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過去との向き合い方

真夏のピークが去った。

2年前の今頃は、地域おこし協力隊として西予市野村町に居た。

地域の納涼祭で、楽天で買った即席の浴衣を着て、青年団の屋台でチョコバナナを売り、同じく商工会青年部の屋台でイカ焼きを売っていた当時の彼氏と抜け出して、川沿いで一緒に花火を観た。

それから2年後
別の彼氏と一緒に、別のまちで花火を観た。

(最初で)最後の花火に今年もなったな。

遅すぎた青春だ。
きっと花火と人混みと、つめたいかき氷と、夏の夜の蒸し暑さとがそうさせた。

それくらいしっかりセッティングされないと、すっかりエモーショナルになれなくなった。

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比べるものでは決してないけれど
2年前は、わたしにとって、もうとっくに過去だ。

思い出しては泣きじゃくり、
思い出してはわんわん喚き、
また思い出してはどうしようもない気持ちで過ごした一頃よりは
きっとすこし、元気になれた。

今を必死に生きる。

過去を昇華させるには、どこまできたってそれしかないのだ。

松山に来て、それなりにいろんな出会いもあった。
もがき苦しみ残念なこともあったけれど、今いる二つの職場を中心に、人には恵まれている、と思う。感謝しかない。

隣でパンイチでグースカ寝ている彼にも、ほんとうに感謝しかない。
(わたしはちゃんと服を着ています。えらいんで)

何かに執着するのはもう違う。
誤解されたくないし、いつだって無理なく前向きでいたい。

エゴを一旦寝かせておくことも含め、自分のエゴで生きていく。
諦めてもいいし、心が折れてもいい。

ここで寝床の壁にまさかの🪳が現れ、慌てて彼を起こす。
いつもは逃げられるけれど、今回はちゃんと仕留めてくれた。
起こしてごめんね。退治してくれてありがとう。感謝しかない。

…落ち着こう。

この先やりたいことなんかわからないけれど、わたしを必要としてくれる場所がある。

前にカウンセリングで、過去のことを引っ張り出して、そこでやりたいことを実現させるために何をするか、みたいな宿題を出された。
苦しくなって通うのをやめた。
わたしに執着をさせるな、と。今でも中指を立てたい。

少なくとも、今じゃない。
物理的にも心理的にも、距離を置くべき時間だ。

恩返しができない不義理なやつだと、型にはめて考えることもしなくてよい。
しなくてよいと自分に言い聞かせる。
(恩返しがしたい気持ちがなくなったわけではない)

幸せとはなにか。

考えてもきりがないけれど、
間違いなくわたしはラッキーで、ちゃんとハッピーに生きられているよ。

苦しんだあの頃の自分へ。

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おしまい。

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