気になるあの子
あの子と私は、特別な関係なんかじゃない。
何があっても特別にはならない。
−−
あの子に初めて会ったのは、彼女が新卒で入社してきてすぐの頃、若手社員で集まった歓迎会みたいな場だったと思う。
誰もが振り返る美人といったオーラはないが、黒目がちでぱっちりとした目と、バランスの整った顔が印象的だった。年配の男性管理職の間でも、いい子がきたぞとちょっとだけ噂になっていた。
飲みの席では当然のようにちやほやされていたが、本人は案外サバサバしているようで、近寄る男性陣を無難にあしらっていた。
陰りのない相槌は打つが、自分から話題を振ったり、目立つような言動はない。なんだかミステリアスで、60%くらいの愛想笑いの裏には一体どんな本性があるのかしらと、私は怪訝に様子を観察していた。
最初は、ただそれだけだった。
誰かと仲良くなるためには、自分を開示して、建前抜きで話したい。日頃から裏表がないと言われる私にとって(実際はそうでもないと思うが)、あの子みたいな"なんだかよくわからない人"は、正直むしろ苦手だった。
同僚の世間話を受け流しながら遠巻きにぼんやり眺めていた私に、その日、あの子が話しかけてくることはなかった。
−−
私とあの子は全く別の部署にいて、たまたま社内ですれ違うようなタイミングがなければ、特に接点もなかった。
歳の近い先輩として、顔と名前くらいは覚えてくれていると思うけれど、顔を合わせてもほんの少し目が合うくらいの会釈程度で、立ち止まって話したりなんかしない。お互いにそれ以上は近寄らない。
会社では余計な人間関係を作りたくないタイプなのだろうか。
と思いきや、彼女と近い部署の私の同期とはグループで遊びに行ったりしているようで、別の後輩のSNSにすごくはしゃいでいる様子の写真がアップされていた。
私とは絶対に交わらない。
別に仲良くなりたいようなタイプじゃない。
なのに、どうしてなんだろう。
「あの子、地元に彼氏がいるらしいよ」
「髪の毛、結構バッサリいったよね」
「昨日駅前で男の子と歩いてるの見たよ」
「あの子、彼氏と別れたんだって」
決して広くはない社内で四方八方から飛んでくるそんな話に、いつからか聞き耳を立てるようになった。
時たまあの子を見かけるたび、自然と目で追うようになっていた。
−−
そんな状況がしばらく続いてから、社内の部署を超えたプロジェクトで、あの子と一緒に仕事をすることになった。
私の部署からは、本当は一つ上の先輩が担当するはずだったが、プロジェクトが動き出してから先輩が病気休暇に入ることになり、私が後を受け持つこととなった。
プロジェクトメンバーは毎週水曜の午後、ミーティングルームに集まってその業務に当たることになっている。
事務的な引き継ぎもそこそこに先輩は休みに入ってしまい、残された私は不安でいっぱいだった。
初めて業務に入る日、おそるおそるミーティングルームの扉を開けると、既にプロジェクトチームのピリッとした空気感ができあがっていて、とても場違いな感じがした。
社長の右腕の役員やかなり上の管理職、隣の課の上司、入社2年目でエースのイケメンなど、選りすぐりのメンバーが全部で15人くらい。
工場みたいに均一に並んだパソコンに向かう面々は、呆然と立ち尽くす私の方を各々のタイミングで一瞥し、そして何もなかったように再び手元に視線を戻した。うう、帰りたい...
「今日からですか」
表情ひとつ変えずに声をかけてきたのは、あの子だった。
「うん、あんまり引き継ぎとか資料ももらってなくて。どうしたらいいかな...?」
「こっちです。先輩のパソコンはこれ。電話かけるときはこっち使ってください。最初は取らなくていいんで。あとこれ一通り目通ししてもらって。それと…」
驚くほど要領よく、そして淡々と業務の説明をするあの子に、うっかり口が開いたままになりそうだったが、すぐに我に返り、言われるがまま目の前の仕事に取り掛かった。その日の記憶はあまりないけれど、家に帰った瞬間ベッドにダイブするくらいには疲れ果てていた。
思えば、あの子の仕事ぶりを間近で見たのはこれが初めてのことだった。
次々とかかってくる問い合わせ電話を率先して取り、はきはきと丁寧に応対し、受話器を置いた瞬間話しかけられた上司にテキパキと状況を説明していた。細長い指で淀みなくキーボードを叩きながら、別階の書庫にある資料が必要だとわかると「私行きますね」と、立ち上がるその所作のすべてに無駄がなく、美しいと感じた。
翌週、翌々週と業務に入り、やっと慣れてきた頃、残業中のあの子に缶コーヒーとチョコレートを差し入れた。
ブラックを差し出してから、しまったな、と思う。自分がブラック派なのと、イメージだけで好みの確認を怠ってしまった。
「ごめん、ブラック飲めるかな」
あの子は資料をめくる手を止めて、少し驚いたようにこちらを見た。
「…甘いものにはブラックですよね。ありがとうございます」
(私調べで)80%くらいほころんだ表情でそう応え、深く息を吸って伸びをした。
随分長いこと集中して作業をしていたらしい。あの子はコーヒーを開けながら、もう暗くなっている窓の外を少し眺めていた。
特に何を話すでもなく、隣で一緒にコーヒーを飲んだ。
−−
いつになく饒舌なあの子と二人きりの部屋で、
突然、キスをされた。
ある日そんな夢を見て、とうとう私は自分がおかしくなってしまったのだと思った。
女である私が異性愛者か同性愛者か、などということは一旦置いておき(一応、これまで付き合った恋人はみな男性だった)
私と彼女はそんな関係ではない。
望んでいないし、望まれてもいない。
それなのに、なぜ。
あの子を見かけるたびに何度もフラッシュバックし、容赦のない潜在意識に襲われた。
くだらない夢だと笑い話になんてできなかった。
私は、あの子に惹かれていた。
その意味付けや理由なんてわからない。
わかりたくもない。
その後もあの子との関係性に、何ら変わりはなかった。
毎週水曜に「おつかれさま」とあいさつをして、
業務連絡で個人的なメールのやりとりをするようになったくらい。
少し砕けた、それでいて丁寧な文面で、至って普通だった。
私もあの子もそつなく業務をこなし、プロジェクトは無事に終了した。
−−
それから1年後にあの子は結婚し、私よりも先に退職した。
見合い結婚で、専業主婦になるという噂だった。
結婚おめでとう、とだけメールを送ろうと思い、スマホを開いた。
あの子の人生には、私は関係ない。
この先何があっても、一切、交わることはない。
きっとあの子にとって、私の存在は取るに足りないものだったに違いない。さも当然のようにそう思いたくて、でも少し、ほんの少しだけ何かがあってほしかったと思ってしまう邪な気持ちをかき消すように、書きかけたメールと、あの子の連絡先を削除した。
−−
※このお話は、たぶん、フィクションだと思います。
#週1note に参加しています。
多彩なメンバーのnoteはこちらのマガジンから↓