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思考記録:3 書こうと思ってなかったけど、遺言を書いてみようと思った理由と遺言そのもの

自分の気持ちの整理のために書きます。

もう何年も会ってない昔お世話になった方の、あまりにしょーもない話を昨日の夜に知り愕然としました。

内容については詳しく書きませんし、そんな行動をした真意については知りませんし、知ろうとも思いません。
ただ、その事実だけを調べ、その内容に唖然としました。

もう、なんだ。
感想はただ一言。
「バカか?」
ほんと、それくらいしか出てこなかったです。

どんな理由があるにせよ、そんな行動をした、という事実は間違いなくあるのです。
そして、そんな行動をしてはいけない、と言っていた側の人間が何故にそんな事をしたのだ?と疑問しかありません。

同じタイミングで、担当医より電話にて新たな疑いがあるため検査入院をしたい、と告げられました。

ぶっちゃけ、めっちゃビビりました。
とはいえ、まぁ、なるようにしかならんので、ある意味ではとっくの昔に覚悟完了!なんです。

そう、人間には「絶対」がたった一つ、あります。
これは、すべからくどんな人間にもあります。

それは、肉体の死、です。

どんな人間でも、必ず死にます。
これは絶対です。
どんな生き方をしようとも、必ずです。

かつ、それはいつなのか、誰にもわかりません。
もしかしたら、一秒後に。
もしかしたら、三年後に。
もしかしたら、五十年後までその時は来ないかもしれません。

予測は出来るかもしれませんが、やっぱりそれもわかりません。
でも、必ずその時は来ます。

だから、俺はこの限りある時間を使って、精一杯の自分に出来る、自分が思う最高な事をしよう、と思ったんです。

まぁ、常日頃から死ぬ事を意識してたら、しんどすぎますw
てか、人間毎日「いつか死ぬんだー」なんてノーフューチャーな考えでいたら、肉体より先にメンタルが死にますわなw

だからこそ、毎日楽しく生きよう、と思ったんすな。

価値観なんざ人それぞれ。
何が楽しくて何が楽しくないなんて、人によって違って当たり前です。
んなこたぁ、てめーで考えなよ、です。

私は好きにした。
君たちも好きにしろ。

映画『シン・ゴジラ』における牧悟郎博士の言葉です。
俺は、この牧博士のある意味遺言に、めちゃくちゃ心を動かされました。

数年前、母が亡くなり、その納骨式の日に自分が心筋梗塞で倒れました。
幸い、一命を取り留めました。
一か月の間、入院していた際に様々な事を考えました。
家族の事、生活の事、仕事の事、そして、これからの自分の事。
考えれば考えるほど、めちゃくちゃ混乱してきました。
不安しかない、どうしよう、どうしよう…

そんな時、ふと思ったんです。
今考えたとて、不安を解消する行動が出来ない事には変わりない。
ならば、どうするか?
今、出来る事をやるだけだ!

俺は看護師さんにお願いしてメモ紙を沢山もらい、ひたすら退院後に作りたい作品のスケッチを書きまくりました。
それが、後の妖怪陶器シリーズのバックボーンとなりました。

そう、悩んだとて行動しなければ先には進めないのです。
ならば、行動するのみ。
それが意味のある行動かどうかは、その後の行動に繋げればいいだけ。

だから、俺は好きにするんです。

そして、他人が何をしようが、何を考えようが、どちらでもいいし、どうでもいいのです。

だから、君らも好きにすればいいんです。

冒頭に、お世話になった人のあまりにしょーもない話に唖然茫然とした、と書きました。
それは、やはり関係性の問題であり、全然知らない人の出来事であれば、ふーん、で終わる話です。
知っている人であり、昔お世話になった人であり、なんなら人生やら社会性やら仕事の在り方やらを教えてくれた人だからこそ、の感情だったのかと思います。

なので、ここで改めて、宣伝します。

俺は好きにする。
君らも好きにしなよ。

これを俺の遺言とします。
以上!

追記
あ、死にたい、とかは思ってませんのでご安心をw
だって、まだまだお客さんの期待をいい意味で裏切る新作、リリースしたいですからね!
待ってろよ!

追記その2
ちゃんとした遺言を書かなきゃいけなくなったら、ちゃんと書きますw

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