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書いて、お茶して、書いて、お茶した1年

今日は2021年12月1日。
1年を振り返る、師走のはじまりの日。

おみくじ

今年のお正月に、地元の神社でおみくじを引いた。

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「小吉」だったけれど。
優しさに満ちた言葉が、心に沁みた。

「冬ごもり 春さり来らし あしびきの
山にも野にも 鶯鳴くも」
冬の足音は遠ざかり、陽春の日差しはやがて差す。
復活の兆しがみられるから、あせらず、着実にゆこう。

暗中模索な日々

おみくじを引いたものの、江角悠子さんのライター講座を終えてから、何を書きたいのか分からなくなっていた。
なぜ、ライター講座を受けたのか、初心を思い出す。
「書くことで、幸せになる」
江角さんが最初に伝えてくださった、講座の目的。
そう、私は書くことを通じて、幸せになりたいと思ったのだった。

でも、何を書く?好きなこと?仕事のこと?日々の暮らしについて?
目の前のことに追われて、こだわりも趣味も何もないまま来た自分。
なんにも無いじゃないか。

子どもは亡くなった。
仕事も、やめた。人を大切にしない職場が辛くて。
私、いったい何をしてきたんだろう。
これから、何がしたいんだろう。

お茶について書ける?

「お好きみたいだから、お茶について、書きませんか?」
江角さんからのすてきな提案。
ライター講座の卒業制作である、企画書のテーマだ。


「日本庭園で、いただくお茶」なんて企画を思いついた私。
ステキ。憧れの、京都の日本庭園でお茶… 書いてみたい。
でも。お茶室や庭園はコロナ禍で閉鎖され、取材ができない。
京都や静岡など、お茶どころに住んでいるわけでもない。
茶道を習っていたわけでもない。

お茶について、私が書けることって何だろう。
数年前から受けている、日本茶インストラクター試験のことぐらいか。
ああ、まただ。机上のことばっかり。
私の人生には、経験や体験が、ほんとうに、ウンザリするほど、足りない。

まあ、お茶でも飲みましょう。

「お茶、飲む?」
行きづまると、なぜか心の中に聞こえてくる声。
実家でよく聞いた、母の一言だ。
のんきそうに、コポコポと急須に注がれる、お湯の音と共に。

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そうだ。
私にとっての「お茶」は、心を落ち着かせるために飲む、日常の1杯。
日本茶、ほうじ茶、紅茶、玄米茶。なんでもいい。
器から立ち上る湯気を見ながら、ひとくち飲む。
「まあ、何かしら、道は見つかるでしょう」
お茶を飲むと、穏やかに前を向く自分に出会えた。

コロナ禍。認知症の義母。がんを抱えた母のケア。そして無職の私。
社会や、家庭での役割を引くと、私って一体なに、を抱えていた1年。
抱えきれなくなると、お茶を飲んで、ブログを書いた。
お茶を飲むと、ライターの仕事に応募する気力もわいた。
日本茶インストラクターの勉強も、細々と続けた。

年末に差し込んだ光

書いて、お茶して、書いて、お茶した1年。
亡くなった娘の誕生日に、1通の郵便が届いた。
「日本茶インストラクター試験 1次試験合格」
お知らせは、モノトーンの日々に差し込む、優しい春の光のようだった。

二次試験は、来年の2月。茶葉の鑑定&インストラクションの実技試験。
年末年始、じっくりお茶に向き合って、がんばる。
誰かの疲れた心をうるおす、1杯のお茶を淹れられる人になりたいから。


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