「手帳持ってる」…だから何?
眠れない夜はnoteを書く。
そんな場所になりつつある。
タイトルの手帳はdiary…ではなく
精神障害者保健福祉手帳のことだ。
2年前、わたしはうつ病になり
逃げるように住処を変え
手帳取得の手続きをおこなった。
青いカバーに入れられたそれは
証明写真つきの、少し分厚いただの紙
公共機関が安くなったり
映画が安くなったり するけれど
利用しないし観ないから今のところメリットは特にない、気がしている。
(等級にもよるのだろうけれど)
たぶん取得当初欲しかったのは
それよりも自身が「障害者」であるというラベリングだったのかもしれない。
障害者雇用も視野に入れ選択肢を広げる、みたいなことも考えなくはなかったけれど。
実際はどうだろう。
フリーターをしていて、ふだんの日常生活をしていて
こういった事実を面と向かってカミングアウトしている人も少ないし
一番身近なパートナーをはじめ、特別扱いされるようなこともほぼない。
手帳の有無を問わず
こういったゾーンに居る人間は
わたし以外にもきっとたくさんいるだろう
なんなら
病院で自分に合うお薬を処方してもらえて
自立支援医療制度のおかげで費用も格安(自己負担1割)で
とりあえず日常生活はどうにかままなっているわたしは
かなり恵まれた部類だと思う。
手帳を持つ意味。
もっと深掘りしたいところ。
それは病気になった意味(後付け)であり
病気にならなかったらきっと解かり得なかった生き方だから。
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こういったことをウダウダ考えながら
油断してThreadsに投稿したら
知り合いの方に、言葉の良し悪しについて指摘された。
違う、そうじゃない。
わたしの葛藤は、渦巻く感情は
わたしにしかわからない
障害の有無など関係なく
私以外私じゃないの
と同時に
あなた以外あなたじゃない
結局のところ
同じカテゴリーで、ラベリングで
傷口を舐め合ったとて
本当に理解することなんてままならない
もっと違った見方で
相手の感情や意図を自分のできる目一杯汲んで
理解する努力を惜しまない
あとは想像力と思い遣り
人間として
あるべき、ありたい姿であろうとするのみ。
煩わしくなり
Threadsはアンインストールし
旧知のフォロワーがいるInstagramのサブアカウントを消去した
潮時だ
さようならだ
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手帳持ってる。だから何?
まだまだ発展途上だけれど
苦しみを苦しみ抜いて
しあわせを存分にかみしめて
わたしは、わたしを生きるのみだ。
手帳は来年更新される予定だが
持つべきか、持たざるべきか
もっと真剣に考えようと思う。
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