見出し画像

ファシリテーターの価値

このブログは「ファシリテーター」をテーマにしたアドベントカレンダー14日目への投稿となります。

今回は「ファシリテーターの価値」という恐ろしいタイトルをつけてしまったのですが、一言で書ける気もしないし、ファシリテーターそのものが多様であり、根幹でもあると思っているのであくまで「私」の考える価値ですw

私がファシリテーターをする場は、会議、研修、ワークショップ、対話の場、イベント司会、プレゼンという感じに分けられる気がします。この分類も今自分で「価値」的に何か違いがありそうなものを挙げてみましたが、明確な分けがあるわけでも、定義の違いがあるわけでもないです。

文字にして気づいたのですが、分類よりも、ファシリテーターはその場の目的、場の在り方を考えた時にどういう形で提供する(場づくりする)かが大事なので、上の分類も手段というかひとつの形でしかないと思いました。

だとすると、私にとってのファシリテーターの価値は、多様性であり適応性であり、参加者や場の目的に寄り添い変幻自在であること。んー、価値というかファシリテーターとは…みたいになった。

価値とはそもそも…と悩んだ時はググって…と。これまたいろいろ書かれていましたが、これかなと思ったのはこちら。
「その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。」
コトバンクより)

「場の目的に向かって進むこと。ファシリテーターとして居るその場が存在する限り進み続けること。進んでいないとは「思考の停止」を指す。」

これが私が今出せる「ファシリテーターの価値」です。

言葉にすると辞書のファシリテーションに近くなってしまった。とはいえ向き合う対象、作用する対象が「人間」である以上、多様であることは間違いないので、価値の定義は多面的か、抽象的になってしまうのもしかたがないのかもしれない。

時にして停滞しているように感じたり、回り道をしているとは思えないくらい違う方向にいっているとしても「進んでいる」こと。この集まっている参加者にとって「今」という時間に無駄はなく、進んでいる途中でしかない。

いつでも本当に「進んでいる」のかという不安を抱きながら、暗中模索をしつづけることがファシリテーターのしていることで、ファシリテーターとしての存在価値を体現したいと思うのでした。

今回も描き終わってからChatGPTのDALL-Eに絵を描いてもらったのですが、左の絵が「らしい」と思いつつ、右もなんかいいなぁと思ったというか、2枚でひとつかもと思えたので2枚とも掲載。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?