4ヶ月の休職を振り返って①〜仕事に行けなくなるまで
noteを初めて数日経つけれど、「鬱で休職しました」「仕事辞めました」「無職です」という人が非常に多い気がする。
かくいう私も休職経験があって、同じような経験をした人の記事を読んで共感したり考えたりしているうちに、自分もまとめてみたくなった。
当時のことは正直あまり思い出したくない。でも、一度立ち止まったからこそ気づけたことや出会えた人がいるから、間違いなく無くてはならない経験だったと思う。休まないで済むなら、それに越したことは無いけどね。
てことで書きます。(急)
当時はエリアマネージャーのような仕事をしていて、担当した小売店の人・物・金の管理に携わっていた。
人手不足の昨今、人とシフトの管理がメインの仕事となり、自分にとっては苦痛の数年間だった。シフトは突然穴が空くし、人がいないと言っても高齢のパートさんは足腰が痛くて一人で仕事できないだの、学生はテストのため1ヶ月休みたいだの、思っていた仕事じゃなかったから辞めたいだの、あちこちから好き勝手な意見が降ってくる。人件費が上がり続けている中、人を採用して穴埋めすることも迂闊にできず、八方塞がりだった。
ちなみに、従業人は休ませなければいけない一方で、自分には定時外でも休みの日でも関係なく仕事の連絡が来た。ディズニーの待機列でクレームの対応をしたこともある。一緒に行っていた同期もその日、ワールドバザールの店のすみっこで当日夜のシフトを埋めていた。しんどすぎる。
電話口で対応できないトラブルが起きた場合は、どんな時も現場に行く必要があった。本当に毎日疲れが抜けない。人の管理以外にも仕事は山のようにあって、日々考えなければいけないことで頭がいっぱいだし、常に何かに追われているような不安や焦燥感があった。
慢性的な人員不足で一番滅入っていた時期に、ちょうどパートナーと同棲することになった。当時、仕事のストレスを解消するために人肌に狂うようになっていたので、付き合って数ヶ月経ってから自分主導で引っ越しを進めた。
いざ引越しを迎えると、パートナーとの感覚の差に悩まされることになった。引越し直前まで片付かない部屋、引越し後いつまで経っても開くことのない段ボールが気にならないパートナーと、やきもきして落ち着かない自分。結局、荷造り、各々の部屋を退去する時の掃除、荷解きは我慢できなくなった自分が全部一人でやった。
苦しかった。パートナーも同じ仕事なのに、自分の方が多く家事を負担していることにも腹が立つ。自分の方が先に気がついたからやっていただけで、辛いなら相手にも頼めば良かったのに、先に家事に手をつけては「なぜ自分だけがやらなければいけないんだ?」と勝手にイライラしていた。馬鹿だなあと今では思うけれど、当時は視野が本当に狭くなっていて、何かと不満を募らせる日々が続いた。
引越して2週間もしないうちに、急に眠れなくなった。毎日、夜中の2時から2時半の間に決まって目が覚め、日が昇るまで寝付けない。
睡眠不足も、自分にとってはかなりストレスだった。仕事量が増えた頃から、ありえない物忘れやケアレスミスが頻繁に起きるようになり、病院に通っていた。投薬は身体に合わず止めてしまったので、主治医からは「せめて睡眠だけはきちんととってね」と言われていた。
寝不足した日は、必ずと言って良いほど物をなくすか予定を忘れる。会社の鍵を無くしたり、事故で車を廃車にしたりなどの大きなミスは、夜遅くまで仕事をしている日に起きた。寝不足=何かミスが起きる=絶対に寝なければならないと、当時の自分は本気で考えていた。
寝たいと思えば思うほど眠れない。次の日も仕事がある。ミスをしてはいけない。ミスをしないためには寝なければいけない。でも眠れない・・・
