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仏典から考える「時間の秩序」


1.時間とは何か

問題の前提

ここ最近、老化とともに、「時間の計算ができていない」と指摘されることが多くなった。どうも、「12時間」「24時間」というのは計算としてヤヤコシイようである。

例えば「午前10時から19時間後」という計算をするとき、
一つの方法として、24時間に計算しなおすために、午前であれば+0、午後であれば+12時間をしたのち、「10時+19時=29時」、24時を超える場合は、-24をするという計算になる。

もう一つの考え方としては、12時間計測として、午前を基軸として、「10+19」をしたあと、
①合計値が24以上であれば、24未満になるまで-24を繰り返す
②差し引いたあとが12以上24未満であれば、-12をする(この条件が成り立つ場合、午前と午後が入れ替わる。)
という方法が挙げられる。

このことは、改めて「時間」とは何かを考える契機となった。

人間における時間

そもそも、なぜ1日は24時間なのだろうか。
そもそも1日とは、太陽が再び昇り、沈むまでの過程を示したものである。つまり、自転・公転を目安にした基準に過ぎない。
そして人間の都合上、1日を24時間に分割し、1時間を60分に分割し、1分間を60秒に分割したものであって、それ以上に遡れる根拠はない。

しかし、この1日が24時間というのも思い込みである。
地球誕生時には、そのスパンが6時間であったため、1日は6時間であった。この先、何千年、何万年の未来には自転公転のスパンも変わり、1日の定義も変わると考えられるのである(*1)。

大乗仏典における時間

さて、この1日が24時間であるという常識を疑った大乗仏典の思想がある。
例えば「兜率天」である。
兜率天の一日一夜は、私たちの世界の400年だという。一見、所詮物語と感じてしまう人も多いだろう。しかし、物理科学が発展した現代人が、はたしてこれを物語といえるだろうか。むしろ世界が違えば時間も違うというのは、自然な発想ではないだろうか。

同様に、浄土経典における「阿弥陀仏」もそうである。阿弥陀仏は「無量光仏」、「無量寿仏」と訳され、一般的には、この世界の外に浄土世界を持つ(*1)永遠の命を持つ仏であると解される。
しかし、正しくは「量り知ることができない(無量)寿命の仏」であって、『悲華経』においても、寿命は限りなく長いが、いつか寿命が訪れるとされている。
先の兜率天同様、我々地球の人間であれば、他の世界の衆生の寿命は計り知れないのは当然であろう。その世界の一日が、この世界で何時間を指すのかといった定義が示されない限り、「量り知れない」のは当然のことであり、「無量寿がありえないから、科学的ではない」という意見こそ、むしろナンセンスなのである。

2.20時間時計を作ってみた

さて、元の問題に戻ろう。
大元の問題は、私が「12時間の計算」ができなくなってきたという問題である。
そこで時計を読みやすいように、1日を20時間、1時間を100分、1分を100秒にすることとした。この目的を達成するには、まず1秒の定義を変える必要がある。すなわち、今の時間で0.432秒を、20時間時計では1秒と定義する必要が生じた。

主たる問題としては、社会との定義が異なることによる弊害が考えられている。そこでざっくりとした提案として、旧時間体系で8時間以下の労働を守ることを前提として、新時間体系で8時出社、15時退勤(うち10時~11時まで休憩)と仮設定した。これにより、旧時間体系で7時間強の労働を提供することができる。

さらに、よりわかりやすい時計とするには、0時(10時)を「日の出」、「日の入り」の参考時間として設定するのもよいかも知れない。

AIは無秩序に弱い

旧1秒が新0.432秒であるという基本体系さえ崩れなければ、手計算も可能であろう。しかし、私は計算をめんどくさがる人間なので、ChatGPTに頼ることとした結果、新たな問題が発生した。

旧体系では、1日を24時間、1時間を60分、1分間は60秒です。
これを新体系では1日を20時間、1時間を100分、1分間を100秒とします。

上記の前提条件を与えて、ChatGPTに計算させると、まともに計算することができなくなった。そこで誤りを指摘すると、

申し訳ありません、計算に誤りがありました。再度正しい換算を行います。
新体系の時間を旧体系に換算する際、以下の手順で計算します。
新体系の1時間は、旧体系の時間より長いので、正確に計算します。
? Meta Data want

