人生の区切りを迎えて#21 すごくよくわかったお金のこと
■生きていくのに必要なお金とは
昨年からお金にまつわることをいくつか書いてきたが、2024年後半に収入が実質的になくなり、住民税や健康保険などの支出を含めてお金の出入りを“観察”してきたが、3ヶ月ほど過ごしてみて、これまで悩んできたことはなんだったんだろうと思わざるを得ない。
つまり必要だろうと予測していた金額と、実際に稼いで毎月収入があった時に遣っていた金額を比べると、明らかに差がある。当たり前だと思うかもしれないが、会社に行くだけで月に数万円もかかっていた“経費”は、一体なんだったんだろうと思う。
その最たるものはコンビニだ。コンビニに行かなくなって、コーヒーすら自分で淹れて飲むだけで、月3000円が500円程度(粉換算)になる。お昼のお弁当も平均すると1回に800円ぐらいかかっていたが、家で多少外食を入れても半分以下。
自宅にいれば当たり前だと思うかもしれないが、ではそれだけのコストをかける必要があったのか疑問に思う。会社員はみんな、自分の給与明細をしっかり見た方がいい。今の日本では、稼げば稼ぐほど、税金や社会保険の負担が大きく、思った以上に手元に残らないはず。それで家賃を払ったりするばかりではなく、居酒屋へ行けば数千円を取られ、ジムに行っても数千円、スマホ通信料で下手すれば家族で2万円近くかかる。そのうえ住宅や自動車のローンに子どもの教育費などなど、仕方がないでは済まされないほど余分なものにお金をかけているわけだ。
■使われる意味を与えられないお金の行く末
そんなことは分かっているし、これまでもそうやってきた、これがフツーだと言う人もいるかもしれないが、では自分が自信を持って、自分の大切にしてきたことにお金を使っていると言える人がどれだけいるのか。社会的な義務を果たすだけの、あえて言えば何も考えないで、ただ毎月支払われる給料があれば安心する毎日を過ごしているのが現実ではないか。
家族の生活や同僚たちとのコミュニケーション、それは結構なことだが、一番大切にしなければならない自分には、誰がお金を使ってくれるのだろうか。飲みにいくか、趣味のものを買うか。たまに自分にご褒美とかいって、お高いレストランで食事をする?いやいや、もっと自分にとって必要なことがあるでしょう。それは、自分の価値を高めるための投資ですよ。
つまり、一時的なことではない、継続して自分のためになることにお金を使っているかだ。友人たちとの交流や趣味を有益なものにする取り組みなど、さまざまやっているという人もいるが、大切なことは、それが何のためにやっているかを、そしてそれを達成すると何が得られるのかを知ってることだ。そんな実務的なことを考えていては何もできない、という人もいるが、意味を持たないものにお金をかけるのは、単なる憂さ晴らし、ストレスの一時的な解消に過ぎないと断言しよう。せっかく稼いだお金に、使われる意味を与えられないなんて、お金に対して申し訳ないと思う。
■誰かではなく自分のために使うお金
生活するだけであれば、本当に最小限のお金で済んでしまう。それを過度に不安にさせるものは何か?答えは誰かと比べていること、世の中の常識、優越感などなど、自分の中の余分なことばかり。高級車に乗っても自分の価値は何にも変わらないし、むしろその対価は、失った時の喪失感しかない。
今の私には、時間があれば少しでも旅に出て、非日常の中で感じたことを原稿にして発信することが最大の目標だ。それは日常の中に埋もれている人たちに、外の世界を少しでも共有できることが生き甲斐だと思っているから。ある人から見れば、退職した人が、時間の自由と少しばかりのお金で、好き勝手やっていると思われるかもしれないが、私には目的のない旅はない。テーマがなければやみくもに旅行などしない。
これから計画しているのは、日本中、世界中の興味深い博物館や美術館を訪問し、そこにしかない歴史や社会、地域などのコンテンツを、私発信で情報を広めていくことだ。そのために日本中、世界中の博物館や美術館をリストアップして、優先順位をつけて、訪問する計画を立てている。こういう時のAI との対話は刺激的だ。カテゴリを絞り込めば、どのようなところが私の興味をそそるのかを瞬時に選び出してくれる。
そのためにもテーマを大切にしている。自分にとって優先すべきテーマは何か、それと読んでくれる、いや読みたい人たちにとって興味をそそるテーマは何かを、つねに探し求めることが日課になっている。だから最初に決めても、違うテーマが出てきて、面白そうであれば自由に予定を変更して計画する。
ようやく自分のためにお金を使う先が見えてきた。
———編集後記———
お金のことで若い頃はよくカミさんと口論になった。
彼女は自分のやりたいことを優先していたが
私自身がそういうお金の使い方に
嫌悪感を感じていたのだ。
家族のためにみんなのために。
大義名分は明らかで
誰もが私の意見に賛同してくれたし
それができる自分が誇らしく思えた。
子ども二人を東京の私学の大学に進学させ
中古ながらマンションを購入し
自動車も定期的に買い替えた。
それが今となっては
「それがなんだっていうのだ」に変わった。
自分に信念があり必要なお金があったなら
子どもにも進学先を制限させても良かった。
なぜなら人生の主役はあくまでも自分であり
彼らは彼らで与えられた環境の中で
自分のやりたいことをやれば良かったのだ。
どんなに恨まれたとしも
彼らが親になったとき
もし私と同じことができなかったら
子どもの子どもたちに
なんていうのだろうか。
御涙頂戴はいらない。
今すぐ自分のためにお金を使って欲しい。
そして自分が後悔しない人生を
歩んでもらいたい。
最後には
それが家族の笑顔になることが分かるから。
#人生の区切りを迎えて