眠れない日が数日続くと、今度は風呂に入れなくなった。外に出たくないので、外回りをしているフリをして、家で仕事をする。マネージャーは必ず現場を回るよう上から常々言われていたが、実際のところ電話とパソコンがあればどこでもできる仕事が大半だった。
寝不足、不潔に加えて、人に会わなくなると一気に気分が落ち込んだ。そんな状態で誰かに会いたかったわけではないけど、一切誰にも会わないというのは、どうしようもなく寂しいことだと実感した。スーパーや駅など、人のいる場所に行くだけでも救われたかもしれないけれど、やっぱり外には出たくない。防音に優れた新居では人の気配すら感じられなくて、寂しさは増すばかりだった。
上司からの「お前今どこにいる?」という連絡に怯えながらさらに数日経った。この日も仕事をしていると、担当先の従業員から電話が入る。シフトの件だった。
その時のことはあまり覚えていないけれど、たしか相手の要求があまりにも我儘だと感じて、酷く腹が立った。
わざと怒りを滲ませて返答していると、相手から「(自分)さん、あなた最近おかしいよ」と言われた。そのまま10分近く電話口で文句や不満をぶつけられた所で、我を忘れて怒鳴った。
その時の電話の相手の言う通り、間違いなく自分はおかしくなっていた。仕事を始めてから直近まで、「いつも元気」「明るい」「常に笑顔」と、周りからは前向きな評価を貰うことが多かった。実際、楽しく仕事ができるよう、常に明るい振る舞いは心がけていた。仕事中どころかプライベートを含めても、怒鳴るなんて思春期以来ではないだろうか。
自分より怒り出した私を見て冷静になったのか、相手がなだめるような口調に変わった。そのまま口先だけで軽く謝罪をし合って、電話を切る。こちらの怒りは全く収まる気配がなく、その後の仕事はほとんど手につかなかった。
この日の夜までは普通だった。ふとした時に電話で言われたことを思い出し、その度はらわたが煮えくり返りそうだったので、夜に同期と電話して散々愚痴を吐かせてもらった。結果めちゃくちゃスッキリして、やっぱり共感してもらうのが一番だなあと、何もかも解決したくらいに思っていたのに。
次の日、さすがに現場を回らなければ、と思って久しぶりに社用車に乗った。当然のように夜中に目が覚めて寝不足だったが、何とか風呂に入り、スーツを着て身なりを整え、定時前に外に出ることができた。やればできるじゃん、自分、と少し胸を張り、エンジンを回したところで視界がぼやけた。
涙が出ている。泣きたかったわけではない。自分の意思に関係なく、急に涙が溢れて止まらなくなった。
どうしよう。とりあえず定時までに出られるように落ち着こう。このままでは運転もままならない。
仕事に行かなければ、と思った。この日まで仕事に「行って」はなかったのに、仕事に行こうと思って外に出た日に限ってこんなことになるなんて。
早く仕事に行かなければ。でも、涙で前が見えないから今は行けない。もうすぐで定時になってしまうから、さすがに行かないとまずい。でも行けない。こんな状態では行きたくない。
そうだ。行きたくないんだ。やることが多くて、休めなくて、やりたくない仕事をやらなければいけなくて、不安や不満でいっぱいで、そのくせ貴方はおかしいとまで言われて。もうこんな仕事はしたくない、行きたくないんだな、と妙に腹落ちした。
定時になった。まだ出発はできていない。止まらない涙を止めるのも諦めて、上司に電話をかける。電話の向こうで、なにやらこちらの様子がおかしいとすぐに気づいた上司に、「仕事に行けません」と切り出した。
もう無理です、行きたくない、辛いです、と途切れ途切れに吐き出した言葉を、いつも厳しい上司が都度相づちを打ちながら静かに聞いてくれて、その優しさと自分の不甲斐なさに消えたくなったのを覚えている。結局、「とりあえず今日は休め」と言われて電話は終わった。
想像以上に終わらないので一度投稿して②に続けます。