ChatGPT

といった回答が発生し、正しい回答が得られなかったのである(もしかしたら、たまたまタイミング的なエラーなのかも知れない)。

ChatGPTは利用者の質問能力が求められるものでもあるから、懲りずに繰り返し、できる限り丁寧に、より条件を細かく明記することによって、ChatGPTから正しい答えを導かせる努力をしたが、「1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒」という人間が定義づけた秩序を破る計算というのは苦手なのか、与えられたルールの中で計算し、計算を間違えることが多かった(途中までは計算できていたようであるが、途中から計算が混乱するようである)。

3.10進法はユニバーサルデザインか?

上記ChatGPTの計算ミスを補正するために、人間が自分で計算する必要が生じた。その過程で、仲間たちに20時間時計の構想を共有したのであるが、24時間が当たり前の身体になっている我々には、とてつもなく苦痛な作業であった。
まず、新時間形態では1時間が100分なのであるが、1時間を60分と勘違いするミスが発生した。いままで生きてきて作られた概念を捨てることができず、脳が混乱を引き起こすのである。もしかすると、それは私の計算能力の低さに起因するのかも知れない。

本来、この24時間計測は、突き詰めれば何の根拠もないものであるが(*3)、人類の共通理解として、公転・自転を中心として1秒のスパンを定めたものである。したがって、生まれもった能力ではなく、成長過程で築きられた常識といえよう。
一方、10進法はおそらく人間の指の数を前提としたものであろう。一見して1~10までは数えやすい方法ではあるが、実は、二進指数え法を活用すれば、人間の手でも1023まで数えることができる。
すなわち10進法は、眼でみて認知が容易であるところに優位性がある。
いずれにせよ、人間同士が共通理解をするうえで、身体や周りの環境を基盤にして作られたものであるといえる。しかし、人間の指が必ずしも「10本」とは限らない点は注意しなければならない。

神の世界の計算は人間の脳に混乱を引き起こす

インドの神々を見ると、腕が6本ある神が多い。また千手観音は名前の通り1000もの腕をもっている。したがって、人間のルールである10進法を用いる必要性は皆無である。

先の「無量寿」もそうであるが、人間にとって、自分の環境外のものを認知しづらくなっている。先の20時間時計もそうであるが、人間が成長する過程で、常識として植え付けられてきた定義があるために混乱を起こしやすいのも1つの要因であろう。

世界が変われば常識は変わる。これは何も神の世界だけに限らず、文化の未だ発達していない集落なども同じことが言えるのかも知れない。
そこで一つの指標として身体という共通基盤を用いるという方法があるが、必ずしも全ての人にあてはまるわけではない。また、すでに別の計測方法を用いているものにとって、新たな概念が受け入れづらいことを、20時間時計を作って改めて認識させられることとなった。

注釈

(*1)現代では、閏年、閏秒といった手法におり、この誤差を修正しているが、大幅に時間が変われば、時間を変更する必要性が生じる。
(*2)仏教の世界観では、この世界を須弥山と名づけ、天~地獄までに分類し、欲界・色界・無色界の三界に振り分け、業に応じて輪廻する世界であると設定する。また、この世界を忍土や娑婆世界とし、苦しみの世界であるとする。仏教では、この世界から抜け出すことを目的とするが、大乗仏教では、あえてこの世界に輪廻してでも、全ての衆生を済いだすことへと転換する。しかし、それは苦しみの世界に輪廻することを意味するから、阿弥陀仏の往生思想は、苦しみの世界(三界)の外に、別の世界を設定し、そこから三界に舞い戻り(還相回向)、人々を救済する世界を誓願(vrata)によって築きあげている。
(*3)厳密にいえば、メソポタミア人が月の満ち欠けを根拠として1年を12分割し、エジプト人がそれを昼と夜にわけて、24時間に分割した慣習を引き継いだものである。したがって、一部の人間によって作られたルールであり、違った分割方法を作ることは可能であろう。ちなみに仏典によれば、古代インドの歴は1年を12分割し、30日を1カ月とし、さらに1カ月を白と黒に二分する方法がとられていたようである。すなわち、12カ月あるいは24カ月を1年としていた。


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