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満ちてゆく/藤井風

5回目のオンガクノイトマは藤井風の「満ちてゆく」を取りあげます。この投稿に関する前説は下記の記事をご覧ください。

概要

今や音楽シーンに名を轟かせている彼の名は、藤井風。
岡山県出身のシンガーソングライター。今でも方言で話す場面もあるが、世界的な活躍を前にした武者修行で培われた英語も堪能な人物である。

幼少期からピアノに触れ、実家の喫茶店「ミッチャム」にて撮影されたピアノカヴァー曲の動画たちがYoutube上にアップされたことで彼の音楽人生の歯車が動き出した。

世に知れ渡ったのは「きらり」だろう。
HONDAのCMに起用されたことで多くの人々が彼の楽曲を聴くようになった。ワタシもその一人であり、これをきっかけに様々な楽曲を聴き始めた。

彼の才能は目を見張るものがある。
演奏技術のレベルは高く、また絶対音感を持っているため耳で聴いたらそのままピアノで再現し、かつ転調も難なくこなせるというものだ。
能動的三分間のカヴァーに関しては本当に3分で演奏してしまう。お見事。

Youtubeの動画には様々なカヴァー動画が掲載されている。ぜひ、身近な楽曲をから聴いてみてほしい。このクオリティを10代から発揮しているのだから、彼の才能は凄いものだと思う。

ワタシが魅了された楽曲は「死ぬのがいいわ」「優しさ」あたりだろうか。
これを語り出すと、主題まで到達することができないため割愛する。
ただ、彼の作り出す楽曲は棘がなくリスナーを包み込む作品が多く存在し、聴くだけで心がじんわりと沁みるのだ。

2022年8月、Fujii Kaze alone at home Tour 2022において本ツアーで最も小さいホール(のはず)なら100年会館で彼の演奏を観ることができた。
彼の新型コロナ感染により予定された日程から約1か月後の8月に行われた。

今やこの規模感で彼を見ることは叶わないだろう。
彼自身もあの時は規模の小ささ、かつ観客との距離感が近いことをコメントしていたのを思い出す。

リクエストコーナーでは、以下の曲をカバーしていた。

怪獣の花唄/Vaundy
A thousand miles/Vanessa Carlton
硝子の少年/Kinki Kids
Let It Go/松たか子
Hotel California/Eagles
エイリアンズ/キリンジ
貴方の恋人になりたいのです/阿部真央
First Love/宇多田ヒカル
Rain/大江千里

地元のスーパー(ヤオヒコ)できざみ奈良漬と大和茶をお土産にして持って帰るなど、ローカルな文化にスッと触れる人物であった。
そのツアーのテーマが「HOME」だったからこそ、観客と彼の目線が同じような位置にあり、暖かい雰囲気のライブであった。

作品について

本楽曲は彼の12作目で、映画『四月になれば彼女は』の主題歌として起用された。この楽曲を作られたとき、彼は以下のようなコメントを残している。

愛の不在を描いたラブストーリーに曲を添えるというお話をいただき、これを機に人生で初めて
ラブソング
というものを書いてみようと意気込んでいました。
しかし出来上がったものはこれまでずっと表現していたものの延長線上にありました。
始まりがあるものには終わりがあるということ。愛は求めるものではなく、すでにたくさん持っているもの。
与えれば与えるほど、「満ちてゆく」もの。

リアルサウンド 2024年3月15日/藤井 風、映画『四月になれば彼女は』主題歌「満ちてゆく」MV公開 映画と同じく山田智和が監督

後述するが、この作品はラブソングといえど藤井風の根源である哲学的な部分が表現されている。

things change, and we can do nothing about it
(変わりゆくものは、仕方がないねと)
just letting go, feeling lighter, and becoming filled
(手を放す、軽くなる、満ちてゆく)
Overflowing
(満ちてゆく)

