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一年に一度のジブンの日

今日は私の37回目の誕生日だ。なぜか、これまでの誕生日のなかでもっとも印象深い日になった。特別、何かイベントがあったわけではないが、今年の前半には辛い経験もしたし、この日を境にして、自分の人生が大きく変わっていく気がしている。

人は誰でも人生の転期をもっているはずだ。私でいえば弟が亡くなったときだったかもしれない。しかし人生のなかには何度かそういう節目があるはずだ。それに気がついて何らかのアクションが起せるかどうか、がポイントになるだろう。その最たる転期にあたるのが今年、37歳のような気がしてならない。それは、不思議と将来への見通しが見えてこないからだ。

こんな日本の経済状態のなかで、なぜか落ち着いていられる自分に怖ささえ感じている。収入も確実なものは何一つないといって差し支えない。こんなに不安定ながら落ち着いていられる自分が不思議だ。きっと何か起こる。そう信じている。

自分の人生が充実したものになることを願うことは、何も悪いことではないはずだ。その思いが人よりも少々強いのかもしれない。どうせこの世に生を受けた以上、何かを掴んで全うしたいと思うことは悪いことではないだろう。それがお金かも知れないし、友情かも知れないし、はたまた仕事になってもいい。精神的に穏やかでいられることが最良であるが、人間が生きていく社会にそういう状況は訪れることはないと達観しているので、それ以上は望まないが、できれば自分らしく生きていければ最高だと思う。

少しだけ皺が刻まれた顔を鏡で見るたびに、ようやく自分の行動や考え方に少しは責任がもてるようになったか、とまじまじと考える機会が増えた。もう女の子にもてるとか、そういうことを望むよりも、もっと自分に対する意識が強くなったということだろうか。人の顔を見ながら、自分は社会からどう見られているか、を多少なりとも意識して行動しているつもりだ。自分の反面教師のような存在の子どもたちも、大きくなるにつれ自分がいままでしてきたことを超えた何かを感じ取り、そしてひとりの人間になろうとしている。

自分の姿を見ていて、頼もしくもあり、寂しくもある。まだまだ37歳では中途半端ということか、先ほどは落ち着いていると言ったが、まだ達観もできず、若い連中を無視もできず、やがて来る老いにおののきながら、静かに新たな人生のステージを迎えようとする自分に、少し安らかな気持ちになるように言い聞かせる。今日ぐらいはいいでしょう。一年に一度のジブンの日なのだから。

明日からはゆったりとした気持ちで、新たに生まれ変わったように、落ち着いて行動してみようと思っている。意識して、昨日の自分とは違う自分を演じてみるつもりだ。どうだ、どんなもんだ、と胸を張って街を歩いてみよう。その気持ちが新たな人生の変化を生み出すし、何か変わろうとしている自分を後押ししていくようなきがしてならない。

この37年の人生を振り返ると、楽しくもあり、苦しくもありながら、まだまだ道半ばであり、これからも自分と戦いながら生きていくのだなあ、と感慨深く思う。3年経って40歳になったときはどうだろう。不惑の40代というから、そのときは迷わずに、まっすぐ自分の行きたい道をすすんでいるだろうか。そして父親の年を超え、男として未知の世界に達しようと意気盛んになっているだろうか。怖くもあり、そしてどきどきしながら楽しみにしていよう。そしてその時は、自分というものが確固たる存在としていることを期待したい。3年前の強い思いが、形になって現われることを願って。

*****

当然
この後の顛末は
自分のことだけによく知っている。

ここから1年後の38歳の時に
一本の電話が掛かってくる。
大きなプロジェクトの仕事だ。


何故私を指名してくれたのかは
定かではないが
とにかくここから
時計の針が動き出した。


私にとっては未知の世界ではあったが
すでに心の準備はできていたので
真正面から向き合うことができた。
そして現在がある。

不思議で仕方がない。

いきなりではなく
予感を感じながら
シミュレーションしながら
その時を待っている。

ある意味怖い。

怖いけど
人生なんてそんなもんだと
割り切れる自分がここにいる。

コツは何かと聞かれれば
自分は大切な唯一無二の存在だと
信じることだ。


言葉に出してはいけない。
態度に出してもいけない。


でもどんな境地にあっても
自分の中で唱え続けることだ。

神様はいない。
自分しかいない。


苦しんでいる人たちにも伝えたい。
今の自分を信じてほしいと。

そして
あれから20年の時を経て
また変化が訪れようとしている。

#あの頃のジブン |24

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