人生の区切りを迎えて#13 自分がめざしてきた働き方とは…
■なりたい自分になるための仕事
大学3回生の時に、先輩が東京の某キー局のアナウンサーになった。関西地域の大学だったこともあり、キー局への入社は大学としても大きく取り上げ、話題になったことを覚えている。それが私の就職活動の原点だった。
なりたい自分になるために働く。
明確な目標ができたことで、とにかくそこにしか人生の目標が見えなくなった。地元に帰って金融機関に就職するとか、全国展開する自動車会社への就職だとか、一般的な就職ということにまったく関心がなくなり、親の手前、会社説明会なるものにも出かけてみたが、会社の担当者が言う“やりがい”というのが、どうも胡散臭く聞こえてしまい、「あなたは今、本当に幸せですか?」などと、心の中で(口外はしていません💦)叫んでいた当時の自分がいた。
多少、自分にはそういう才能がある、と信じきっていたことも恐ろしいが、これほどなりたい自分になるために行動していた当時の思いは、今更ながら悪いことじゃないと思う。
■なれる自分になるための仕事
1年半に及ぶ就職活動にも関わらず、夢は儚くも破れ去った。マスコミではないが、コンテンツ産業の端くれに引っかかり、メディアをすぐ側で眺められる立場になったが、華やかなステージには届かなかった。
すると、その業界の中には、その人しかできないような分野があり、組織上の役職でなくても、その専門性みたいなものが、その人の存在価値になることを目の当たりにした。その業界の中であれば、どこでも泳いでいけるというようなイメージだ。素晴らしい。いつしかリベンジの野心は消え、新たな目標が見つかった。
しかし、組織というのは残酷だ。そういう前例を作らせないように、定期的な人事異動が始まっていた。私も御多分に洩れず、3年目には営業職に配属されるなど、キャリアを中断せざるを得なかった。それはそれで面白い仕事だったし、職場の方々もフレンドリーで、とても楽しかったが、いつしか学生時代のリベンジの機会がやってきて、あっさりと転職して、メディアの一員になってしまった。後先も考えずに。
■なるようになる自分のための仕事
メディア企業に入ると、それはそれで現実に直面する。これまでの中小企業と違う規模の組織の中で、自分というのを発揮するのは困難だった。むしろ仕事の領域が制限されるし、自分以上に能力の高い人たちがごまんといた。
なるようになれっていう心境になった。
会社の名前もみんなが知っている、給料は2倍以上になった、有名人にも頻繁に会うことができる…。これが自分が望んでいた仕事なんだろうか?メディアの横っちょで、コソコソと企画を提案して、それがテレビや雑誌を通じて広がっていく方が、よっぽど“らしい”仕事ではないか。いやあ、悔やんでみても仕方がない。
結果的にいうと、世の中の相場を遥かに超えた年収と、名の通った会社をやめて、フリーランスを選ぶという暴挙にでた。親はもちろん、親戚一同、お前の考えていることはまったく理解できない、と言われたが、それが私にとって褒め言葉だったことはもちろん知らないだろう。
かくして、一人ぼっちになった自分ではあるが、なるようになると思える自分になるためには、最高の瞬発力だったような気がしている。好き好んで前の見えない道を歩きたがる人はいないと思うが、その道の先に何かがある、と信じて進んだ人にしか見ることができない景色があると思う。
ただ、神様は、それだけで終わらせてくれなかったけども。
———編集後記———
なるようになれ、という心境の後には
自分から一番遠いところにあるものに
なってみろと新たなステージが与えられた。
人生で二度の取締役への就任。
つまり経営者となって働く意味を考えろ
とのお達し。
一度目は2年という短期間で終わりを告げる。
経営者というのがどういうものか知らないで
とにかく見よう見まねで演じてみた。
見事に失敗。
二度目は13年間の長期にわたり勤めた。
上手くできたから続いたというよりも
ほかにやる人がいなかったからという感じ。
自分がやりたいことをやるというよりは
人生ではじめて他人のやりたいを意識した。
やりたいことだけをやってきた自分が
働くことの最終コーナーで
みんなのなりたいやりたいを叶えるために
頑張るなんて
どこかの安っぽいドラマみたいだけど
こだわりなく
こういうことができるのも自分らしい。
#人生の区切りを迎えて