MVでイントロ前には彼の声でこのような語りから始まる。
先にお伝えしておくのは、このMVを観たあとにYoutubeのコメント欄を読んでみてほしい。この楽曲に救われる人間がたくさんいる。その光景を目の当たりにしていただきたい。

本楽曲の世界観

この楽曲はワタシにとって鎮魂歌のようである。
人生の最後にこの曲を思い出し、ふと笑って天国に立つ。
そんな人生を送ってみたいものだ。

MVではアメリカで藤井風本人が演じる青年の若かりし頃から老いるまでを描き、その人の"人生"を描き出したようなMVとなっている。

歌詞から読み解く世界観について考えてみたいと思う。

走り出した午後も
重ね合う日々も
避けがたく全て終わりが来る

あの日のきらめきも
淡いときめきも
あれもこれもどこか置いてくる

それで良かったと
これで良かったと
健やかに笑い合える日まで

満ちてゆく/藤井風

ここで伝えられるのは、万物にはすべて終わりがあること。
自分の目で見る景色はずっと続くものではなく、それが消えゆくことを避けることもできない。
それで良かったと これで良かったと 健やかに笑い合える日までというのはおそらく死ぬ間際の瞬間ではないだろうか。走馬灯のように思い出し、あの頃にこういうことができて良かったなと、こういう人生を送ることできてよかったと思えるような一生を送ることが幸せなのかと考えさせられる。

明けてゆく空も暮れてゆく空も
僕らは超えてゆく
変わりゆくものは仕方がないねと
手を放す、軽くなる、満ちてゆく
満ちてゆく

満ちてゆく/藤井風

どんな日々でも、夜が明けて朝が来る。そんな毎日を僕らは過ごし、そんな時間は過ぎ去っていくのだ。万物に終わりが来る、でも変わりゆくものは仕方がないのだと伝えられているかのよう。
まさしく、物事がその場に変わらず留まるようなことは無いことを伝えている。満ち足りることを知るには、手を放す、軽くなることなのだと。

手にした瞬間に 無くなる喜び
そんなものばかり追いかけては
無駄にしてた"愛"という言葉
今なら本当の意味が分かるのかな

愛される為に
愛すのは悲劇
カラカラな心にお恵みを

晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す、軽くなる、満ちてゆく

満ちてゆく/藤井風

この歌詞を読んで思い出したのは「足るを知る」という老子の言葉であった。
人はすでに幸せな気持ちを感じることができるはずなのに、なぜか人はステータスや関係など様々な物事をさらに持って幸せを得ようとする。しかし、それによって人は物事を抱えすぎてしまい苦しむのではないかと語り掛けられているようである。

愛される為に 愛すのは悲劇という歌詞が書かれているというのは衝撃だ。
まさに哲学的、仏教の「慈悲」という考え方がこれに値するのではなかろうか。
愛を求めることで期待や要求が生じ、それに応えられないと憎しみが生まれる。そのことを悲劇だと言いたいのだろうか。

開け放つ胸の光
闇を照らし道を示す
やがて生死を超えて繋がる
共に手を放す、軽くなる、満ちてゆく

晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す、軽くなる、満ちてゆく

満ちてゆく/藤井風

「慈悲」を実践したのちに見える世界観が開け放つ胸の光
闇を照らし道を示すに表現されている。この光はただの光ではなく、人生における救いを示すのではなかろうか。
人は"得る"のではなく"手放す"ことで心が満たされ、幸せを感じる。
何もないけれど全て差し出すよ、から「慈悲」つまり無償の愛であることが分かる。

とある寺の住職の法話と偶然出会った。この方も「まさに歌う法話」と伝えている。藤井風、彼の見る景色や思考について興味深いものがある。彼の作品には仏教の教えが散りばめられており、そんな歌詞を聴くいて胸を打たれるファンはたくさん存在しているのだ。

あなたは手放すことができているだろうか。
大切な人に無償の愛を伝えられているだろうか。

この楽曲とともに、あなたの心も満たされていただきたい。

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