他人を褒めることの難しさ
上司が部下を褒める場面に結構、遭遇する。
褒められる側もそんなに悪い気はしないのか、特別、謙遜するわけでもなく、涼しい顔をしている。もし自分がそうされたら、いやいや、まだまだですよ、とかなんとか繕うような言葉を発しないと、とても間がもたない気がする。
褒めることは悪いことではないし、褒められる側も同様だろう。そこに信頼関係があれば尚更だ。私も自分の部下をnoteで褒めちぎったことがあるが、本心からの言葉である。
その言葉に違和感を感じるとすれば、実際にその人のことをよく知らないとか、買い被りすぎなんじゃないの、という疑いとか。とにかく褒める言葉を裏付ける“コト”を経験してないからだと思う。
それでも、何か不自然に感じてしまうのは、最近の人材不足という側面も否めない。とにかく会社は情報をすべて開示して、みなさんの意見を真摯に聞いて、具体的な施策に反映して、お互いにウィンウィンになりましょう、という経営者の涙ぐましい努力が垣間見れるのだ。そこまでして仲間を増やさなければならない理由が私には見つけられない。お互いが言葉で褒め合うのではなく、必要とされるために何をするか、自分の価値観で動き、働きかけ、良いと思ったことを自主的にやる。そういう集団こそが理想なのではないか。人前で堂々と褒められて、なんの外連もなく過ごせる人に可能性を感じることはできない。
石破首相も、国民の声を真摯に聞き…うーん、これまで真摯に聞いてもらえていなかったのが、急にそうなるのだろうか?もしそうなるのなら、政治家は民意が示すことを具体化するだけのオペレーターになってしまうのではないだろうか。それでも1億2千万人の頂点に立つことは、魅力的だというのだろうか。
経営者も、政治家も、トップに立つ人たちは、それを構成する人たちのコミュニティに受け入れてもらうために、どれだけ他人のために自分の時間を使うというのだろう。その献身的な努力の原動力となるものはなんだろう。
自分勝手な私には、
まったく理解ができないのだが。
#いま時のジブン
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