明日は祖父の1周忌のために、親族が集まります。私はいま、自分ひとりの部屋で密やかに祖父が亡くなった時のことを考えています。

祖父は肺ガンを患い、介助なしには生きられない状態になっても「自分の家にいたい」と主張しました。ヘルパーさんとの相性は最悪で、祖母が毎日オロオロしながら動き回りました。母は自分が何とかしなきゃと切羽詰まった顔をしていました。祖父はお風呂に入ることも排泄も上手にできなくなって、どんどん言葉が荒れていきました。身体機能だけが衰えて、思考はある程度はっきりとしていたのでしょう。孫の足に尿をかけてしまったときの羞恥と絶望はどんなだっただろうと思います。

ある日、祖母と母には用事があって、私だけで祖父の介助をすることになりました。まずは祖母が予め
用意してくれていた朝ごはんを食べてもらいます。そのとき、テストが始まりました。「さぁ、ここに身体の不自由なひとがいます。まず何が困難だと思う。何をしてあげられるか、考えて動いてみろ。」私は金縛りにあったように動けなくなりました。「あぁ、おまえには分からないだろうな。」

家に帰っても涙が止まりませんでした。祖父には生きている間にたくさんのストレスがありました。そして学費を出してもらっているという負い目から、この短い期間のことは何でも許してあげたいと思っていました。しかし私は癇癪を起こして、家を飛び出しました。

私は祖父だけでなく、他の親族からも「おまえは何も出来ない。おまえはダメな子だ」というメッセージを与えられながら育ちました。すべてが怖くて、何も見えない、何も聞こえないようにして生きてきました。そして無条件に認められる「勉強」だけに集中してきました。その結果、いまも学生を続けています。

大学院で求められるのは「勉強」ではありません。既存の構造のなかで自分を守るための想像力を働かせるのではなく、構造じたいを変えるために言葉を発することができるのか。私はいま必死に考えています。まずはエネルギーが枯渇しないように、料理をして、ご飯を食べます。


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